後編
愛人の子を虐げていたということが陛下の言葉で裏付けられてしまった。腐っても公爵家だから没落することは無いが、これから三代くらいは肩身が狭いだろう。
「陛下は、わたくしたちの醜聞で、殿下の失態を無かったことにするつもりね」
「そのようね。何の脈絡も無かったもの」
王族の失態を貴族に責任を取らせたい。そんな思惑が透けて見える。周りに聞こえないように配慮して、私はサフィーネと会話をする。このまま公爵家の醜聞で幕引きとしたい陛下の思惑とは裏腹に口を挟んだのは、殿下だ。
「ということは、イリーネ。お前は、隣国の王族の血を引いているのだな」
「そう、なりますわね」
「よし。私が婿入りしてやろう。この国では継承権があると言っても下の方だし、問題ない」
どこをどう解釈すれば、婿入りの話に飛ぶのかは分からないが、殿下の中では矛盾していないようだ。婿入りすれば、隣国の王族、ひいては国王になれるとでも思っているのか。
「ちょっと待ってください。殿下が婿入りしたら私はどうなるんですか?」
「私の側妃として連れていくから安心してくれ。アンジー」
「嬉しい」
「婿入りしても王族なのは変わらないからな。当然だ。イリーネも良いな」
さも当然という顔をしているが、殿下と結婚することは無いし、私は隣国の王族にはなれない。
「どうします?」
「どうって。これを消せるほどの醜聞は、もうないもの。陛下に任せるわ」
「それが一番ね」
国王はただ、何も言えずに怒りに震えているだけだ。殿下の側近も何も言わない。
「つまり、謀反の意があると思って良いかしら?」
「皇子妃殿下!」
「そうかしこまらないで、国王陛下」
優雅に微笑んでいる私と同じ髪の色の夫人は、実の母だ。私を産んだあと帝国の末皇子の元に嫁いだ。
「本当は出るつもりは無かったのよ。遠目で娘を見るだけのつもりだったのだから」
「お母様」
「よく似合っているわ。そのドレス」
産みの母は、確かに娘を相手に預けたが、何もしなかったわけではない。非公式に訪れては交流を持ってくれた。手紙や贈り物もしてくれた。
「この十八年を知らないわけじゃないのよ。ただ、分らず屋たちを説得するのに十八年かかってしまったの。不甲斐ない母でごめんなさい」
「いいえ」
生き別れた親子の再会は、王族の失態を無かったことにするには充分だ。陛下は余計なことを言わせないように殿下の口を塞いでいる。
「サフィーネ」
「あら、お父様もいらしていたのね」
「待たせることになってすまない」
「本当に待たされましたわ。そのせいで御兄様に婚約者が出来ませんでしたのよ」
皇子夫妻にとって私たちは、浮気相手の子という位置付けだ。これは公爵夫妻も同様のはずだ。なのに、皇子夫妻は分け隔てなく愛情を注いでくれた。まぁ、注いでくれるようになったのは、十歳を迎えてからだけど、それでも親としての責務を放棄していたことを謝罪してくれた。
「問題が無くなるから大丈夫だろう」
「そうですね。お互いの愛人の子がいなくなるので、仲違いも収まりますよ」
自国より上の皇族に、さらにかつての浮気相手に言われては反論することも出来ない。私もサフィーネも王国ではない方の親についていくことを決めた。どうせ王国でカガナダ公爵より上位なのは、王家くらいだ。他の公爵家では、同格でもカガナダ公爵家の顔色を伺って、扱いが変わらない。
「さあ、行きましょう。イリーネ、サフィーネ」
「はい、お母様」
「ええ、お義母様」
最後まで何かを言いたそうに殿下は暴れていたが、陛下に押さえ込まれて、分からず仕舞いだった。どうせ、ろくなことでないから訊ねる必要もない。
「ああ、待ってくれないか?」
「行きましてよ。お義父様」
「お父様、遅いですわ」
陛下の思惑通りに、殿下の醜聞は掻き消えたが、ひとつの公爵家の醜聞を浮き彫りにするという結果に終わった。
大陸新聞によると、カガナダ公爵家は爵位こそそのままだが、国家間の戦争を引き起こしかねなかった責任を取って、長男に家督を譲ったとある。そのおかげで、婚約者が見つかり、家を盛り返すために奮闘しているらしい。
「あら、御姉様。新聞をお読みになっていたのね。邪魔をしてしまったかしら?」
「いいえ、大丈夫よ」
「そう。でも、陛下も悪い人ですわね。カガナダ公爵家の発言力を下げるために、あのような場で十八年前のことをおっしゃるのだもの」
「仕方ないわ。庶子であっても強国の、それも王族の血を引いた子が二人もいるのよ。やりにくい政治でしたでしょうよ」
日頃は無視をしているのに、ちゃっかりと血筋の権力は利用していた公爵夫妻のことを排除したかったはずだ。
「勘違い殿下は、騎士団に入れられたのですって」
「まぁ! てっきり前線に贈られるモノだと思ってましたのに」
「陛下が目の届かないところに行くのを嫌がったそうよ。サフィーネ」
王妃の猛反対を押し切って、お気に入りの伯爵令嬢を側妃にした。子どもは王家の血を引いているから教育を施さなくてはならなかったが、伯爵家では王家の教育を用意することができない。他の側妃は王妃が選定した令嬢たちで、十分な高位教育を受けさせられた。
「あの王妃相手によく要望を通せましたわね。今回のことも、いくら王家の醜聞を掻き消すためとは言っても、陛下らしくありませんでしょ?」
「すべて王妃の思い通りなのでしょうね」
「王妃の?」
「王妃は、今も伯爵令嬢を見初めて子を為したことを許していないのよ。自分がお産の痛みに耐えているときに一線を越えていたことはね」
あのとき王妃はすでに四人の子を産み、後継は十分であったにも関わらず、陛下に求められた。そして妊娠すると、王妃は療養地に移動を命じられる。王宮から王妃の目が無くなると、かねてより見初めていた伯爵令嬢に登城を命じ、蜜月を謳歌していた。
「なるほどね。何があっても伯爵令嬢の子に王家を継がせたく無いってことね」
「子に罪は無い。だから王妃は、全て実子と同じものを用意したわ。服から教育までひとつ残らずね。そこに陛下の溺愛が加われば、責任感の無い勘違い王族の完成よ」
「ふふ、陛下は自分の溺愛する息子を国王にしたくとも帝国に喧嘩を売ることになるから諦めるしか無いのね。御姉様に、有りもしない婚約の破棄をしたもの」
「そういうこと」
どこまで王妃が考えたのか分からないが、跡継ぎを自分の子の誰かにするために、陛下を先導したのは間違いない。
おそらく、カガナダ公爵家が裏で手を回しているから陛下が溺愛する殿下の王太子即位が実現しないというようなことだ。陛下も二つの国の顔色を伺うのに疲れたため、カガナダ公爵家の権威を下げたのだ。
「ご自分に甘い方だもの。自分以外の誰が失墜しても毛ほども心を痛めないわ」
「さすが、御姉様ね。王妃に自分の後釜になれと言われただけあるわ。王妃のことをよく分かってる」
「やめてよ。恐ろしい」
「ふふ、勘違い殿下の愛人は、晴れて婚約者になったそうよ」
「王子妃になれて良かったと言うべきかしら?」
「さあ? どうかしらね」
騎士団に入ったまま任務で帰ってこない夫を王子妃宮で待ち続けることになるだろう。公務も割り当てられず、何もさせてもらえないまま一生を終えるのが目に見える。
国として何か功績がある子爵令嬢では無いから外交をさせるわけにもいかない。隣国と帝国の覚えめでたくない令嬢だ。
「帝国もいろいろあるわ」
「皇太子になかなか子どもが出来なかったせいで、継承権がややこしいことになってるものね」
「そう言えば、サフィーネは第三皇太子妃の息子に求婚されてなかった?」
「やめてちょうだい。少なくとも彼は皇帝の器じゃないわ」
「そうね」
サフィーネに求婚したその後で、側近に結婚後、サフィーネを亡き者にする指示をするようでは皇帝の器ではない。庶子であっても皇族の殺害は罪だ。それを皇城でしているようでは、まだまだだ。
「イリーネ、サフィーネ」
「お義母様」
「お母様」
「サロンでお茶をしましょ」
家督を譲ったカガナダ前公爵夫妻は、隠居生活が体に合わず、社交界に戻れるように口利きをしろと手紙を送って来ている。国内ならともかく、他国への手紙が検閲されないと本気で思っているのかと疑ってしまう。
「二人の好きな紅茶を用意している」
「良い香りね」
「さすがお父様ね」
「まだまだ知らないことはあるがね」
知ろうとしない親がいるくらいだ。新しい両親とは家族になれそうだった。