第42話 友達
「それじゃあ、雪っちゃんをモデルにした絵が、そのうち見れるっていうことなのねー」
相変わらず間延びした声で、桜が笑う。
週末の喫茶『シャングリラ』で、雪華は久しぶりにのんびりした午後を過ごしていた。
体育祭の前後は心も体も忙しくてゆとりがなかったし、桜の方も似たような学校行事で忙しくしていたらしい。
「いつになるか分からないし、完成するかどうか分からないし、結局抽象画になっちゃうっていう線が濃厚だけどね」
雪華は冷たい水で喉を潤す。
美術部を見学にいった経緯を一通り説明したら、喉が渇いてしまった。
「それにしても雪っちゃん……運動も出来るようになって、絵も描けるようになったんだねー。これぞ高校デビューってやつかー」
にこにこ嬉しそうに笑う桜に、雪華は小さくぎくりとした痛みを覚えた。
元の『雪華』を知っている人間からすれば、確かにここ最近の自分の脚光の浴び方は異常かもしれない。
どうやら桜は違和感なくそれを受け入れてくれているようだが、何か怪しいと訝しむ者がいてもおかしくはないだろう。
ただ、怪しまれても説明のしようがないし、それどころか悪事を働いているわけではないのだから、なんの問題もないような気もするのだが。
「お友達も増えてきたみたいだし、もうすっかり安心だなー。安心、安心」
桜の毒気ない笑顔を見ていると、あれこれ考えている自分がばかばかしく思えてくる。
しかし、桜の言葉が、ふと心に引っ掛かる。
「友達、か……」
カップを拭きながら、雪華はぽそっと呟く。
引っ掛かるのは、当然と言えば当然のことだ。
友達、という関係性の他者は、前世では望むべくもなかった。
一国の王女なのだから、自分以外はすべて身分が下の臣民であり、彼らから見れば自分は敬うべき対象だった。
友達、などという対等の関係性になりうるはずがない。
「桜っちゃんは、私の友達だよね」
「違うよー」
桜が微笑み、雪華はぎくりとした。
違うの?
「親友だよー」
屈託のない笑みに、肩の力が抜ける。
カップを持っていることを思い出し、慌ててその落下を防ぐ。
「そ、そうだよね。親友だよね」
より親しいのが親友で、桜は幼少期から一緒にいるのだから、たしかに親友という表現が適切なのだろう。
では、付き合いが短く、それなりに親しいのが友達だとすると――牡丹は友達といってよさそうだ。
男連中は、果たしてどうだろうか。
藤助は少なからず好意を向けてくれているが、男女の友情は成り立つのか。
そういう節の無い蔵人は友人という扱いでいいのだろうか。
いやいや、彼とはまだ一言も会話を交わしていないし。
帝は、惟貞は……
「ねー、雪っちゃん」
桜ののどかな声にハッとして、雪華は視線を上げた。
「な、なに?」
「お客さんだよー」
いつの間に席に着いたのか、桜の隣にいたのは藤助だった。
「会いに来たよ~」
藤助がいつも通りの様子で、手をひらひらさせている。
「いらっしゃいませ」
我知らず、眉間に皺が寄りかける。
少なくとも、この軽い男と恋仲になることはなさそうだ。
「相変わらずつれないねぇ。でも、そのクールさが雪華ちゃんの魅力だってことも、俺はもう分かってるからさ。あ、コーヒーひとつね」
雪華が横を向いて口を開きかけると、母がにっこり頷いてすぐに支度を始めた。
「もしかして、そろそろ俺にも『いつもの』が出来るんじゃね? ねぇ、雪華ちゃん」
「まぁ、来るたび必ず最初にコーヒーだもんね。それは『いつもの』よね」
満面に喜色をたたえて、藤助が腕を組む。
「こりゃあ、雪華ちゃんが俺に振り向いてくれる日もそう遠くないってことだなぁ」
「でも、雪っちゃんファンクラブが出来たから、ライバルは増えちゃってるよねー」
桜の言葉に、藤助の表情が固まる。
「雪っちゃんファンクラブ? 何ソレ?」
固まった表情のままの藤助に、雪華は美術部を訪ねたときのことをかいつまんで教えた。
スケッチを絶賛されたくだりは、面倒なリアクションが目に見えたので割愛した。
「マジかよ……」
藤助は指を組み、カウンターに肘をつく。
「そりゃあまずいぜ」
藤助が珍しく声を落としたので、雪華は母から受け取ったコーヒーを、いつもよりもそっと提供した。
「何がまずいの?」
雪華の声に顔を上げて、藤助が真剣な表情で口を開く。
一瞬の間があり、雪華も思わず真面目な顔つきになってしまう。
「だってさ、いよいよ俺と雪華ちゃんが付き合うことになったら、そいつら、発狂するか自殺するかして、全校生徒が激減しちゃいかねないんだぜ」
「真面目に聞いて損した」
ひとつ息をついて、雪華はカトラリーを洗いに水場に向かう。
桜が一人だったのでついつい談笑してしまっていたが、一応、仕事中ではあるのだ。
横目に見ると、桜と藤助はだんだんと気心が知れてきているのか、笑って何事か話している。
「雪っちゃん、桜っちゃん達と話しててもいいのよ」
隣で母が笑う。
「ううん、今はいいや」
視界の端でふたりの様子を窺いながら、なんとなく頭に浮かんでいたのは、かつての義妹リセノワールだった。
彼女には、味方が多かった。
いや、多くなっていった、という方が正しい。
初めこそ妾腹の姫君として疎んじられていたリセだったが、誰に対しても優しく、何に対してもひたむきな彼女の周りにはどんどん人が増えていった。
そういえば、彼女は何度か「私のお友達の~~」という表現をしていた気がする。
元々下町の生まれだからなのか、身分というものにとらわれずに、彼女はしっかり友達をつくっていたのだ。
友情も、ハッピーエンドの条件だったりするのだろうか。
「グラタン出来たぞ~」
父の声に思考が途切れ、雪華はあたたかな一皿を受け取った。
作者の成井です。
今回のエピソードをお読み頂き、ありがとうございました。
「面白い話だった」「続きも読んでみよう」と思って頂けたなら、
ブックマーク登録や、下の☆☆☆☆☆欄での評価をしていただけると幸いです。
それでは、また次のエピソードで。