第66話 陰謀
「醜聞を広めて、彼女が王室にふさわしくないことを知らしめるしかないぞ」
その『ルート』では、義妹は隣国の王子と友情を結び、天才錬金術師ソッガ、市民の星チキートともしっかりと交友を深め、民衆を味方につけていた。
さらに義妹は、剣聖の弟子リゾビーノと恋仲になっていた。
この若き天才は、単身でドラゴンを倒した功績をたたえられて、英雄として祭り上げられていたため、彼が義妹への愛を公言すると、民衆は一気に彼を次の王へと推した。
義妹の評判が高まるにつれ、姉姫を女王にという声は劣勢になった。
「でも、向こうには、あの剣聖の弟子がいるのよ。民は、みな彼を讃えているわ。彼が偉業を成し遂げたことは周知の事実なのに、どうすれば……」
「なぁに、手はいくらでもあるさ」
爪を噛むラシャンテに、アランデュカスは口元を歪めた。
策を弄することを不得手としていたラシャンテに代わって、婚約者はすぐに動いた。
破落戸を囲い、酒場から義妹のあらぬ噂を流させた。
剣聖の弟子とともに国内を周遊させ、行程の情報を盗賊に伝えた。
山中の魔獣の巣を刺激し、襲撃させた。
だが、それらのどれもが、主人公である義妹を貶めるには至らなかった。
「ラシャンテ王女殿下が我らの力を必要としていると聞き及んでまいりました」
慣れない権謀術数に憔悴していたラシャンテの部屋を、黒装束の女が訪れた。
「値段は張りますが、よい薬がございます。人の思考を妨げ、快楽を強める妙薬です。これを用いれば、宮中において妹君に痴態を晒させることができましょう。今宵の舞踏会で、あなたと交わす盃にこれを入れなさい。楽しい宴になりましょうぞ」
――そう、あのときと同じ感覚だ。
アランデュカスの策謀を止めようとしなかった自分に、善を語る資格はなかった。
だが、可憐な妹姫の純潔を奪うことを迫られたときの、毛羽だった布切れで胸の奥をこねくり回されるような、毒々しい感情の奔流は、忘れようにも忘れられない。
結果としてその企みは阻止され、ラシャンテは栄光の人生から転がり落ちて行った。
振り返ってみれば、義妹が薬を吐き出したときに生じた悔恨は、失敗に対してではなく、自分が行動を起こしてしまったことに対してだったのかもしれない。
「真木―、何してんだー。玄関閉めるぞー」
玄関に立っていた若い男性教師の声にハッとして、雪華は慌てて校舎に入った。
教室の光景は、いつも通りだった。
纏が帝に話しかけ、それを舞と栞が見守っている。
纏は笑顔で、帝も笑顔だ。
だた、なんとなく、帝の表情は固いようにも見える
雪華の周りには、牡丹がいて、紅葉がいる。
視線の先で、藤助と蔵人が笑っている。
「何かあった?」
牡丹が言った。
「珍しいじゃん、遅刻するなんて」
「ちょっと、ね。でも、遅刻じゃないよ。見逃してもらって、ぎりぎりセーフ」
頭の片隅に舞の言葉があったが、雪華は努めて授業に集中した。
幸い、どの教科もテストの返却と解説だったので、出来の良かった教科については集中する必要もないくらいだった。
ただ、テストが返却されるたびに、纏がこちらに視線を向けるのが気にはなった。
「なんか、加賀が雪華のことを気にしてるわね」
紅葉が言う。
「言いたいことがあるなら、自分で言えばいいのに。ああいうタイプが、一番嫌い。自分で動けないくせいに、周りをけしかけて敵を攻撃するなんて、恥知らずにも程があるわ」
眉間に皺を寄せながら話す紅葉の言葉が、雪華の胸に刺さる。
かつての自分のままだったら、とても友達にはなれなかっただろう。
「ま、直接危害を加えてこないなら、別になんでもいいよ」
雪華は笑って紅葉をなだめた。
彼女の吊り上がった目を見ると、1年生の時に学校に来なくなったのは、やはり心を痛めてというよりも連中に呆れて、ということなのだろう。
纏が行動を起こしたのは、昼休みが終わりかけた頃だった。
「真木さん」
食べ終わったものを片付け、談笑に耽っていた三人の中で、紅葉が明らかに顔をしかめた。
牡丹はそこまであからさまではないにせよ、笑顔は消えている。
「何?」
雪華はといえば、特段笑顔を作りはしなかったが、不快な感情があるわけでもなかった。
もう、纏に対してはこだわりがないのだな、と自分でも感じていた。
「放課後、ちょっと聞きたいことがあるのだけれど、時間はあるかしら」
視界の端に、舞がいる。
だが、怪訝そうな顔をしているところを見ると、彼女も纏の真意を知らないようだ。
「いいよ」
「そう。あまり、時間はとらせないから」
それだけ言うと、纏はさっさと前の座席に戻っていった。
「……何だろね」
牡丹が呟く。
「ろくでもないことでしょ、どうせ。彼女の人格は、根っこの部分で腐ってるもの」
「紅葉」
紅葉の言葉に、雪華はスッと視線を返した。
「彼女がこれまでにろくでもないことをしたのは、私も分かってる。でも、ある日の真実が、永遠の真実ではないでしょ?」
見据えられた紅葉がぐっとなる。
そうね、と小さく頷き、バツが悪そうな顔をして、紅葉が言葉を次ぐ
「今のは、私が悪かったわ。言いすぎた」
「私こそ、急にごめん。ただ、そうだったらいいな、って私が思いたいんだ」
言いながら、雪華は自分の言葉が纏に向けたものでなかったことに気付いた。
かつてのラシャンテ=リュ=ヴァーンから、姿形でなく、心から変わることが出来る。
自分で、そう信じたいのだ。
「紅葉の気持ちは、分からなくもないけどね」
牡丹が苦笑して、雪華を見た。
「一人で平気? 一緒に行こうか?」
「ううん、大丈夫だと思う。なんとなく、纏さんは一対一で話をしようとしてると思うし」
座席に戻った纏に、舞と栞が話しかけても、纏は何度か首を横に振って応えていた。