小さな籠5
◆
フロントタウンから帰ると、既に空は赤みを帯び、その赤は宵闇を携えて夜の闇を深めていた。
ガタガタと馬車が進む音ともに、舗装されてない道に軋み、上下に揺られる。
十数時間も馬車に揺られて腰が痛い。
いつ着くだろうかと考えていると、ふと馬車が止まった。
「ここで良かったよな?」
ジークがそう言い、エリーファの横を指し示す。刺された方向を見てみると、エリーファの家があった。
「え」
驚いていると、ジークは無表情で続けた。
「もう疲れたろう。肉は俺が店まで持っていくから、今日は帰れ。」
「え、そんな……」
言い募ろうとするエリーファを、ジークが無言の圧力で止めた。
「このまま店まで行くとお前をまた馬車で返さないといけなくなる。」
そう言われて、何も言えなくなる。
しかし、店に行ったあと荷降ろしや倉庫に詰める作業があるはずで、その重たい作業をジークがやるのは骨が折れるはずだ。エリスが加わるとしても、数時間はかかる。
2人がやれば終わらないことは無いが、どうしても手伝いたい。
しかし、馬車でまた送り返してもらわないといけないとなると、また迷惑をかけてしまう。
「そう、ですね……ぅう、ありがとうございます。」
自分の中の葛藤に軽くうなりながら馬車をおりる。
そのままあとを見送ろうとするも、馬車はなかなか進まない。
なぜだろうと頭に疑問符を浮かべていると、「これ、忘れてるぞ。」そう言って、ジークは荷台から涼やかな音のなるそれを取りだした。
「あ、風鈴……」
アルバートにお返しに買ってきた風鈴だ。
「ありがとうございます」と受けとると、ジークは馬に進む合図を出して行ってしまった。
「あ」
もうこれで手伝いは出来ないのか―――と落胆したところで、そういえば馬車で店に行ったあとは、別に家まで送ってもらわず、歩いて帰る方法もあったな、と思い出したが、時すでに遅し。
それを言えなかった自分の頭の回転の遅さに少し呆れつつも、気を使ってもらったのだろうと振り返るとじんわりと胸が暖かくなった。
◆
夜になると、アルバートが家に帰ってきた。
「おかえり!アルバート!」
嬉しさに思わず声が大きくなりつつ、後ろ手に持っていた風鈴をアルバートに渡す。
「――――風鈴か。綺麗だな。」
風鈴を上に持ち、透かしみるようにしながらそう言う。
赤色の瞳が、風鈴から漏れる光で陰影を作って、艶やかに輝く。
「アルバートが喜ぶかと思って!」
「……おう。」
そう返答するアルバートの耳は、蒸気したように赤い。
渡したこちらも確かな手応えに隠れてガッツポーズをする。
「ふふ、喜んでくれてよかった!」
そう言った後、仕事から帰ってきたので労いの言葉をかけた。
するとアルバートの耳は更に赤くなった。
何がそんなに嬉しかったのだろう、と考えつつ、単に仕事が大変だったから、労ってもらったのが嬉しかったのかな、と考える。
「さ、ご飯を食べよう。」とアルバートを食卓へ誘い、エリーファとアルバートは卓に着いた。
今日のご飯はルーデルフィッシュのスパイスグリルだ。
香辛料をつけたルーデルフィッシュを釜でこんがり焼き上げてできた逸品だ。それと一緒に、畑で取れた米もある。
アルバートと一緒に席に着くと、まず採れてきた作物たちに感謝の祈りをし、それから食べ始める。
「今日はアルはなんの仕事をしてきたの?」
ルーデルフィッシュを一欠片口に入れつつ、アルバートに問いかける。
「今日も何も変わらなかったよ。掘って掘って宝石とって、滑車に入れて、また掘って……の繰り返しさ。」
「ほかの仲間たちもそんな感じ?」
「ああ、そうだよ。全く、掘るのにはうんざりさ」
そうは言いつつも、仲間のことを語る時の顔はどこか嬉しそうで、活気がある。
アルバートも、仲間とやる仕事が楽しいんだな、と気付かされる。
エリーファも、毎日毎日大変だが、エリスやジークと共に仕事をするのは楽しい。
仕事の合間に冗談を言い合ったり、お客さんに料理を運び、喜んで食べてもらう所を見ると嬉しくてやりがいがある。
掘って掘って、うんざりだ、と言いつつも嬉しそうなアルバートは、そういったやりがいがあるのだろう。
店のことといえば、と思い出し、エリーファは口を開く。
「昨日、魔法騎士団が店まで来てね、私に用があるって言うの。何かと思って近づいたらね、右腕を持たれて、こう、じわぁっと体が熱くなってね……。」
そこまで言った時だった。
アルバートの様子がおかしいのを見て、言葉をとめた。
顔面蒼白、そう形容するのが正しいほど血の気が失われていく顔色に、何かを言いたそうにわななく唇。
「なん……で」
ようやく絞り出したその言葉は、酷くかすれていて、最初はなんと言ったのか分からなかった。
「ア……ル?」
何事か分からず問いかける私の声を無視して、アルバートががたんと立ち上がった。
机の上に置いていた調味料が倒れ、わっ、と言いつつ立て直そうとする私の腕を、アルバートが掴んだ。
「逃げるぞ!」
「え?アルバート?」
「何年も前から1人ずつ見て回ってたんだ!アイツらは速い、直ぐにこっちまで来る!!」
なんのこと、と聞こうとしたその時、きゃあああという誰かの悲鳴と、窓の外の宵闇が光るのが分かった。ぼう、と言う音と、窓の外でゆらめく光。
なにかが外で燃え上がったのだ。
アルバートはエリーファの腕を掴んだまま、家の奥へ向かうと、床に座り込んだ。
何事かと目を見張っていると、すぐさま床がアルバートによって持ち上げられた。
床の一部が扉になっていて、その下に何かあるようだった。
アルバートがそこから何かを引き出す。
「それ……」
それは、片手剣だった。
ほとんど装飾のされていない、黒い鞘に黒い持ち手の剣。
鍔の部分は銀色で、中にしまってある刀身と同じ色をしているのだろう。
「ここに来た時から、何かがあった時のために金を作って買っておいたんだ。」
床が突然抜けたことに驚き、何が何だか分からなくなるエリーファに、アルバートは口早に説明する。
そして、いくぞ、の掛け声も何も無く、アルバートは無言でエリーファの手を引き、家の外へと飛び出した。
外へ出ると、遠くの家々が燃え上がっているのが見えた。
エリーファの家からはまだ遠い。
しかし、スクラップなど燃えやすい素材でできているので、火は回りやすい。
走り出そうとするアルバート。
しかしそれとは反対に、エリーファは足を止めた。
「エリーファ?」
「あっちは……、あの方面は……」
喉が渇いて思う通りに言葉が出ない。
エリーファはその先の言葉を紡ぐことが出来なかった。
―――ジークとエリスの店が。
ジークとエリスが、あそこにいるのだ。あの火の先に。
あの火の先に、ジークとエリスの店がある。
言いたいことを察したのだろう、何も言えないでいるエリーファの肩を掴み、アルバートが無理矢理自分の方を向かせる。
「エリーファ、よく聞くんだ。もうジークさんやエリスさんの事は忘れろ、今は逃げることに専念するんだ。」
アルバートらしからぬ言葉に、エリーファは目を見張る。
普段の優しいアルバートでは無い、残酷な言葉。
「なに……それ」
思わず言葉が漏れ、それから崩壊したように言葉が溢れ出す。
「分からないよ……分からないよアル!」
見捨てろと言われたその言葉に、思わずエリーファは絶叫した。
「見捨てるなんて、そんなこと出来るわけない!そもそも私たちは何から逃げてて、今どんな状況なの?!」
「エリーファ、」
「こんな状態で、あの2人を置いて逃げるなんて、出来るわけない!」
エリーファはアルバートの腕を振りほどき、直ぐにアルバートが向かおうとしていた先とは別の方向へ走り出した。
ジークとエリスの元へ。今も火をあげる家々の先へ。
(ジークさんもエリスさんも、もしかしたらまだ生きているかもしれない!逃げ遅れているのだったら手助けしないと……!)
そう思って駆けるエリーファの目の前に、脇の家から誰かが転げるように走ってきた。
きゃああと悲鳴をあげながら、女の人が何かから逃げるようにして出てくる。
その後ろから出てきたのは―――
「待て!」
そう叫ぶ魔法騎士団だった。出てきた数は2人で、両方とも刃が血に濡れている。
立ち止まったエリーファは、直ぐにひっと悲鳴を上げて後ろに倒れ込んだ。
女の人が出てきた家の中は、2人の子供と1人の男性が血塗られた状態で倒れていた。
何かを求めるようにして伸びた腕が、こちらへと向いている。
女の人は既に背中を切りつけられており、痛みに身を悶えながら逃げているところだった。
それを、容赦なく髪の毛を掴んで引き上げると、首元を剣で掻き切った。
思わず口から悲鳴が出、目をそらす。
その声に気づいた魔道騎士団が、こちらへと目を向ける。
「お前は――――」
驚いたように息を飲むのは、昨日の昼、エリーファに向かって剣を抜き出そうとしたあの魔導師だった。その隣にいるのは、それを止めた魔導師だ。
今度はもう、その魔道士も相手をとめない。
魔導師がギラつく目でエリーファを見咎める。
「ここで出会ったのもなにかの運命―――いや、太陽神ツェネガ様が味方してくださっんだな。」
最初に言った言葉に首を振りつつ、最後にそう言うと、魔道士がスラリと剣を抜く。
スローモーション。
全てが遅れて見えた。
遠くの火に反射し、刀身を滑るその光も、魔道士が嬉しそうに笑うその口も。
魔導師が剣を上段に構える。このまま切り下ろしてエリーファを真っ二つにするつもりだ。
それを見た瞬間、エリーファの息が一気に上がり、恐怖から目を離せなくなった。
身体中から汗が吹き出て、目の前がチカチカする。
ニタリと笑う口元から、ふっと短く息が吐かれたかと思うと、魔導師が剣を振りかぶった。
これで私の人生も終わりか―――そう思った時だった。
エリーファの周りを旋風が吹き荒れたかと思うと、目の前の魔導師が首と腹の当たりを斜めに斬られていた。
エリーファの長い髪が風に攫われて目の前の視界を覆い尽くす。
一陣の風が収まったかと思うと、
斬られた魔導士の後ろで驚いたように立ち尽くすもう1人の魔道士も、首を掻き切られその場に倒れた。
はっはっ、と短い息が口から漏れる。
髪の毛が風から戻ってきた時、その時には、目の前で剣を降って血を払うアルバートの背中があった。
「アルバート……?」
――――信じられなかった。
何が起きたのか分からなかった。
アルバートが魔導師2人をあの一瞬で始末したのだ。
エリーファの周りで起きたと思われた旋風は、アルバートが後ろから剣をかまえ、踏み出した時の勢いの風だ。
アルバートは少しも焦った様子のない、妙に静かな面持ちで振り返ると、
「道は俺が作る。エリーファは心配せずに行け。」
と告げた。
未だ震えの止まらぬ体を何とか落ち着けようとするエリーファに、アルバートが手を差し出す。
その手を取ると、エリーファは立ち上がった。
ガクガクと膝が震える。
「大丈夫か?」
「大丈夫かと言われれば、それは……」
口ごもる言葉も震えているのを見て、アルバートが突然、手を振りかぶったかと思うと、エリーファの背中を叩いた。
「わっ?!ちょちょ、ちょーっと何するのです?!」
「『きつけ』だ、良くなったろ?」
語尾がおかしくなってしまったエリーファに、アルバートが無表情でそう言う。
言われてみれば収まった気もするがなんだか手荒すぎるし、無表情で言うのは天然かなにかか?と思いつつ立ち直す。
まだ少し震えはあるが、地に足付けられたことで安堵する。
「ありがとう。さあ、早く行こう!」
そう叫ぶと、エリーファは走り出していた。