第67話 吐露
「こんな部屋があったの、知らなかったな」
放課後になって纏についていった先には、相談室という小部屋があった。
普段の生活では目にすることのない場所にあり、同じような部屋のドアが複数並んでいた。
「許可をもらっている生徒は、使っていいことになっているの」
「許可?」
「多額の寄付金よ」
なるほど、と雪華は頷きながら、じっと纏の言葉を待った。
そもそも、部屋に来ても何も話そうとしないから、こちらが気を遣ってどうでもいい話題を振っただけのことだ。
それからさらに少しの沈黙があって、ようやく、纏が雪華を見た。
「あなたは、どういう人間を目指しているの?」
唐突な問いに、雪華も答えに窮した。
以前なら、女王にふさわしい人物だ、と即答しただろう。
あるいは、歴史に名を刻む偉大な人物だ、とでも言ったかもしれない。
だが、今の雪華にとって、それらの答えは過去のものだ。
「……抽象的な質問には、答えも抽象的になるけど」
言いながら、自分の中で答えを組み立てる。
あなたなんかに答える必要ないでしょ。
これまでに私(達)に何をしたのか、覚えてないの。
顔洗って出直してこい、バーカ。
いくつかの答えが頭をよぎるが、それらはきちんと胸の奥に押し込んだ。
「いいわ、それでも」
纏の真剣な目を受け止めて、雪華は口を開く。
纏の顔は、殊勝な、というよりも、もはや悲痛な、といってもいいような顔つきだった。
「善良な人間になりたい、と思ってる」
「なぜ、と聞いてもいいかしら」
真正直に言うわけにもいかない。
「そうでなければ、悲惨な最期を迎えることになる……気がするから」
「そう」
纏は目を伏せた。
「参考にさせてもらうわ」
「そっか」
小部屋を沈黙が包む。
「何も聞かないのね」
纏がぽつりと言った。
その目は、今にも泣きだしそうなほどに、弱い。
「疑問はいくつもあるけど、それを聞くべきかどうかが私には分からないから」
澄まし顔で、雪華は言葉を紡いだ。
「ほかに用がないなら、もう行くね」
「待って」
踵を返しかけた雪華に、纏が口を開く。
何か、決意めいた表情だった。
「あなた自身は、帝様のことを、どう思っているの」
振り返る途中で止まったせいで、雪華の視線は纏から外れていた。
何も貼られていないベージュの壁を見て、雪華は答えを探す。
また少しの間沈黙が小部屋を包んで、雪華は小さく口を開けた。
「クラスメイト」
「え?」
「クラスメイトだよ。一緒に授業を受けて、一緒に行事に参加する。機会があれば学校外で会うこともあるけど、そこに大きな意味はない」
雪華はかすかに笑って、視線を纏に移した。
「帝くんが私のことを気にしているように感じているなら、それは纏さんが心配しているようなことじゃないよ。彼が気になっていることの答えを、私がもったいぶって教えなかったからでしかない」
首を傾げる纏に、雪華は言葉を次ぐ。
「教室に待たせてるんでしょ、帝くん」
「え、ええ……」
「それじゃ、今から行って、彼の疑問をスッキリさせよう。それで、彼もあなたも、気が晴れると思うから」
纏の答えを待たずに、雪華は相談室を出た。
纏は、その数歩後ろをついていく。
放課後の活動で往来のある廊下を通って、教室にたどり着く。
教室には、帝のほかに、舞と栞、牡丹と紅葉、そして数人のクラスメイトがいた。
帰ってきた二人に、自然と視線が集まる。
「帝くん!」
少し距離が離れたまま、雪華は声をかけた。
帝は何も言わず、目の動きだけで応える。
すぐそばにいる舞が、どこか緊張した面持ちになっていた。
「『プリンセス☆レボリューション』っていうゲーム知ってる?」
「……いや、知らないが」
「それに出てくる言葉だよ」
帝が、目を大きく見開いた。
舞や栞はなんのことか分からなかったようで、互いに目を合わせて首を傾げた。
「はい、これでおしまい」
雪華は牡丹と紅葉の方に向き直り、笑顔を見せた。
「待っててくれてありがと。でも、見てのとおり、なにも問題はなかったから」
ふたりとも、安心した表情で笑った。
「まぁ、別に心配して待ってたわけじゃなくて、雪華の悪口を言ってただけだけどね」
「悪口?」
「そうそう、完璧超人だと思ってたけど、ひとつだけ弱点を発見したんだよね~」
「弱点? 何?」
雪華の言葉を無視して、二人が同時に立ち上がる。
「部活サボる口実になるかと思ったけど、そうそううまくはいかないか~」
牡丹がぐぐっと体を伸ばして言った。
「私はこのままサボって今日は帰ろうかな……いや、でもな……」
紅葉が言う。
「ちょっと、私の弱点って何? ねぇってば!」
雪華は二人を追いかけるように教室を出た。
教室に残された纏のもとに、舞と栞がすぐに駆け寄る。
早口に問いただされた纏は、曖昧に返事をするだけだった。
帝は、黙って教室の出入り口を見つめていた。