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殴られた若者

大陸の地図


挿絵(By みてみん)


お話をつくるにあたり、いつもアドバイスをくれる岡さん、ありがとう!

「貴様ごときが口を出すな! 貧乏貴族の分際で!」


 怒鳴られたアルヴェールは、一礼して謝罪を示すが、相手は彼の左頬に殴打をみまった。受けた彼は、痛みよりも衝撃でよろめき、膝をつく。


「ですが、閣下――」

「まだ言うか! チビ!」


 再び顔を殴られたアルヴェールは、鼻血を手の甲で拭いながら自分を殴った男を見上げた。この男は北方五カ国連邦軍の師団長デストア少将であるから、中隊長で階級は中尉のアルヴェールよりも序列は上となる。それでも殴ることはないじゃないかという不満がアルヴェールにはあり、それは鋭い視線となってデストアに向けられるも、少将は意に介さず手を払ってみせた。


「チビめ、さっさと持ち場に戻れ」


 これ以上は無駄だという諦めで、アルヴェールは一礼をして立ち上がる。


 少将付士官たちが彼へと冷笑を放つなかで、女性士官のアルネ・シュトラウスだけがアルヴェールへとハンカチを差し出した。彼女はアルヴェールと同じ士官学校を出ていて、彼よりも一つ年上の先輩にあたる。


 美人で人気者だったアルネと、低身長で残念な容姿のはみ出し者アルヴェールの接点は、囲碁のサークルだった。


 旧知の間だが、この場での二人の会話は短い。


 アルヴェールは、ハンカチを受け取りながら感謝を述べる。


「先輩、すみません。ありがとうございます」

「士官学校じゃないのよ。先輩はやめなさい」

「ありがとうございます、少佐」

「洗って返して」

「……はい」

「持ち場に戻りなさい」

「はい」


 気の抜けた敬礼をしたアルヴェールは、連邦軍東部方面軍第五師団の本部幕舎から出て、副官の笑みを受けた。


「若、聞こえていましたよ」


 副官――レオンという名の彼は、精悍な顔立ちで長身の青年である。アルヴェールと年齢は同じ二十二歳で、二人は五歳から十一歳まで、机を並べて勉学に励んでいる。これは、武官であったレオンの父親が戦で亡くなり、母も既にいなかった彼を、アルヴェールの父が引き取ったのがきっかけであった。


 アルヴェールはハンカチで鼻血をふきながら、レオンに答える。


「駄目だった」

「顔、大丈夫ですか?」

「痛い。腫れてる?」

「ええ、でもそのほうが男前です」

「うるさいな」


 アルヴェールは歩きながら、副官のレオンに言う。


「さっさと撤退すべきなんだ。敵の後退はあからさまな餌じゃないか。それにこんなところで止まるなんて、相手に夜襲をかけてくれと言っているようなものだ……」

「若の心配は、敵がこちらの位置と、状態を把握して初めて成り立つんじゃないですか?」

「相手は黒太子だぞ……しかもここはイースガリア王国内。把握されていないと思うお気楽さが羨ましいよ」

「相手を大きく見過ぎるのも危険ですよ」

「あのな……」


 アルヴェールは肩越しに副官を眺めながら、歩みを止めずに言を続けようとしたが、丘陵地帯の地面は平坦ではなく、彼は歩みを乱してよろめいた。


 レオンの手が素早く伸びて、アルヴェールを助ける。


「ちゃんと前を見て、歩いてください」

「ああ……いいか? 話をして」

「前を向いたまま、どうぞ」


 アルヴェールは苦笑しつつ説明する。


「これまで優勢だった敵が、不思議な失敗をして状況が逆転し我が軍が押し返した。さらに追撃までして小さな勝利を積みあげて、王国西部一帯に進出を果たした……逆に考えるとこうだ……俺が黒太子なら、連邦領にやみくもに攻め込んでも兵站が伸びて後方部隊の負担が増えるだけ……ならばここはわざと、敵を領内にひきつけて慣れ親しんだ場所で一網打尽にしておいて、遮るものがない連邦領を一気に進み、連邦領東部の要衝ミュルーズを奪取してしまおう……と考える」

「考えるのは自由です」

「不自然なんだよ。これまでうまくやっていた敵がいきなりおかしな戦いをして、諦め早く後退、撤退だ」

「事実は神の奇跡より奇なり、と言いますよ」

「お前、俺を信用しないのか?」

「信用はしています。ですが、黒太子は若ではありません」

「……もういい」


 話すことに疲れたアルヴェールはしばらく無言となるも、夜営準備に勤しむ彼の中隊が見えてきたところで、レオンに言う。


「夜襲は明け方だろう。早く寝させて、夜中には起床させる」

「……夜襲がなかった場合、明日の行軍にひびきませんか?」

「死ぬのと、疲れるの、どっちがいい?」

「……わかりました」


 レオンはアルヴェールを認めていないわけではない。彼は少年の頃からアルヴェールと親しくしているし、今は副官としてその才能を信じている。だからこそ、彼にとってアルヴェールのような指揮官が、敵にいるというのがにわかには信じがたいのだ。


 レオンにとって、彼の若であり、学友であり、上官はそれほどに優れた若者なのである。


 二人は部隊の夜営陣地へと入った。兵たちが笑顔でアルヴェールを迎え、殴られた若君を労り、からかうような冗談を言う。


「お前ら、上官をからかうな。俺に殴られるぞ」


 アルヴェールの言いように、また皆が笑った。ここでレオンが、陣地全体に聞こえるように声をはりあげる。


「歩哨は最小限でいい! 食事をしてさっさと寝ろ! 甲冑は着たままだぞ!」


 不満の声があちらこちらからあがった。


 レオンが、アルヴェールをちらりと見て言う。


「若のご命令だ!」


 皆が、黙々と作業を再開した。


 レオンは、大樹の根元でごろ寝を始めたアルヴェールを眺めて言う。


「これで夜襲がなければ、あいつら明日は不満たらたらですよ」

「不満を言われるってことは生きてんだ。喜べ」


 アルヴェールは、目を閉じて答えた。


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