第97話 右近
「おはよ」
「おう、おはよ」
駐輪場で待って、数分の後に姿を見せた右近に、雪華は笑って声をかけた。
「今日で一学期終わりだね」
自然な距離で隣に立ち、歩幅を合わせて歩く。
そのことが違和感なくできてしまう。
これも『あたたかさ』のひとつだろうか。
「ようやく夏休みだ……けど、ゆっくり出来るってわけでもないんだよなぁ」
「どうして?」
雪華が首を傾げると、右近は苦笑した。
「父さんに引きずり回されるからさ。学校が休みだから付き合え、って言って、車中泊上等で日本を半周した年もあったし、ひたすら農作業を手伝わされた年もあったし……長期休みの方が忙しい可能性があるんだよ、ウチの場合」
その光景が鮮やかに想像できて、雪華は声を出して笑ってしまった。
「笑い事じゃないんだって。下手すりゃ虐待だぞ、虐待」
「じゃあ、その間の動物のお世話は、ボランティアが必要になるかもね」
目を細めて笑う雪華を見て、右近が頬を赤くする。
「ま、まぁ、そうなるかもな。誰かが手伝ってくれれば、ありがたいところだ」
「ふ~ん……」
雪華が右近の顔を覗き込む。
「『誰か』ですか」
「……た、例えば、その、雪華とかな」
「誰でもいいけど、私でもいいってことかぁ。私って安い女だなぁ」
意地悪く笑う雪華に、今度は右近の耳が赤くなる。
「あ~、アッツいアッツい。今年の夏は暑くなりそうだ~」
わざとらしい声は、後ろから歩いてきた牡丹のものだった。
「局所的な猛暑には気をつけなくちゃいけないわね」
続けて紅葉の声がした。
「あ、雪華おはよー。気づかなかったなー」
「わざとらしいってば、もう」
「朝から距離が近いからよ、あなたたちの」
追い抜きざまに紅葉が笑う。
思わず、雪華と右近が顔を見合わせる。
「そ、そういえばさ」
右近が、目をそらしながら言葉を次ぐ。
「明日、宵宮だろ」
「そだね」
「雪華は、友達と行くのか」
「ううん、私は……」
右近の方は見ず、前を見ながら言葉を紡ぐ。
「話が合う人と行きたいな、と思ってる」
「へぇ……」
それだけ言って、右近は黙ってしまった。
それぞれの下足箱は離れているので、自然と別々になる。
前を言っていた牡丹、紅葉がよけるのを少し待って、雪華も靴を履き替える。
そしてまた、右近と合流した。
右近は、近くをさっと見渡して、ひとつ息を飲んで、頬を掻いて、雪華を見た。
「俺、立候補していいか?」
右近の健康的な肌の色に赤が差す。
ただ、自分も同じようになっている可能性はあるな、と雪華は小さく自覚していた
「いいよ」
ふたりの朝の会話は、そこで終わった。
教室についてからも、言葉は交わさずに目と手振りだけでコミュニケーションをして、雪華は先に教室に入った。
「待て待て待て待て!」
入り際、藤助の大声が駆け抜けてきた。
「いつからそういうことになったんだよ!」
「別にどうもなってないって言ってるだろう」
相手は蔵人だった。
「そんなことあるかよ、お前が牡丹ちゃんと二人で宵宮に行くってことは、つまりそういうことだろうが!」
「声が大きいってば! 蔵人もわざわざ正直に言わなきゃいいでしょ!」
牡丹が声を張っている。
「まだ付き合ってるわけではないし――」
「ほら、『まだ』っつったぞ! 『まだ』ってことは、これからそうなるってことだろが!」
あ~、と額に手を当てて藤助が悲劇のヒロインよろしく足元をふらつかせる。
「俺とお前と帝とは、雪華ちゃんと添い遂げられなかったブラザーズとして末永くやっていけると思ったのに……この、裏切り者!」
朝から元気いっぱいに公演され始めた藤助劇場に、クラスの男子も女子も、声を上げて笑っている。
助演の蔵人は呆れたような顔をしながらも、口元は笑っている。
「お前が勝手にフラれただけで、勝手に俺を巻き込むなよ」
「っかー、マジかお前、そういうこと言うか? 帝だってどうせ纏ちゃんとラブラブするんだろうし……」
藤助の視線が、牡丹を通り過ぎて紅葉へと流れる。
「ね、もみ――」
「駄目。無理。却下。論外」
すげなく言い放って、紅葉は心底迷惑そうな表情で応えた。
「あなたと二人で出かけるくらいなら、雪華とでも行くわ」
「いや、急に私を巻き込まないでよ。しかも仕方なく、みたいな……」
思わず言葉が口を次いだ。
自然と、クラス中の視線が雪華に注がれる。
「えっと……おはよう?」
雪華が挨拶を口にすると、タイミングよくチャイムが鳴った。
それぞれに、自席に腰を下ろす。
だが、いつもとは違ってどことなく皆が気忙しい雰囲気で、近くの席の生徒としきりに話を止めないままでいる。
話題は、翌日の夕方、宵宮での過ごし方についてばかりだった。




