第15話 食事
提供された四杯目に口をつけて、藤助が笑う。
「美味しくて美味しくて、ついつい飲んじゃうね。いやぁ、お父さんとお母さんの腕は本物ですねぇ」
陽気に笑う藤助の言葉に、両親はまんざらでもない様子を浮かべている。
「……「君にお父さんと呼ばれる筋合いはない」とか言うところなんじゃないの?」
父を見て言ってから、雪華は胸の奥にチクリと痛みを感じた。
「お父さんと呼ばれる筋合いはない」のは、自分でもそうじゃないだろうか。
実際に、「お父さん」「お母さん」という言葉を発せないまま、もう数ヶ月が経過している。
そんな雪華の逡巡に気付かずに、父は頭を掻いて笑う。
「いやぁ、クラスメイトと談笑しているなんて、少し前の雪華からは想像できない光景だから、つい嬉しくってね」
「あ、コーヒーを褒められて喜んでたわけじゃないのね……」
力が抜けるのを感じながら、雪華は苦笑した。
気が付けば、店内のお客さん達もにこにこしながら雪華達を見守っている様子だった。
「お兄さん、頑張りなさいよ」
「将を射んと欲すれば先ず馬を射よ、というからな。ご両親を先に口説くとは、若いながら大したものだ」
常連のお客さん達が、次第に藤助に声をかけ始めた。
まったく、両親も常連も囲い込むとは、と雪華は藤助を見る。
「先に外堀を埋めに来た、っていうのが本当のところなの?」
呆れたように笑いながら、雪華が言う。
やはり見かけによらず、計算高い男なのかもしれない。
「そこまで考えてはいなかったけどね。今日は本当に、もうちょっと雪華ちゃんのことを知りたかったってだけだよ。あ、ただ……」
藤助が顔を上げて、両親の方を見た。
その眼光が、スッと鋭さを見せた。
「ここの料理を一度味わってみたいとは、思ってたかな」
さすがは老舗料亭の跡取り、といったところだろうか。
それなりの雰囲気を発している。
「それなら、早めに注文した方がいいよ~。あと30分もしたら、お客さんで溢れかえってゆっくりできなくなっちゃうから~」
のんきな声で、桜が助言した。
「なるほど、それはそうだなぁ……ちなみに、雪華ちゃんのお気に入りメニューは?」
「え、私? なんでも美味しいとは思うけど、そうだなぁ……」
壁に掛けられたブラックボードを見て、本日のおすすめを見直す。
「今日だったら……生姜焼き定食、かな。喫茶店、って感じじゃないかもしれないけど」
「へぇ」
藤助が、にやりと笑う。
「一応、俺って高級割烹を食べて育ってるから、日本食となったらうるさいよ?」
不敵な笑みを浮かべる藤助に、雪華は口を尖らせた。
「御託は食べたあとで聞いてあげる」
ちりちりとした感情のささくれに、雪華は自分で驚いていた。
家族を値踏みされたような物の言い方に、ストレスを感じているようだ。
知らず知らずのうちに、自分はここの家族になっているということなのだろうか。
「コーヒーを飲みすぎたから味が分からない、なんて言わないでよね」
「そんなことは言わないって。確かに空腹は至高の調味料だけど、俺の味覚は満腹であっても鈍ることはないのさ。そう、喩えて言うなれば……」
「生姜焼き定食お願いしまーす」
藤助の言葉を遮って、雪華は注文を告げた。
心地よい音、香りが店内に漂っていく。
昼食にはまだ早すぎるくらいの時間だったが、胃袋を刺激された常連客達が同じものを頼んでいく。
「桜っちゃんはどうする?」
「私は、そうだな~……お腹周りが心配だから、やっぱり『いつもの』で」
桜の『いつもの』は、シンプルな一品だ。
喫茶『シャングリラ』特製のベーグルと、豆腐を主体に焼き上げたハンバーグ。
レギュラーメニューにはない裏メニューだが、常連の中にファンは多い。
「いいなぁ。俺も、『いつもの』で通じるくらいになりたいな」
「またのご来店をお待ちしてますとも。お客さんとしては上客だし。コーヒーを4杯飲んで、食事まで頼んでくれるお客さんなんて、中々いないもの」
そんな会話をしている内に料理が出来上がり、マスターにせっつかれて雪華が運んでいく。
いつも通り朝食は遅めにとってあったが、鼻腔をくすぐられて、ほのかに空腹感を覚える。
目の前に置かれた料理を前にして、藤助は目を閉じた。
香りを味わっているらしい。
「すごいな……丁寧な仕事だ」
顔つきが違うな、と雪華は思った。
さっきまで軽口をたたいていた若者の影はどこかへ行ってしまった。
上品に箸を持ち、白米を一口運ぶ。
「うん……いいな。わざわざ……そうか」
藤助の意識に、隣の桜はおろか、来店の目当てのひとつだったはずの雪華も入ってはいないだろう。
甘い脂を輝かせる生姜焼きを噛み、付け合わせのキャベツを食べ、味噌汁を飲んで、その度に藤助は唸った。
「ごちそうさまでした」
きれいにたいらげ、藤助は目を閉じて両手を合わせ、丁寧にお辞儀をした。
流麗な動きだった。
いつの間にか見とれていたらしいことに気付き、雪華はハッとして目を逸らした。
作者の成井です。
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