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第82話 雨

 雨脚は少し緩まってはいたが、傘を差さずに帰れそうな感じでもない。

 雪華は時計を見て、まだ急いで帰らなければならないほどの時間ではないことを確認し、バッグを肩から下ろした。


「夏の体育祭の話、聞いた?」

「ああ、聞いた聞いた。面白いこと考えるよな。60分ぴったりで走るのが目標ってことは、足が速い奴が勝ちっていうわけでもないってことだもんな」


 右近も、バッグを床に置いた。


「走るのが得意な人も苦手な人も参加できそうだもんね。実際、私の友達もそれぞれ違うコースにするって言ってたし……ただ、ゴール付近がものすごく渋滞になるだろうけど」

「雪華は?」


 問われて、雪華は口を閉じたまま、んー、と声を漏らす。


「考え中。いつも走ってる距離からいくと8キロかな、とは思ってるけど……右近は?」

「俺は、長距離苦手だからなぁ」

「春の体育祭で、いい成績残してたのに?」

「あれはたまたまだよ」


 右近が照れた顔をして笑う。


「昔から山で遊んでるから、飛んだり跳ねたりはわりと得意ってだけで。足の速さだけで言えば、D組には他に速い奴がいるし、俺も特に出来るスポーツがあるっていうわけでもないしなぁ」

「そうなんだ。それじゃあ、どうして春は選抜メンバーになったの?」

「……選手決めの日に休んだから」


 ああ、と雪華は得心した。


「勝手に決められちゃったわけか」

「まぁ、選ばれたからにはやろうとは思ってたんだけどな。でも、ちょうどウチで預かってる猫が調子悪くなって、高跳びには間に合ったけど、やっぱり気になって帰っちまって……Dの連中には、だいぶ言われたけど、まぁ勝手に決めた方も悪いよなって笑い話になって終わったよ」


 想像してみると、それほど悪い雰囲気のクラスには思えない。

 さっきの作州先生の言葉を信じれば、その雰囲気をつくっているのが右近ということなのだろう。


「てなことで、俺も8キロか、12キロかな、とは思ってたよ」

「それじゃ――」


 一緒に走らない? と言いかけて、雪華は止まった。

 なぜ、と問われたときに、どう答えたらいいだろう。

 そもそも、一緒に走ってどうするつもりなのか。


「一緒に走るか?」

「え?」


 分かりやすく驚きの表情を浮かべて、雪華が右近を見る。


「あ、いや、例えばの話というか、せっかくだからっていうか、話の流れ的にっていうか……」


 今度は右近が慌てた表情で、耳を赤くしてうろたえる。


「でも、クラスが違うのに一緒に走るのもおかしな話だな、そうだよな」


 照れくさそうに笑って、右近が頭を掻く。

 雪華もなぜか恥ずかしさを感じて笑いながら、右近の顔を見る。

 気が合う、というのはこういうことなのだろうか。

 タイ焼きの中身の話も、他のいくつかの話も、何かと同じ答えに至る。


「ことごとく意見が合わないものよな、我らは」


 そんな言葉を、かつて、アランデュカスに言われたことを思い出す。

 その話題がなんであったかも、彼の顔がどうであったかも、もうおぼろげだ。

 ただ、何かにつけて趣味嗜好が異なって、その度に、他人なのだから当たり前だ、と思っていた。

 でも、違った。

 自分と右近は、何かとても近い感覚があるような気がする。


「私も」


 右近を見ながら、雪華は口を開いた。

 彼は前を向きながら、視線だけ雪華に移した。


「一緒に走ろうか、って、さっき言いかけた。先に言われたけど」


 右近の口元が笑みの形に曲がる。


「勝負してみるのも面白いかもね」


 自分でも思っていなかった言葉が口を次いで出る。


「単純に速さを競うわけじゃないから、どんな人とでも勝負になるわけでしょ」


 まともにやったら私が勝っちゃうけど、という言葉は飲み込んだ。


「単純に速さを競ったら私が勝っちゃうけど、とでも言いたげだな」


 右近がにやりと笑って見せた。

 ほら、また同じ発想に行きついた。

 それが、なんだか心地いい。


「まぁね。これでも私、春の体育祭では大活躍してるもの」

「そこまで言われると、こっちも引くわけには行かないかぁ。じゃあ、エントリーは8キロにして、滅茶苦茶細かいタイムまで測って勝負だな」

「じゃあ、勝負して私がもしも負けたら――」

「あー、ダメダメ、そういうのはナシ」


 手振りを加えながら、右近が笑う。


「勝負事って、純粋にやるからこそ面白いと思うんだ」


 へぇ、と曖昧な相槌を打つ雪華に、右近が続ける。


「じゃんけんだってビンゴだって、ただやるだけで十分面白いけど、景品がついたら欲が絡んでいろんな感情が出てきちゃうだろ? だから、シンプルにやろう」


 ふふ、と笑って雪華が頷く。

 取引だ、勝負だ、陰謀だと気忙しかった春の体育祭が、すっかり過去のものになった感じがした。


「お……雨、上がったか?」


 右近に言われて外を見ると、たしかに空の明るさが少し増したようだった。


「そうだね、じゃあ――」


 雪華は右近と目が合って、同時に立ち、そのまま玄関で靴を履き替えて駐輪場で合流した。

 そしてどちらとも何も言わず、同じ方向に向かってペダルをこぎ始めた。

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