第34話 来客
「買い物に行くぞ」
土曜の朝、喫茶『シャングリラ』の玄関を掃除しようと外に出た雪華を、帝が待ち構えていた。
「え~っと……まずは、おはよう、かな」
「む……そうか。そうだな。おはよう」
ふたりの間に沈黙が流れる。
チュンチュンという小鳥の鳴き声が大きく響く。
雪華が視線を動かすと、どうやら帝が乗ってきたらしい黒塗りの、いかにも高級そうな車が停まっていた。
「それで、私としては説明を求めたいんだけど、いい?」
「取引を果たしに来た。以上だ」
腕を組んで、帝はそれだけ言った。
普段の制服とは異なり、襟付きのシャツにタイトなボトムを履いている。
外出用の服として、よく似合っている。
それに対して、雪華はくたびれたスウェットに着古したTシャツを着ているだけだ。
「なんていうか……今日の、しかも今じゃないとダメなの?」
「駄目だ。俺は今日も明日も、一日中、既に予定がある。お前はどうだ?」
「予定っていう予定はないけど……」
何せ、昨日の体育祭で無理をしすぎたせいで、下半身のあちこちは青く内出血しているし、何より全身が筋肉痛だ。
店の手伝いもほとんどするつもりはなく、箒で掃いたら部屋に引っ込んでいるつもりだった。
しかし、帝は帝なりに時間を工面してきたのだろう。
休みたい、という理由で帰すのはさすがにはばかられた。
「……分かった。でも、さすがにこの格好で出かけるのは恥ずかしいから、ちょっと待ってて」
「分かった」
ビキビキいう体を無理に動かしながら、雪華は二階の自室に上がり、クローゼットを物色した。
何分、こちらの世界の美的センスを把握しきれていないのだ。
普段は制服を着ていればいいのだから楽なものだし、スポーツウェアは指定こそないが、取り立てて着飾る必要のないものだから、気にならなかった。
「……いっそ、制服でいっちゃうか」
そういえば、テレビや漫画などについて調べていたとき、世の高校生たちは休日にも関わらず制服で出歩いていたような気がする。
よし、そうしよう。
雪華は急いでブラウスに袖を通し、スカートを履いて、ジャケットを着た。
普段使っているリュックに、いつも通りのものを入れて、部屋を出る。
「今日、休みじゃないの?」
「うん、ちょっと急用が出来ちゃって。昼には帰ると思う」
出がけに母に声をかけられて、雪華は大きな声で答えた。
靴を履こうとしてバランスを崩しそうになりながら、壁に手をついてこらえる。
少し体重がかかるだけで、あちこちが痛む。
「お待たせ」
「いや、さほど待ってない……が、制服で買い物に行くのか?」
「うん。変?」
「いや……構わん」
帝はそう言うと、黒塗りの車に雪華を招き、扉を開けて招いた。
あ、懐かしいな、という感覚が雪華に沸きあがった。
普通、貴婦人が馬車に乗るときは、御者が扉を開け閉めする。
しかし、貴族の男子は、意中の相手と同乗するときは、あえて自らの手で扉を開け閉めした。
そうすることで、「自分はあなたをエスコートできる人間なのだ」とアピールするのだ。
「何をニヤニヤしているんだ。乗らないのか?」
「あ、ごめんごめん。それじゃ、お邪魔します」
雪華が後部座席の奥に詰めると、帝も続けて隣に乗った。
車の中には心地よい芳香が漂っていた。
「おはようございます、真木様。今日はよろしくお願いいたします」
前でハンドルを握る、初老の男性が低い声で言った。
「よろしくお願いします。お世話になります」
雪華が姿勢を正し、言葉を紡ぎ、丁寧に頭を下げる。
すると、運転手はにっこりと微笑んだ。
「美しい所作ですね。何か、お稽古事を?」
「……いえ、特には。帝さんの同じクラスになっているおかげかもしれません」
雪華は間を開けながら、はっきり聞き取れるように言葉を発した。
自分が仕える人間が高く評価されている、と配下に思ってもらうことは、上に立つ人間にとって重要なことだ。
些細なストレスの積み重ねが内憂を招く。
それを理解している者は、上に立つ人間を外から立ててやらなければならない。
恥を掻かせるなど持ってのほかである。
同級生の帝に対してそこまで義理立てする必要はないのかもしれないが、かつて王女だった身として、最低限の礼儀は失いたくない。
「ご存じかもしれませんが、先日の体育祭で帝さんが活躍してくださったおかげで、クラスも優勝できました」
「そうですか、そうですか。坊ちゃまは学校でのお話をあまりしてくれませんで、たいへんよいことを聞きました」
「釜屋、出せ」
ため息交じりに言う帝を見ると、心なしか頬が紅潮している。
照れているのだろう。
釜屋と呼ばれた運転手は、かしこまりましたと言って車を発進させた。
「で、どこに行くの?」
「あまり遠くへ行く時間はない。かといって、顔見知りがいるような場所では落ち着かんだろう」
「まぁ、ね。それで?」
「駅前のビルを用意してある」
「ふぅん……え?」
作者の成井です。
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それでは、また次のエピソードで。