第41話 写生
雪華は鉛筆を走らせていく内に、懐かしい感覚を思い出してきていた。
小さかったころ、そう、まだ剣術と同じくらい絵も楽器も好きだったころ、画家の先生によく褒められたっけ。
物事の真や大筋を掴む力に長けている、と言われたことは今でも覚えている。
今にして思えば、本当に筋を読む力に長けていたら道を踏み外すはずもないのだが、幼少のみぎりに掛けられた誉め言葉というのは、心に根差して無くならないもののようだ。
ピピッ。
セットされていたアラームが10分を告げた。
「時間ですね。それじゃ、お互いに見せ合ってみましょうか」
惟貞が立ち上がったのに合わせて雪華も立ち、二人で近くの机にスケッチブックを並べた。
惟貞の絵は……
ふむ。
まぁ、悪くない。
これまでに抽象画を多く書いてきたという割には、筋はいいのではないか。
「こ、これは……真木さん、なにか、例えば絵画教室に通っているとか?」
「いえ、別に……小さいころは、割と絵を描くのが好きで、人から教わった時期もありましたけど」
見るからに驚愕の色を浮かべている惟貞の様子に、顧問や部員たちが何事かと近づいてきた。
そして雪華の描いたスケッチを見て、次々に感嘆の声をあげていく。
「プロだろ、こんなの」
「才色兼備だ」
「文武両道だ」
「緒方先輩もうまいけど、これは……」
「ぜひ美術部に……」
「やっぱり真木さんってかわいいよな……」
「これは、惟貞くんが真木さんを描くよりも、真木さんが惟貞くんを描いた方がいいかもしれないなぁ」
ふふふと笑った顧問に、惟貞が力の無い目で抵抗を訴える。
「冗談にならないですよ、先生」
そして惟貞は雪華に向き直る。
「真木さん……もしかして、僕のレベルを見て、幻滅しましたか」
「え、いえ、別に幻滅はしてないですけど……」
教室でもそうだったが、どこか誤解を招きかねない表現をする人だ。
その言い方では、まるで自分が惟貞に思いを寄せていて、絵のレベルを見て落胆した、というふうに聞こえるのではないか。
「では、絵のモデルをキャンセルするということは、ないですか」
雪華は小さく数度頷いた。
久しぶりだと思ってつい筆を走らせてしまったが、ここでやるべきではなかった。
ただお人形のように、モデルに徹しておけばよかった。
「せっかくの機会だからとお受けしたので」
雪華の言葉に、惟貞はほっと安心したように息をつく。
だが、その目の、教室で見た燃えるような熱意はかげってしまったように感じられた。
周囲の、元々の惟貞への評価がどうだったのかは分からないが、彼にとって快い展開ではないのは間違いない。
「惟貞」
彼と親しいらしい部員が歩み寄って声をかける。
「真木さんはこう言ってるけど、ちょっと考え直した方がいいんじゃないか。彼女を描きたいっていう気持ちは俺にも分かるけど、このレベルの絵を描ける人自身を描くって、抵抗あるだろ」
惟貞が視線を落とす。
その様子に苦笑して、雪華は言葉を次いだ。
「私に絵を教えてくれた人の言葉なんですが」
惟貞が顔を上げる。
「未熟だからと消極的になってしまったら、未熟である意味がない、と」
雪華は努めて笑顔をつくった。
前なら、壁に当たって落ち込む手合いは、檄して尻を叩くか、叱って暇をやるかしか選択肢がなかったが、今は違う。
美術室に、何かあたたかいような、和らぐような間が流れた。
そして惟貞が、意を決したように握りこぶしをつくり、口を開く。
「一介の絵描きとして、このままでは終われません! 必ずや、あなたの心を満足させる作品を仕上げてみせます!」
どうやら熱意を取り戻したらしい惟貞の目に、力が戻った。
声をかけた友人も、どこか満足そうに彼の背中をバンバンと叩き、自席に戻っていく。
他の部員たちも、それぞれに席に戻っていった。
「お見苦しいところをお見せしました! 僕はちょっと集中して、向こう二週間はデッサン力の向上に努めます! 失礼します!」
そう言うと、惟貞はスケッチブックと鉛筆を持って美術室を飛び出していった。
呆気にとられている雪華に、顧問が声をかける。
「彼の病気なんですよ。思い立ったら、すぐさま行動に移さないと、死んじゃうんです」
ふふふと笑いながら、顧問が嬉しそうに頷く。
「ところで真木さん、あなたの腕がとてつもないということは、そのスケッチを見れば分かります。そこで、どうですか。美術部に入る、というのは」
雪華は笑って首を振った。
「家の手伝いもあるので」
「そうですか。それは残念。では、せっかくの機会なので、ちょっと部員たちにアドバイスをしてあげてください。あなたが只者じゃないということは、分かる部員には分かっているでしょうから」
まぁ、虚構の世界でギロチンにかかってこちらに来たわけだから、確かに只者じゃないな、私は……と心の中で苦笑しながら、雪華は美術室を歩き始めた。
作者の成井です。
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