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第19話 運動

 日曜日の朝早く、雪華はスポーツウェアを着て、履き慣れたスニーカーの紐を締めた。


「今週も?」


 母の言葉に、雪華は力強く頷く。


「長生きしたいわけじゃないけど、命は大切にしなくちゃいけないからね」


 昨日の帝の言葉が胸を打ちはしたが、影響を受けて行動を変化させたわけではない。

 『雪華』になってからずっと、毎日の運動を日課にしている。

 特に日曜は、朝から昼まで、体を動かすことにしていた。


「いってきまーす」


 軽く足首をまわし、ちょっとだけ伸びをして、雪華はゆっくり走り出す。

 1時間で8キロ進むくらいの、たいして速くもないスピードを維持する。

 春の柔らかい日差しと、少しだけ冷たさの残る風が、なんとも心地よい。


「はっ、はっ、はっ……」


 息を弾ませて、歩みを進める。

 纏のビンタをものともしないくらいには、体の感覚は前世ラシャンテに迫っている。

 ただ、根本的な体力や筋力は、どうしても物足りないのだ。

 だが、だからといって前世シャングリラでやっていたトレーニングをこちらでやるのは難しい。

 走りながら、古い記憶を思い出す。


「ラシャンテ様、今日は丸太持ちです」


 ある日、騎士団長がそう言った。

 彼は初老といって差し支えない年齢だったが、筋骨隆々で、力自慢の熟練者相手でも後れを取ることが無かった。


「丸太を持つの?」


 ラシャンテが目を丸くすると、騎士団長は表情をまったく変えずに言葉を繰り返した。


「ええ、丸太を持つのです。地に着いたところから、足腰の力を用いて、腰の高さまで」


 地面に置かれた丸太に手を回して、全身に力を込めて持ち上げる。

 騎士団長の慧眼も大したもので、どうにか10回は持ち上げられそうな重さの物を選んでいた。


「……9、10、終わりっ!」

「では、しばし休んだのち、もう10回です」


 しばしば「武芸も極める」と宣言したのを後悔しそうになるほど、騎士団長は真剣だった。

 丸太持ちを三セット終えると、次に騎士団長は地面に突き刺した杭に案内した。


「これを、頭が見えなくなるまで槌で叩きます」

「何?」


 思わず、杭の高さを凝視した。

 自分の腰よりも高い位置に頭がある。


「見えなくなるまで?」

「ええ、見えなくなるまで」


 百や二百ではきかない回数を打ち付け、杭はようやく地面に埋もれた。


「次は……」


 毎日ではないにせよ、時間を見つけては全身の筋肉に刺激を与え、休息させ、肥大化させた。

 見た目があまりにも太くなるのは困る、と訴えると、騎士団長はもちろんですと頷いた。


「しかし、ラシャンテ様。あの肖像画をごらんください」


 そう言って騎士団長は、広々とした廊下に掛けられているいくつかの絵を指した。

 描かれている女性の多くはふくよかで、ラシャンテの美意識とはかけ離れた人物も多い。


「あなた様のご鍛練で出来上がる姿は、あのような太さとはまったく異なるものです。はるかに洗練された、古代の神々もうらやむほどの、命としての美が、鍛錬によってこそ得られるのです」


 その物言いは歴代の貴婦人に不敬ではないか、とラシャンテが窘めると、騎士団長は膝をついた。

 礼儀のなっていないことを指摘された場合は、膝をつけ。

 それは、ラシャンテが取り決めた、今にして思えば悪しき慣習だった。

 直後、横っ面をはたくために、その姿勢をとらせていたのだから。


「では、次は何をする?」

「はっ。次は……」


 こちら側に来て知識を吸収していく中で、騎士団長の指南は中々に理にかなったものだったということを知った。

 様々な鍛錬に励んだ記憶があるが、こちら側の世界の理論に当てはめて、なんらおかしなところはない。

 だからそれをそのまま再現すればよいのだろうが、そうもいかない。

 女子高生が丸太を持ち上げたり、木の杭を打ち付けたりしては、通報されかねない。

 似たようなことはスポーツジムに行けば出来そうだったが、金銭的な問題が出てくる。

 さらに言えば、もっとも効果的だったとラシャンテが考える鍛錬は、ジムでもやりようがない。


「王女相手に、真剣ですって?」

「ええ」


 騎士団長は真面目な顔をして頷いた。


「本気で言っているの? 王家の血を流させれば、打擲では済まないわよ」

「恐れながら、王女殿下」


 彼は剣を抜いて続けた。


「いざ戦となれば、血筋は関係ありませぬ。御身を守り、民のために剣をふるう覚悟が真にあるならば……」


 今にして思えば、本気の度合いを試されていたのだろう。

 木製の剣や棒の類でも鍛錬そのものは出来たのだろうが、実際に命のやり取りをしているのだという恐怖が全身の神経を鋭敏にした。

 そのおかげで、ラシャンテ=リュ=ヴァーンは、シャングリラ王家で過去に例がないほどの剣の腕を極め、「男ならば剣聖だった」と周囲にいわしめるほどになったのだ。

 ただ、それも今は昔の話だ。


「これじゃ、ね」


 信号に差し掛かって足をとめ、自分の二の腕をつまむ。

 細く、女の子らしい腕だ。

 『雪華』は、体を鍛えるどころか、運動を好んでするタイプではなかったらしい。

 数ヶ月で少しずつ筋力も体力もついてはきたが、まだまだだ。

 体型も、スマートといえば聞こえはいいが、前世ラシャンテから見ると弱々しいとしか言えない。

 この世界、この時代に剣で戦えるようになる必要はないだろうが、自分が満足できる姿ではありたいと思う。


「よしっ」


 信号が青に変わった。

作者の成井です。

今回のエピソードをお読み頂き、ありがとうございました。


「面白い話だった」「続きも読んでみよう」と思って頂けたなら、

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それでは、また次のエピソードで。

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