第7話 あっうっうー(渾身の変顔をして)
朝、スッキリと目を覚ましたら伸びをして活動開始。部屋の窓から見える外はスッキリと晴れており見てて気持ちが良い。外ではないのでポカポカとした陽気も爽やかそうな空気も浴びることは出来ないが、それでも気持ちの問題で深呼吸する。思う存分伸びをしたあと、とある方向を見て今日の活動を開始する。赤ん坊の体でできることなど限られているが、周りにおかしいと思われない範囲で動き出す。最近の日課は、新しい妹のユリスを眺めるためにベッドから抜け出すことだ。ユリスが移動してきた直後に新しいベッドが運ばれユリスと離れてしまったため、ここからだと顔を見ることができないのだ。さっきも、ユリスのベッドまでのルートを確認していたのだ。
善は急げとばかりに誰にも見られてないことを確認した後、ベッドの端に移動し柵を乗り越えようと体を乗り出す。机や棚などは壁の方にしかないため床に下りてユリスのベッドによじ登るしか道がないのだ。柵を掴んだまま片足ずつ乗り越え、そのまま床にも足をつけようとしたときだ。順調に下りていたところで、ツルッと足を滑らせバランスを崩す。
ベッドの高さは1m程度とはいえ、生後10ヶ月の赤ん坊が落ちるのは十分危険な高さだ。
床に叩きつけられると思い目を瞑る。碌な受け身が取れるはずもないが、少しはマシなはずと体を丸める。
怪我はしても死にはしないと思いたい。きっとそう。痛いだけのはず。頭からじゃない。あ、でも首からだったらアウトかな。首の骨折れて死んじゃうのかな。いやいや、頭の方から落ちてないから大丈夫。でも、赤ん坊の体って柔らかそうだから、大怪我しそうだな。骨とか折れそうだな。骨折ってしたことないけどやっぱり痛いのかな。痛いのやだな。怖くて泣きそう
「君はいつまでそうしているのかな?」
――――て、あれ?
いつまで経っても覚悟した衝撃が来ないことに気づいて目を開く。すると、私は頭を守るために体を丸めながら宙に浮いていた。
―――浮いてるっ!?
「もう何十秒かは早くその状態に気づけたと僕は思うよ。」
目の前には、あの前世を思い出した日以降ちょくちょく部屋に来ていた精霊―――ハクマがそこにいた。
❉❉❉❉❉
3ヶ月前の初対面以降、ハクマはほとんど毎日この部屋に来ていた。本人曰く、暇だかららしい。
あの日、私が黙りこくって沈黙が続く中、なにか言わなきゃと考え続けていたときだ。ユリスが突然泣き出したのだ。
それはもうわんわんと。盛大に。
前世の私にも弟がいたが、3つしか年が違わなかったため、赤ちゃんの頃に世話をした記憶などほとんどない。せいぜい生まれたばかりの頃に抱っこした記憶ぐらいだ。
そんな私に泣いている妹を泣き止ますことが果たしてできるのだろうか。
ハクマを気にしながらユリスに近づく。その視線は私から外れて泣き出したユリスを興味深そうに眺めていた。
おろおろしながらユリスを覗き込み、頭を撫でる。生え始めたばかりの髪はまるで絹糸のような手触りで将来の有望性を示している。
何が原因で泣いているかわからないため撫で続けいているが、その程度で泣き止めば世の母親たちは苦労していない。当然、泣き続ける。
何故泣いているのだろうか。おしめが気持ち悪いのかお腹が減ったのか―――だが、先程メイドがおしめを換えていたしミルクも飲んでいた(前世の記憶がある今あれらは黒歴史でしかない。早く大きくなりたいとあれ程願ったこともない)。いくらなんでも早すぎるだろうし、それらの場合私には解決できない。
それらの可能性を除外し、解決策を考える。――――もう、手段は残されていなかった。
とすれば、行動は早い方がいい。名残惜しいがユリスの頭から手を離し、移動する。ユリスの頭の横にいたのを上側に移動し、真上からユリスの顔を覗き込む。自分の両頬に手を当てて準備は完了だ。
頼む、どうか泣き止んでくれ。
「あっうっうー(あっぷっぷー)」
可能な限り寄り目をし、口を開けて渾身の力で頬を押す。その状態を維持し固定。
所謂、変顔だ。
空気が、凍った。
ユリスは泣き止まず、ハクマはあっけにとられた顔でこちらを見ている。軽く矜持を捨てた泣き止ませ作戦は敗戦に終わった。ハクマのあっけにとられていた顔はユリスが泣き止んでないことに気づくと気の毒なものを見る目に変わった。もう、いっそ笑え。笑ってくれ。そしたら私もなんでもないことみたいに立ち直れるから。
「赤子に変顔をする赤子なんて初めて見たよ」
近づいてきたハクマが私に声をかける。
肩に慰めるようにぽんと脚を置かれ、羞恥で消えたくなった。
「だけどね、原因不明で泣く赤子にはこうしたほうが早い」
ハクマが私を飛び越え、ユリスの頭上に浮かぶ。そのまま片脚をユリスに向ける。
異変に気づき何をするつもりかと私がハクマを止めようと手を伸ばすのとハクマが詠唱するのは同時だった。
「ヒール」
ぽかんととする私を他所にユリスは淡い光に包まれた。
光が止むとユリスはすやすやと眠っていた。