第81話 傘
「やまないなぁ……」
放課後の教室で、雪華は独りごちた。
天気予報では一日中晴れだと言っていたのに、午後になってから降り出した雨は勢いをそのままに振り続けている。
自転車を置いて歩いて帰ろうにも、傘がない。
部活がある牡丹と紅葉はさっさと行ってしまったし、車の迎えが頼めるクラスメイトはどんどん帰っていった。
さようなら、から30分は経とうとしているが、どうしたものか。
「仕方ない」
職員室で傘を借りて、歩いて帰るとしよう。
晴れていれば丹下村に行って時間を過ごすつもりだったが、とても行けそうにない。
「あ、そうだ」
雪華はバッグからスマホを取り出し、連絡先から右近の番号を探した。
メッセージを送るだけでもいいのだが、直接話した方が早いし、楽だ。
「もしもし、雪華か?」
「うん、私。今日、雨だから行けないな、と思って」
「ああ、そうだろうな。今、まだ学校?」
「うん、雨が止んだら出ようと思ったんだけど、止みそうにないし」
「それで、どうするんだ?」
「職員室に行って、傘を借りようかなって――」
コンコン、と教室の扉がノックされる音がした。
見ると、右近が立っている。
通話を切り、そこに向かう。
「よっ」
「何してるの、こんなところで?」
「居残り課題」
なぜか自慢げに人差し指と中指を立てて見せた右近に、雪華は笑ってしまった。
「終わったの?」
「あぁ、楽勝だよ」
「まともに学校に来ていれば、そもそも残らずに済んどるんだぞ、丹下」
右近の後ろから、野太い声が響いた。
学年で物理を担当している、作州という名の強面の先生だ。
顔だけで嫌い怖いはないのだが、どうにも前世の頑健な大臣の雰囲気とだぶってしまって、雪華はなんとなく苦手意識をもっていた。
「まったく、持っとるものは悪くないというのに……ん?」
右近の話し相手が雪華だと気づき、物理教師は肩眉を上げた。
「真木か」
「ど、どうも」
「お前も居残り……なはずがないか。出来がいいからな」
「どーもスミマセンね、出来が悪くって」
腕を組んで笑って見せる右近に、作州も笑った。
「そうは言っとらんだろう。曲者ぞろいのD組がそれなりに和気あいあいとしていられるのは、丹下のキャラクターによるところも多いと思っとるぞ、俺は」
「へぇ……」
雪華が右近をまじまじと見る。
「そういうキャラなんだ」
「どういうキャラだと思ってたんだよ」
顔を合わせて笑う二人を見て、作州がにやりとした。
「意外なもんだな。真木と丹下がなぁ」
何か一人合点して、彼は歩いて行ってしまった。
「あ、失敗した」
「ん?」
「今、作州先生に傘のコトお願いすればよかった」
紅葉の言う通り、気が抜けているのかもしれない。
昔は――と言ってもラシャンテだった頃のことだが、抜け目のない王女だと評されていたというのに。
「それなら、ホラ」
言いながら、右近がバッグから折り畳み傘をひとつ取り出した。
「これ使え」
「……右近は?」
「もう一個あるから、大丈夫だ」
右近の笑顔がぎこちないように見える。
「どこに?」
「え?」
「だから、もうひとつの傘は、どこにあるの?」
雪華がじっと右近を見る。
一瞬視線をそらしかけ、踏みとどまったように右近が雪華を見返す。
「玄関」
「ふ~ん……」
雪華はバッグを背負いなおし、教室から一歩出た。
そして、横目で右近に笑って見せる。
「じゃ、一緒に玄関に行こう」
「え、いや……」
「居残りは終わったんでしょ? じゃ、早く帰らなくっちゃ」
足早に玄関に向かう雪華に、一拍遅れて右近もついて歩く。
そして玄関に着き、空っぽの傘置き場を見てから、雪華は右近に向き直った。
明るい表情で、しかしじっと視線を送り続ける雪華に、右近が頭を掻く。
「え~と……盗られた、かな?」
「わー、それはタイヘンだー。じゃあ、すぐにでも先生の所に――」
「分かった、分かったって! ないよ、それ一本だけだ」
観念して両手を上げて見せた右近に、雪華が苦笑して言葉を次ぐ。
「一本しかない傘を私に貸して、右近はどうするつもりだったの?」
「ま、全速力でチャリ漕いだら、なんとかなるだろ」
ハハハと笑う右近に、雪華もつられてまた笑ってしまう。
「それに、雨に打たれるってのも、結構悪くないもんだぞ」
「いくら気温が高くったって、ずぶ濡れになったらさすがに体を壊すと思うけど」
笑いながら首を傾げる雪華に、右近が得意気な顔を見せる。
「雨を感じられる人もいれば、ただ濡れるだけの人もいる、ってことだ」
「詩人なんだね、意外と」
「意外と、は余計だって」
二人で笑い声をあげてから、雪華が言葉を紡ぐ。
「でも、私が職員室で借りれば済む話なんだから、そんな風にする必要なかったじゃない」
「まぁ、それはそうなんだけどな」
右近が口元に手を当てて、視線を横に移す。
何か言おうとして迷っているときのクセだ。
これまでにも何度か、目にしていた。
「どうして?」
右近がこうなったときは、こちらから質問を重ねた方がいい。
これまでの何度かで、そうだったように。
案の定、右近は観念したかのように口元から手を放し、頭を掻きながら口を開いた。
「まぁ、つまり、あれだよ。ちょっと、カッコつけてみようかな、と思ってさ」
「ずぶ濡れになって帰るのが、カッコいいの?」
「そっちじゃなくて。ひとつしかない傘を女の子に貸していくって、ちょっとカッコいいかな、と思ったんだよ。まぁ、たしかにそのあとずぶ濡れになって帰る、っていうところまでがセットではあるな」
こっちの世界では、そういうものなのだろうか。
自己犠牲の精神が美しい、という発想は前世でもあったから、分からなくはないかもしれない。
「それじゃ、今からそういうふうにする?」
「いや、バレた状態でやったらおかしいだろ、そりゃ」
「それもそうか」
ふたりはまた笑い、どちらからともなく、玄関近くにあるベンチに腰を下ろした。
ブックマークと評価をしてくださった(ている)方、ありがとうございます。
ブックマーク登録が50を超えたのは初めてだったので、とても嬉しかったです。
今作は100で完結。
そこまで既に書き終えてあるので、残り20話、最後までお付き合いいただければ幸いです。
次作はブックマーク100を突破できるよう精進してまいります。