小さな籠6
燃え上がる家々を脇見に、エリスとジークの現状に不安を募らせながらエリーファは駆けていく。
魔導師に会うことは無いかと心配していたが、あの後会うことは無かった。
どうやら火の手はエリーファたちの家と反対方向に拡がっていっているようで、主要な騎士団はそちらに行っているのかもしれない。
そして、エリーファとアルバートは店の前へ着いたのだった。
店は散々な様子だった。燃えてはいないが、まるで大きなものに踏み潰されたようにひしゃげ、屋根や柱の木材がそこらじゅうに飛び散っていた。
『open』と書かれた看板が足元に転がっているのを見つけて、拾い上げる。
店の惨状に涙が出そうになるのを堪えて、辺りを見回す。
「――――おう、来たかい。」
そして、店の前に、瓦礫の影から現れる一人の男の姿があった。
真っ赤な、まるで燃え盛る炎のように逆立った、真っ赤な髪。
誰を切ったのか血塗られた真っ赤な剣に、返り血を尽く浴びた体。獣のように鋭い眼光とギザギザな歯。
どう見ても人間が普通に生きていたらこんな見た目にはならないだろう、と感じさせるに値する姿と、剣呑さを帯びている。
まるで待っていたかのような登場。その姿に怯むエリーファの中に、嫌な予感が過った。
――――もしかして、ジークもエリスも……。
頭をもたげたその予感に首を振って、その先を考えることを放棄する。
(まだ生きてる!きっとあの血は、他の人たちを切った時の血なんだ。)
そう鼓舞しながら。
そして、そいつはその口にニタリと嫌な印象の笑みを貼り付けると、口を開いた。
「もしかしたら来るんじゃないかと思ってたんだ―――逃げる可能性もあったけど、その嬢ちゃんがいたんじゃあな。」
くるくると剣を回して血を払うと、暴れ馬を手懐けるのはおまえには出来まい、と呟く。そしてそいつは訳知り顔でクツクツと笑った。
赤い髪が僅かな風に揺れて、まるで生きた炎のように動いている。
「――――おまえ、その髪……」
アルバートのその言葉に、そいつはさらに笑みを深める。
「ああ、そうさ。お前が逃げてから俺はあの実験台さ。俺はどうでもよかったんだが。」
「……っ」
男の言葉に、アルバートが痛みを受けたように呻いた。それにクツクツと笑う男。それは恨みを込めて、というよりも、純粋におかしくて笑ったように見えた。
「今更嘆いたって遅いぜ。お前のやった事は変わらない。」
2人のどこか相手を知った様子の雰囲気に、エリーファはついていけない。
「アルバート、一体誰なの?何が起きているの?」
エリーファのその言葉に、ピクリと男が反応する。
「アルバート?お前はそんなふうに名乗ってんのか。その調子じゃ嬢ちゃんの方は何も覚えてねえな。」
――――覚えて、ない?
一体なんの話しなのだろうか。
困惑するエリーファを置いて、男は喋り続ける。
「―――じゃあそっちの嬢ちゃんはなんて名前だい?」
男の言葉に、アルバートは一瞬びくりと肩を揺らすと、少し震える声で言った。
「エリーファ」
アルバートの言葉に、男が目を細める。
剣呑な瞳に、どこか憎悪が渦巻く。
「エルリ……イーファ……『永遠の命』ねぇ……大層な名前付けたじゃねぇの。」
男の瞳の中の感情が増幅するのと同時に、その笑顔が憎悪によって染まっていく。そして男は嘲るように笑った。
「申し遅れたな、嬢ちゃん。俺はヴァルゴール・エルツァヴァル。魔法騎士団1番隊隊長だ。」
男―――ヴァルゴールはそう言うと、恭しくお辞儀をした。
「ヴァルゴール・エルツァヴァル……」
「そう―――エギルロンドの赤鬼とは俺のことだ。返り血が多いからな。」
ヴァルゴールはそう呟くエリーファにそう言うと、名乗ったくせに毛ほども興味が無いと言った様子でアルバートに目を向けた。
そしてニタリと笑い、続ける。
「会えて嬉しいぜ、アルバート。それから、すまねえなぁ、俺はその嬢ちゃんを殺さなきゃならねえ。」
ピクリ、アルバートが肩を反応させる。
アルバートの顔に、初めて憤怒の表情が現れた。
相手を射殺しそうな程に込められた怒気。
その様子に気づいているのに、ヴァルゴールはそれを薄目に見ながら、見下したように続ける。
「さて、もうちょっと話したいところだが、さっさと殺してこいと王様からのお達しなんでね。行かせてもらうぜ。」
クツクツと笑い、ヴァルゴールは剣を構えた。
深く腰を落とすと、地を足で踏み締め―――そして前へ跳躍した。
一瞬で姿が見えなくなり、エリーファは状況について行けずに目を泳がせる。
何事だ―――と思う間もなく、エリーファの隣で火花が散った。
ガギン、と鉄と鉄がぶつかり合う思い音がし、突如現れたヴァルゴールがなにかに弾かれて後ろに飛び退る。
目の前には、緊張から息が上がっているのか、微かに震える手で剣を構えたアルバートの姿があった。
前に跳躍してエリーファの首を狙ったヴァルゴールの剣を、アルバートが自身の剣で弾き返したのだ。
それを理解して、エリーファの顔から血の気が引いていく。
――――もし、アルバートが居なかったなら、私は死んでいた。
実感を帯びてから体が震え出したのを見て、ヴァルゴールがあは、と笑った。
「いーいねぇ。体の硬直、それすなわち筋肉の固結。固まった筋肉を斬るのは、俺にとって快感だ。」
キヒヒヒと不快な笑い声をあげながら、ヴァルゴールが剣を構える。
血で濡れた剣が、朱色にぬらりと光った。
そして、また跳躍。姿が見えなくなるも、アルバートにはそれが見えているのか、正確に打ち合い、火花が散る。
何度目かの打ち合いになった時、アルバートが息を整え、ふぅーと深いと息を吐きながら剣を握り直した。
ヴァルゴールも跳躍をやめて、アルバートの対面で地に足を付けつつ、
「お?やっと本気になったわけかい?」
と楽しそうに言う。
「本気―――そうなのかな。」
そう言った後、アルバートは深く深く腰を落とした。
下から睨みつけるように、ヴァルゴールを見すえる。
ヴァルゴールはそれを嬉しそうに見つめ、キヒヒヒ、と笑う。そして剣を構えた。
両方が見つめあった静寂の後、同時に地を蹴った。
途端、空中や地面近くで火花が散りあう。
怒涛の連撃に次ぐ連撃。
早すぎてエリーファには見えない。
耳をつんざくような鉄と鉄のぶつかり合う音。
「昔よりは上達したらしいな―――だが、遅い!」
そう、ヴァルゴールが言った時だった。
剣戟による旋風、吹きすさぶ砂塵をエリーファが腕でガードして、その腕の合間に、エリーファはそれを見た。
「アル……!」
ヴァルゴールの剣が、アルバートの右太腿に深々と貫通している。
「っ……ぅ……」
アルバートが苦しそうに呻き、なおも持っている剣でヴァルゴールの首を狙う。
しかしヴァルゴールはその腕をやんわりと左手で受け止めて、右手に持っていたアルバートに突き刺さった剣を少し引き抜くと、
「ぁがっ……!」
再び剣を深々と太腿に刺した。
ついにヴァルゴールが剣を引き抜き、そしてアルバートの手から剣を奪い取る。
アルバートは痛みにその場に蹲り、入れ違うようにヴァルゴールが立ち上がった。
「アルバート……!」
立ち上がって近付こうとするも、その殺気に足を止めさせられた。
燃える家々を背にして、その影が深く浮かび上がる。
ヴァルゴールがぎらぎらと光る目でこちらを見ている。
ヴァルゴールはアルバートから奪った剣を瓦礫の向こう側に放り捨てると、自身の剣をくるくると回しながら近づいてくる。
「さあ、お嬢ちゃん。今度は君の番だ。」
ニタリと笑う口から、獣のようなギザギザの歯が覗く。
ヴァルゴールを渦巻く殺気に、エリーファは一瞬で動けなくなった。
ヴァルゴールが近づいてくる。
「……あ?」
しかしそれを、片足で立ち上がったアルバートがとめた。
体に抱きつき、その進行を阻害する。
「アルバート!」
思わず叫ぶ。
けれどヴァルゴールは、アルバートをいとも容易く持ち上げると、地面に叩きつけ、剣で串刺しにした。
ここからはよく見えないが、腹の当たりを刺されたように思う。
ヴァルゴールが剣を引き抜くのと同時に、地面に赤い水溜りが広がった。
「ひ……あ……」
動けない。
今すぐ動かなきゃいけないのに、体が固まったまま動けない。
ヴァルゴールはその顔に気味の悪い笑顔を貼り付けて近づいてくる。
エリーファはそれを、動けないまま見つめているしか無かった。
「ああ、そういえばここの店主と奥さん、お前の知り合いらしいね。家族とでも言うべきか―――」
ヴァルゴールが剣を振りかぶる―――。
その時だった。
ヴァルゴールが剣をとめた。
エリーファは震えながら見上げる。
するとヴァルゴールは、自分が着ていた白い外套――返り血で真っ赤だが―――
「これは魔導師が開発した亜空間に繋がるマントでね、特別性さ。」
そう言いながらヴァルゴールはマントをつまんでヒラヒラさせる。そして、なんとはなしというように―――その内側から、何かを取りだした。
―――それは。
――――ヴァルゴールが取り出した、ソレは。
「ま、あの2人は―――うるさかったから刈り取っといたよ。」
ヴァルゴールが持つのは、髪の毛―――そして、その下にはジークとエリスの顔があった。
「……!」
生首。
それは紛うことなき、ジークとエリスの首だった。
「あ……」
口を開けて呆然となるエリーファに、ヴァルゴールは剣を振り上げる。
「ま、君も天国に送ってあげるよ。」
ニタニタと笑いながら、ヴァルゴールの方から放たれた言葉。
襲ったのは―――怒り。
「あぁあああああぁぁぁああ!」
エリーファの中のあらゆる負の感情が入り乱れ、交錯し―――現れる。
その瞬間、エリーファの体が沸騰しそうに熱くなり、視界が真っ赤に染め上げられていくような錯覚を起こした。
そして、右手に浮き上がった紋章が、光を放ち始める。
茶色かったエリーファの瞳が、金色に染まった。
「なっ……」
ヴァルゴールが驚いて飛び退る。
そのヴァルゴールの体に―――エリーファはいくつもの光の筋を見た。
ヴァルゴールの体に、血管のように張り巡らされた光の筋がいくつも見える。
不思議と、すべきことは瞬時にわかった。
エリーファがソレを使おうと、手を伸ばした時だった。
「ははっ、これが覚醒か!」
ヴァルゴールがそう楽しそうに言いながら、店の瓦礫の上に飛び退る。
一瞬だけ視界から外れてしまったので、エリーファを満たす何らかの力の発動が遅れてしまった。
視界に捉えることが出来ず、手は空を切る。
再び視界に入れようとした時だった。
「こりゃ俺でも引くしかないね―――悪いけど嬢ちゃん、余興はこの辺で終わりだ。」
なおも楽しそうに笑いながら、ヴァルゴールは告げる。
「だけど覚えていな。その力は必ず戦争の火種になる。周りを巻き込む厄災になる。それを切り抜けるのは―――嬢ちゃんの気持ち次第だ。」
ヴァルゴールはそう言うと、瓦礫の向こうに消えていってしまった。
残されたエリーファは、能力の発動のせいだろう、ふと気が遠くなり、よろめく。
「――――おい!大丈夫か!」
そこに数人の人が現れた。
黒い髪に黒い目、端正な顔立ちをした男を先頭に、その集団が走ってくる。
男は倒れ込むエリーファを抱え込み、その顔を覗いた。
その首元に、銃を模した刺青があるのを見とがめると、エリーファは強制的に意識を手放した。