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第92話 桜

「ねぇねぇ、あの話、聞いた?」

「ああ、あの駅前のでしょ。確か、西横ボーイズっていうヤカラ集団の一部が、急に駅のラクガキ消したり、ゴミ拾いを始めたりしたって」

「そうそう。ほら、私の親戚に警察がいるって言ってたでしょ。その人から聞いたんだけど、なんか、今後は青少年の補導にも積極的に関わらせてほしいって頭下げに来たんだって」

「うわ~、何ソレ。何がどうなれば、そんなふうに人生180度変わるのかな」

「さぁ……全員でドラッグやって、その副作用で人格が変わっちゃったとかじゃないの」

「何ソレ、さすがにありえないでしょ」


 喫茶『シャングリラ』で紅茶とケーキを楽しみながら、二人組の女性客が談笑している。

 その二人に限らず、その日の客は、というよりもこの一週間で訪れた客は、結構な割合で同じ話題で盛り上がっていた。


「雪っちゃん、なんだか嬉しそうー」


 桜がニコニコして、カウンター向こうの雪華に声をかけた。


「そう? いつも通りだけど」


 夏の体育祭、その裏での出来事が、多くの客の関心ごとの背景にあることは明らかだった。

 どうやら、首筋への剣閃は、彼らの人生をひっくり返すには十分な威力を持っていたらしい。

 もしかして、世の中で悪行を働く連中を全員剣で叩きのめしたら、世直しが出来ちゃったりするんじゃなかろうか。

 そんな風に夢想すると、ついつい、顔がほころんでしまう。


「夏の体育祭をサボって、一皮剥けたんだねー」


 屈託のない桜の笑顔とは裏腹に、雪華の視界の端にいる両親の目は穏やかでない。

 無断欠席したことは、当然のように親に連絡がいってバレた。

 公園で寝ていたという言い訳を信じたか信じなかったか、両親は怒ることはしなかったが、真剣に心配してくれたことが雪華の胸にはことさら痛かった。


「そんなに疲れがたまってるなんて、気付いてあげられなくてごめんね。家の手伝いも、ちょっとセーブしなくちゃね」


 とりあえず、当面は門限が厳しくなった。

 早く帰って、睡眠時間を確保しろ、ということだ。

 家の手伝いも時間を制限されることになってしまった。

 ボランティアも、自然、控えることを余儀なくされた。


「まぁ、それくらいで済んでよかったじゃん」


 電話先で、右近は笑っていた。


「会える回数が減るのは、ちょっと寂しいけどな」


 そう言われて、雪華は耳まで熱くなったのを感じたが、右近がどういう顔で言ったのかは分からなかった。

 それにしても、だ。

 例の日、右近が自分にかけた一言を、確かめたかった。

 「好き」という言葉を口にしたとは思うのだけれど――


「桜っちゃん、その話題はちょっと……」

「えへへ、急成長する親友の弱点を掴んで、おねーさんは嬉しいなー」


 ニコニコ笑いながら、桜がコーヒーを一口飲む。

 彼女なりに元気づけようとしているのは、雪華にも分かっていた。

 雪華が店に出ている短時間を見計らって来店し、こうして話す時間をつくってくれているのだから。


「それにしてもすっかりハマったみたいだね」

「うん、すっかり気に入っちゃったよー。コーヒーに練乳を入れるなんて、考えた人は天才だねー」


 そういうメニューとして、店に出しているわけではない。

 常連の――といっても、こうして話をするくらいの人に限られるが、お試しにということで提供しているのだ。

 父も、そういう飲み方があるのは知っていたが、これまで実践しようとは思っていなかったらしく、雪華がこれを提案すると乗り気になってくれた。


「でも、飲みすぎると、秋になる前に体が大きくなっちゃうかもね~」

「あ、そーゆーことを言うかー。確かに、ちょっと運動不足は否めないけどー」

「私とランニングする?」

「昔の雪っちゃんならまだしも、今の雪っちゃんと一緒に走るのは無理だよー」


 甘いコーヒーを一口すすり、桜が微笑む。


「一緒と言えば、中学生のときは宵宮にも行ったよねー」

「あ~……そうだったね」


 右近との会話で宵宮という言葉が登場したあと、『雪華』の日記を読み直すと、確かに何度か登場していた言葉だった。

 なんでも、小山の上の社に男女二人連れ立って行くと、縁が深まるという言い伝えがあるらしい。

 去年は桜が同級生と一緒に行くということになり、『雪華』は出かけずに一人家で過ごしていたらしかった。


「桜っちゃんは、今年はどうするの? やっぱり、高校の友達と?」

「んー……考え中なんだよねー」


 桜が口をへの字にして上を向く。


「考え中?」

「うんー……3年生の男の子から、来週末、一緒にどうですかって言われちゃってー……でも、2年生の男の子からもふたり、誘われてるんだよねー」

「それはまた……さすが桜っちゃんだね」


 あらためて『雪華』の日記を読み返して分かったことだが、桜は、小さい頃からずっと異性を惹きつけている。

 彼女が狙ってそうしようとしているわけではないようなのだが、これまでに結構な数の男子がアプローチしているようだ。

 そして、彼女と一緒の『お出かけ』を獲得した男の子たちは、千載一遇のチャンスにことごとく空回りし、二度目にこぎつけないで終わっている。


「どの人と行くか、考え中なんだ?」

「ううん……でも、私は雪っちゃんみたいに乙女モードになってないからなー、って。どっちに行きたいか分からない内は、どっちに行っても大差ないでしょー?」


 ふむ、と雪華はこくこくと頷く。

 やっぱり、ゆったりした喋り方に反して、この子は鋭い。

 それは置いておいて、だ。


「私が乙女モードっていうのは、もう確定してるんだね」

「それは、雪っちゃんだって自分で分かってるでしょー?」


 あはは、と笑ってから、一拍置いて、桜が真剣な表情をつくった。

 それに合わせて、雪華も彼女を見つめて耳を傾ける。


「だから、雪っちゃん。自分の気持ちをしっかりと伝えることって大切だと思うよ」

「ん……」

「好きになったことを伝えたほうがいい相手って、その本人だけとは限らないし」


 雪華がハッとするのを見つめながら、桜が続けた。


「思わせぶりにしたり、気があるような素振りをするのは、深く相手を傷つけるから……雪っちゃんは、そうならないようにしてあげてね」


 穏やかな目、穏やかな口調で、しかしはっきりと、桜は言った。


「……そう、だね。言ってくれて、ありがとう」

「うん。頑張ってねー、雪っちゃん」


 桜は、飲み干したカップをカウンターの上に乗せた。

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