第77話 呼称
右近の所にボランティアとしていくのは、月・水・金の三日間ということに決め、雪華はパターン化することにした。
特にそうしなければならないということはなかったのだが、そうした方が両親に余計な心配をかけなくてすむ、と思ったのが最大の理由だった。
自然、それらの日以外は喫茶『シャングリラ』のホールに立ったりキッチンに入ったりすることになるのだが、どうやらその流れを掴んだらしい藤助が、合わせて顔を出すようになった。
「毎週来ていただけるのは、お店としてはありがたいんだけどね」
コーヒーを提供しながら、雪華が小さく息をつく。
「お財布は大丈夫なの?」
同じ高校生だというのに、随分差があるものだと雪華は思う。
比較対象として頭に浮かんでいたのは、自分ではなくて、右近だ。
彼がもしも裕福だったら、こうして毎週のように会いに来てくれるのだろうか。
――――?
――「会いに来てくれるのだろうか」?
こんな風に、特定の誰かが来てくれることを待ち望んだことなんて、今までにあったっけ……?
「こう見えて」
藤助の声にハッと我に返る。
「湊屋の跡取り息子だからね。あちこちで美味いものを食べて味覚を磨くようにと、飲食に使うお金は潤沢に持たされてるのよ、俺」
それに、と藤助は口を次ぐ。
「ちょっと気になることもあってね」
腕を組んで口を尖らせる藤助に、雪華は首を傾げた。
「小耳に挟んだことがあってさ」
「何?」
「いやさ、ちょっと前から、学校が終わってすぐにココに来てるのに、雪華ちゃんに会えないな~って思ってたんだよ。部活もやってないのになにしてんだろうって」
「それで?」
「それで、牡丹ちゃんと紅葉ちゃんに聞いたら、なにやら男の影がちらついてる感じがしてさ」
藤助が腕組みをほどき、両手を頭の後ろに回した。
「俺という男がありながら、まさか雪華ちゃんが外で男をつくるはずはないと思いながら――」
「ちょっとちょっと、人聞きの悪いこと言わないでよ。別に藤助くんとお付き合いしてるわけでもないし、それに右近は――」
「えっ!?」
藤助がカウンターに前のめりになる。
「今、う、うこんって言った?」
「言ったけど……どうかした?」
リリン、とドアベルが鳴った。
入ってきたのは、桜だった。
店内を見渡し、いつもの席が空いているのを確かめて、桜はまっすぐそこに向かう。
これまでにも何度かそうだったように、桜と藤助が並び、カウンターを挟んだ側に雪華が立つ構図になる。
「ひさしぶりー。藤助くん、少し見ない間に面白い顔になったねー」
座るなり、桜がアハハと笑った。
「そういえば、桜っちゃんがウチに来るのも久しぶり?」
「ううん、週に一回くらいは来てたけど、雪っちゃんには会えなかったんだよねー。ボランティアで忙しそうにしてるって雪っちゃんのママからは聞いてたけど」
「そう、それなんだよ、桜ちゃん!」
藤助が言葉を挟み、桜がきょとんとした顔でそちらを見る。
「実は、雪華ちゃんがボランティアで動物の世話をしにいってるらしいんだけど、驚いたことに、そこの男の名前を、よ、よ、呼び捨てにしたんだって!」
「雪っちゃん、ジンジャーエールもらっていーい?」
「珍しいね。いつもはアイスコーヒーなのに」
「うん、さすがに今日の暑さだと、シュワシュワしたのを飲みたいな~って」
大袈裟な身振りのまま動きを止めた藤助を尻目に、雪華が出した冷えた炭酸を、桜がストローから口に含む。
「ふ~、この一杯のために生きてるわー」
「親父かよっ!……って、そうじゃなくて」
静止していた藤助が、途端に動き出す。
「桜ちゃん、俺の話聞いてた? 雪華ちゃんが動物ボランティアに行ってて、そこの男のことを――」
「驚きだねー。雪っちゃん、動物を飼いたいとは行ってたけど、そこまでとは思わなかったよー」
「そうそう、雪華ちゃんが水族館で楽しそうにしてたとはいえ、まさか陸の動物にまでとは……って、そうじゃなくて――」
「う~ん、男子の名前を呼び捨てにねー」
桜が腕を組み、目をつぶった。
すっかりペースを乱されたらしい藤助は、口をあわあわと動かすが、声は出てこない。
「それはもう、乙女モードだなー」
「乙女モード?」
問いを口にしたのは藤助ではなく、雪華本人だった。
「こうなっちゃうと、おねーさんは心配だなー」
「……前にも、そんなコトあったっけ?」
いつから桜が自分のお姉さんになったんだろうという疑問を飲み込みながら、恐る恐る、雪華が尋ねた。