第50話 水辺
「うわぁ……」
青く、薄暗い通路に立ち止まって、雪華は感嘆の息をついた。
分厚いらしいガラスの向こうで、魚の群れが悠然と泳いでいる。
湖で泳いだことはあったが、水中をこんな風に見たことなど一度もなかった。
「ねぇ、見てみて! 魚って、こんな風にゆったりと泳いでいるものなのね」
目を輝かせる雪華に、藤助は頬を掻いて笑う。
「まぁ、そう言われればそうかもしんないけど……雪華ちゃんが魚に対してそんなに興味があるなんて意外だったよ」
「こんなに遅かったら、捕まって食べられるのも道理よね……食べられることを望んでるのかな。でも、全部が全部食べられる種類っていうわけでもないのか」
「……聞いてる、雪華ちゃん?」
話しかけておきながら藤助の返事を聞かない雪華は、長く続く水槽をじっと眺めて歩く。
藤助は、やれやれと頭を掻きながら、水槽よりも雪華を眺めて歩いた。
その内、雪華が立ち止まってにやにや笑ったので、藤助も水槽に視線を向けた。
「……コレ、そんなに面白い?」
「うん、すごく面白い。この……チンアナゴっていうの? ピョコピョコ出たり入ったりしてるだけに見えて、よく見ると、表情が変わってるように見えない?」
雪華に言われて、藤助もまじまじとチンアナゴの一匹を見る。
「……言われてみると、顔が変わってるように見える、かな? 魚には痛覚がないっていうけど、感情はあんのかな」
「どうなんだろう……説明には、そこまで詳しくは書かれてないしね」
二人は黙ったまま、ピョコピョコ出入りを繰り返すチンアナゴの水槽を見続けた。
藤助が、屈めた長身を元に戻した腰を伸ばす。
「こういう魚たちも、意外といろんなこと考えてるのかね」
「のんきそうに見えても、心の底をたたくと悲しい音がする、っていう言葉もあるからね」
言ってから、雪華はハッとして藤助を見た。
「……そっか。藤助くんも、普段は道化みたいに振舞ってるけど、実は悲しみを秘めてたりする?」
え、と驚く藤助に、雪華はすぐに笑ってしまった。
「まぁ、それはどんな人でもそうか。悲しみの無い人なんて、いるはずないわよね」
雪華も上体を起こした。
「あ、水辺の生き物ふれあいコーナーだって!」
少し先に見える明るいスペースに興味を惹かれ、雪華はスタスタと歩いていく。
その様子に頬を掻いて、藤助は少し遅れて続いた。
低い位置に造られた巨大な水槽は、いくつもの岩や大量の砂を入れた上で、様々な水の生き物を放していた。
周りでは小さな子供たちがおっかなびっくり、貝やヒトデに指先で触れている。
雪華も腕を伸ばし、手の平ほどある人手に掴んで持ち上げてみた。
「へぇ……ヒトデって、結構固いのね。もっと柔らかいのかと思った」
「お姉ちゃん、それ、触って大丈夫なやつ?」
隣で表情を引きつらせていた少年が、雪華に尋ねた。
「大丈夫だと思うよ。もう触っちゃってるし。ほら」
雪華がスッとヒトデを差し出すと、少年は人差し指で恐る恐るつついた。
「なんか不思議な感じ」
「ね。触れてみて初めて分かることってあるよね」
「雪華ちゃんがなんの抵抗もなくヒトデに触れて、俺はちょっと驚いたけど」
後ろで見ていた藤助が言った。
「ふれあいコーナーなんだから、触れ合わないともったいないでしょ。水族館に入るのだって、ウチのコーヒー5杯分も料金取られるんだから」
「そりゃまぁ、そうなんだけどさ」
「お兄ちゃん、ヒトデ怖いの?」
少年がにやりと笑って言う。
「こ、怖いわけあるかい。こう見えても俺は、お前さんくらいの年には魚も捌いてたし、貝も開いてたんだからな」
「じゃあ、ホラ」
雪華がヒトデをつまんで上にあげ、藤助に近づける。
藤助が半歩あとずさったので、雪華はにやりと笑った。
「このお兄さんは、やっぱりヒトデが怖いみたいだね」
「じゃあ、僕の方が勇気があるってことだ」
雪華と少年が笑う後ろで、藤助が眉間に皺を寄せた。
「ひ、ヒトデ以外なら、普通に触れるからな」
藤助が、雪華の隣で膝を曲げて、素早くカニの腹を掴んで持ち上げた。
「ほれ」
少年が目を輝かせる。
「すごい!」
「ふふん。食べ物だったら問題なく触れるんだぜ、俺だって」
「じゃあ、ヒトデを食べる時代が来たら、触るってことね」
雪華の一言で言葉を詰まらせた藤助の様子に、少年の両親らしい男女がクスクス笑った。
作者の成井です。
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それでは、また次のエピソードで。