この幸せそうな恋人達を繋げたのは、昔の一つの悲しい恋でした…
ヒロインは苦労人の美少女だが、とにかく前向きで明るい。
そしてそんな彼女には恋人がいるのだが、二人を結んだ縁には、悲しい一つの恋が隠れていた……
ある高名な大学の教授が突然亡くなった。彼の妻は二人目の子供を生んだ後、産後の肥立ちが悪くて亡くなっていた。
残されたのは、まだ医学専門学校に通う兄と、王立学院を飛び級で卒業したばかりの妹だけだった。
彼らの父親は名門伯爵家の出だったが、彼は四男で、しかも平民の娘と結婚したので爵位はなかった。
「僕が学校を辞めて働いて、妹の結婚資金を貯めるというのが、一般常識なんだろうが、自分のせいで兄を犠牲にしたと君が一生後悔する事になっては申し訳ないから、僕は奨学金をもらって学業を続けようと思う」
医者を目指している秀才と名高い兄マーヒーが言った。
「わかったわ。すぐには無理かもしれないけれど、できるだけ早く仕事を探して、私も自活出来るように頑張ってみるわ。どうせ結婚願望もないし、結婚資金も気にしないで」
と妹ミレットも平然と答えた。兄ならきっとそう言うだろうと思っていたから。しかし、しっかり者の妹はこう言質をとるのも忘れなかった。
「でも、お兄さん。寄宿舎に入るのなら、もうこの屋敷は要らないでしょ? 家屋と土地、そして家財を売却したお金はきちんと折半して私に渡してね」
すると、珍しく兄は目を丸くした。
「この家は売らないよ。俺はここから学校へ通うつもりだし、お前もそうだろう? ここを売ったらどこに住むつもりなんだ?」
「ですから、それはこれから探すのですが、なるべく住み込みの仕事を見つけるつもりです。そうすれば借家を借りる手間が省けますから」
「名家の娘が住み込みだなんて、そんな事はさせられない」
「名家っていっても父の代から爵位はないし、両親がいなくなった今では社会的地位は無いも同様です。はっきり言って仕事先を選んでいる余裕はないと思いますので」
「しかし、僕はいずれここを病院にするつもりなんだよ。こんな立地がよくてこれだけの広さの家を新たに手に入れるは無理だろうから、僕は手放すつもりなんてないよ」
「そうですか。それなら無理に売る必要はないですね。では、開業する時で結構ですよ。その時の時価で土地家屋や家財を算定して折半しましょう。
それと今のある貯蓄はすぐに折半しましょう。お兄さんだって当座のお金は必要でしょう。
老婆心で言っておきますが、お兄さんがこの家で暮らすなら、それなりの維持費や光熱費やご近所との交際費が必要となりますから、きちんと予算立てをした方がいいですよ。でないと学費は奨学金でどうにかなっても、生活費が卒業までもたないでしょうから」
兄はあ然とした顔をした。そしてどうにかこう呟いた。
「何故お前がこの家を出て行くんだ。何故この家の財産を半分お前に払わないといけないんだ」
「何故この家から出て行くのかといえば、お兄さんが働きに出ろと言ったからでしょ。
私は今までは家政婦のマリアさんと一緒に何とかこの家を切り盛りしていたんですよ。
でも、もうマリアさんを雇う余裕がないのに、誰が家の事をやるんですか?
えっ? 私? 私が一人で出来るわけがないじゃないですか! 私は外へ働き出るのに、いつ家の事をやるんですか。
ええ、わかっていますとも。どうせそんな無茶な事をいわれるのがわかっていたから、私は家を出る事にしたんです。
それと、何故財産を半分にするのかって? そんな事今更ですわ。とっくの昔に法律でそう決まっているからですよ。
えっ? 友人達は違うって? そりゃそうでしょうよ。
普通の家では全てのご兄弟が均等に扱われているのです。例えば家長が兄上でしたら、ご自分がしてもらったのと同様の事を他のご兄弟にもして差し上げるのです。それで財産と相殺されるんです。
それに比べて、貴方は私の進学費用も花嫁修行代も、結婚準備金も用意してくれないんですよ。
つまり跡継ぎとしての義務を果たさないのですから、当然全ての財産を引き継ぐ権利もないんです。
それは民事法で決まってます。一般常識です!」
さっきまで威厳を保とうと偉そうに演じていたのに、想定外の話の流れに、兄はパニックになっている。
彼は非常に頭が良く、成績が飛び抜けている。しかし、所詮人間の脳なんてみんなそう変わらない。使うところの配分が皆違うだけ。
兄はお勉強が出来る分、一般的常識や生活能力がない。
しかも今まで家の事に関わってこなかったのだから、知らなくても当然かもしれないが威張れる事でもない。
今後この家の跡継ぎだと主張するのなら、ちゃんと学んで欲しい。そう妹は思った。
公証役場から貰ってきた公正証書の写しを兄に見せて妹はこう言った。
「これが我が家の財産目録と、金融機関の通帳の写しです。後で確認して下さい」
「何故お前が通帳だのを持っているんだ。何故財産目録を知っている?」
「私がお父様の代理人及び管理人になっているからよ。もしもの時、お兄さんではあっという間にお金を使ってしまうから信用出来ないって。
そこの書類にそう書いてあるでしょう。お父様と一緒に公証役場に出向いて作製したので、私が勝手にやった訳でも、私がお父様を騙して書かせた訳でもありませんからね」
妹はそこで一息つくと、とどめの一言を兄へ投げつけた。
「金融機関の出し入れ及び、財産の売却は私にしかできません。
ですから、もしお兄さんがお金が必要になっても、使用目的を詳細に明記して下さらないとお渡し出来ません。
そうそう、勝手に借金しようとしてもまともなところでは無理ですよ。お兄さんは禁治産者に認定されていますから。
もしかしたら、闇金なら借りられるかもしれませんが、お父様の遺産からは返済するつもりはありません。
ですから返せなくなったら自分がどうなるか、怪しい所で借りる前によく考えて下さいね」
兄は真っ青な顔をした。そしてなんと冷たい妹なんだと罵られたので、妹はこう言い返した。
「そもそも、我が家には本来もっと潤沢な財産があって、奨学金を貰わずとも卒業や進学が出来たし、私の結婚準備金も心配する必要がなかったのですよ。
それをお兄さんが散財したり、友人に騙されて先物取引や株の取引に失敗した分を、お父様に肩代わりさせたせいでしょう?
本来、貴方に譲られるべき財産分はとうにないんですよ。
それなのに半分あげようという心優しい妹に冷たいだの、よく言えますね。流石に堪忍袋の緒が切れましたよ。
私を怒らせたらどうなるか、思い知るといいですわ!」
こう言い放つと、妹は家を出て行った。
実際のところ、妹は兄にこれ以上の事を言うつもりも、何かをやるつもりもなかった。
ただ兄の恋人にだけは、兄の実状は知らせるつもりではあったが。
妹が使えなくなったら、次に誰を利用しようとするかは火を見るより明らかだ。
妹の幼馴染みで兄の恋人でもある女性は、兄を尊敬し、あこがれている。兄がお願いすれば、彼女は喜んで言うことをきくだろう。
しかし一途な人間ほど恐ろしいものはない。兄が将来を考えて男爵家の娘である彼女を捨てて、高位貴族の娘でも狙ったら、血の雨が降る事だろう。
それは絶対に避けなければならない。二人の為にも自分の為にも。
だから彼女に兄の実情を話し、もしそれでも兄と付き合いたいのなら、きちんと婚約者となってからにすべきだと。そして淑女としてのプライドを持って付き合うべきだとも。
もしその忠告を聞いてもらえなかったとしても、それは彼女の選択なので、もうそれ以上口を挟むつもりはないのだが……
ともかく・・・
言いたかった事は全部言った。
長年溜め込んでいた鬱憤を全部晴した。
将来の憂いもなくなった。
私はもう自由だ。
これから私は、自分だけのために頑張って生きるのだ!
ミレットは晴れ晴れとした表情で、意気揚々と職業紹介所へ向かって歩いて行った。
しかしそんな彼女の後ををこっそりと付けて来る若者の姿があった。
彼女は下り坂の途中で足を止めて振り向きざまにこう言った。
「ストーカーさん! 今日は何の用ですか?」
若い男はビクッとし棒立ちになった。茶色のサラサラヘアーを撫で付け、ラフなスラックスにシャツとブレザー姿のイケメンが、情けない顔をして文句を言った。
「止めてくれよ、その呼び方。
確かにストーカー行為に似た行動をしたかも知れないが、あれは探偵の真似事をしていただけだよ」
「失礼にもほどがあるわ! こんな健気で真面目な少女の素行調査だなんて!」
「ミレット、もうそれを蒸し返さないでくれよ。素行調査じゃなくて身辺調査だよ。父親に頼まれたんだってそう言っただろう?」
「調査対象に恋をしたというのなら恋愛小説になるかも知れないけれど、恋人になってから身辺調査されるのって不愉快だわ!
離婚の為に不倫調査されるのとそう変わらないじゃない!
それとも恋人になった方が調べやすくなるとでも思ったの?」
「違うよ!もう勘弁してくれよ」
(元?)恋人は本当に困り果てた顔で言った。この若者は大学生で、ミレットの同級生となる予定だった人物だった。
彼の名前はマーク=アップシール。この春、ミレットの学院とは別の王都学園を卒業して、ミレットが進学を予定していた大学へ入学していた。
彼は半年前から彼女と付きあっていた。しかし二か月前に彼女の事をこっそりと調べ回っていた事がバレて、彼女に激怒されて、それ以来会ってもらえなくなっていた。
そしてなんとか事情を説明しようと彼女を追い回した結末、マークはストーカー呼ばわりされる事となったのである。
「馬鹿だな、大学に入学してから誤解を解けば良かったのに」
と友人に言われてからは、直接会いに行くのは止めて、何度も手紙を送っていたがミレットからの返事は一度もなかった。
ところがマークが大学へ入学してみると、全く彼女の姿を見かけなかった。
大学の女性の数は少ない。しかも彼女は大変な美少女なので、あっという間に噂にのぼると思っていたのに、一向に彼女の話題を耳にしない。
変だと思ったら彼女は大学へは入学していなかった。
王都一の才女と評判で、二度の飛び級をして僅か十六歳で学院を卒業したのだから、当然大学へ進学するものだと思っていたのに。
おかしいと思って彼女の家の近くへ行ってみると、ちょうど彼女が歩いているのが目に入り、そっと後をつけた。すると、彼女はなんと職業紹介所へ入って行った。
まさか、仕事を探しているのか?
置いてあったパンフレットを手にし、何気ない素振りで彼女の斜め後ろに立った。
彼女は一人の女性と嬉しそうに話していた。その女性には見覚えがあった。彼女の家の家政婦をしていた女性だ。
彼女達の話に耳を傾けると、どうやら兄と暮らすのが嫌で、家から出たいが為に仕事を探しているようだった。
二か月前に彼女の事を調べていた時に、当然彼女の兄の事も耳にしていた。
ミレットは大変優秀な娘だったが、その兄マーヒーは更に天才と呼ばれるほど飛び抜けた頭脳の持ち主らしい。
そして古今東西の天才同様破天荒で、自由奔放というか、我が道を行くというか、人を振り回しても全く気にしない人物らしく、様々問題を起こしていた。
表立ってはいなかったが、大分散財をしては父親が尻ぬぐいしていたらしい。
もしかしたらそれで家計が火の車で、ミレットは進学をせずに職探しをしているのかもしれない。
それに、兄とはもう一緒にいたくないというのだから、今までかなり苦労させられてきたのだろう。
そして、そのマークの推理は当たっていた。
ミレットは王立学院を卒業したら大学へ進学するつもりだった。学年一番の成績だったので推薦でとっくに合格が決まっていたのだ。
本来なら今頃は大学でのキャンパスライフをワクワクしながら始めていた事だろう。
しかし、彼女が学院を卒業する直前、大学教授だった父親が突然病死してしまっのだ。
ミレットも兄同様に奨学金を貰って大学へ通うという道もあった。父の遺産も多少はあったし。だが、あの家で兄と一緒に暮らす選択は彼女にはなかった。
仮に家を出るにしても大学は女子学生が圧倒的に少なく、その為に学生寮などはなかったのだ。
そして王都で部屋を借りる余裕は彼女にはなかった。四年分の家賃と生活費に蓄えが全部消えてしまうと考えると不安があった。
手取りのいい仕事に就こうにも、官吏試験やその他の就職試験も当然とうに終っていたし。
そこでミレットは考えたのだ。いずれ大学に進むにしろ、役所の就職試験を受けるにしろ、自分は飛び級をしているのだ。そう慌てる事もないと。
一、二年はどこかで働きながら人生経験を積み、沢山の人達と出会って話を効き、ゆっくりこれからの事を考えてみようと。
今まで自分は忙し過ぎたのだ。子供の頃から自分自身の勉強だけでなく、家事や父親の秘書役、そして兄の世話までしてきたのだから。
「お嬢様!」
職業紹介所に入った途端、ミレットは年配の女性に声をかけられた。
「まあ、マリアさん、どうしたんですか、こんな所で。息子さんのところで悠々自適に暮らすのではなかったのですか?」
マリアは半月前までミレットの家で家政婦をしていた女性だった。しかも十三年も。
三才で母親を亡くしていたミレットにとって彼女は、母親同然の女性だった。
出来るならずっと一緒に暮らし、彼女の最期も看取りたいと思っていた位だ。しかし彼女には家族が居るので諦めたのだが。
彼女が辞める時には、これから細々でも彼女が困らないで暮らせるだけの退職金を支払ったつもりだった。
それなのに半月ばかりで仕事を探すなんて、息子さんの家で何かあったのだろうか。母親のお金を横取りするような息子さんとは思えなかったのだが。
「仕事を辞めて一日中お嫁さん達と暮らすようになったら、今まで見えなかった粗が色々と気になってきましてね。それを口に出したら嫌な思いをさせてしまうでしょう?
だから、今まで通り日中は外で働いて、夜だけ家に帰る事にしたんです。
どうせ家にいて家事や子守をしても、当然だと思われるだけ。それなら外で働いて他人様に感謝され、しかもお給料をもらった方がずっといいじゃないですか。いくらかでも家にお金を入れたら息子達も喜びますし」
とマリアは明るく言った。
確かにマリアさんはまだ五十前の働き盛りなのだ。家に籠もっているより外で働いていた方が楽しいだろう。
それに子守りは男の人が思うより体力が要るのだから、若い母親がやった方が実際いいのだ。そしてたまに子育てを手伝うのが、一番なのかも知れない。
色々大変なのかもしれないが、とりあえずマリアが元気そうなので、ミレットは一安心した。
しかし、自分の近況を話し終えたマリアは眉を顰めてミレットを見た。そして耳元で小さな声でこう言った。
「ところで、お嬢様が何故こんなところへ?
まさかお坊ちゃまに追い出されたのですか?」
「お嬢様はやめて。前から言ってるけど、ミレットって呼んで。私はマリアさんを家族だと思っているんだから。息子さん達には申し訳ないけれど、実のお母様みたいに思っているのよ」
ミレットの言葉にマリアは涙ぐんだ。彼女も実のところ、息子家族よりミレットの方が愛しいと思っていた。絶対に口にはしないが。
「住み込みの仕事を探そうと思っているの。
でも、なにも兄に追い出されるって訳じゃないわ。寧ろあっちは私にいて欲しいと思っているでしょうよ。
だけど私があの家から出たいの。わかるでしょう?」
「ええ、それはわかりますけれど、なにも住み込みでなくとも……」
「家庭教師が第一希望なんだけど、家政婦や侍女の仕事でも自分はやれると思うのだけれど、プロの目から見てどうかしら?」
「悔しいですけれど、私よりお嬢様の方がより完璧に、より素早く家事が出来ると思います。それにマナーも完璧なので、貴族のお宅でも問題は無いと思いますよ。
まあ、現実的には紹介状が無いと貴族の家は無理でしょうけど。
伯父上様方にお願いすれば可能なのではないですか?」
「私の為にそんな事してくれるわけないわ。だって、父のお葬式にさえ来てくれなかったのよ」
「本当に冷たい方々ですよね」
「まあ、お父様も来て欲しいとは思わなかったでしょうけどね」
ミレットの父親は実家のハフマン伯爵家とは一切付きあってはいなかった。
結婚を反対されたり、平民だと見下されたり…… そのくせ身内の裏口入学を依頼されたりして、よくよく実家が嫌になったらしい。
「マリアさん、心配しないで。私は別に悲観なんかしていないのよ。
むしろ、新しい未来にワクワクしているくらいなの。だから心配しないで。手紙もきちんと出すから」
ミレットは屈託なく微笑んだ。そして職業斡旋願いの書類を提出したのだった。
そしてその一週間後、彼女は職業紹介所から住み込みの家庭教師の仕事先を紹介された。
その紹介先の名前を目にした彼女は思わず微笑んだ。そしてすぐさまその仕事に申し込んだのだった。
その結果そこに採用が決まり、今日兄に家を出る宣言をした、という訳だった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「貴方がストーカーじゃないなら、何故私の家の前に立っていたのかしら?」
「だから、君が今日兄貴に家を出るって宣言するって聞いたから、心配して来たんじゃないか!
君の悲鳴が聞こえたらすぐに中へ飛び込もうと思ってたんだ……」
マークは真剣な顔付きでこう言ったが、それを聞いたミレットの顔が少し引き攣った。
一体どこでその情報を知ったの? また、ストーカーしていたわね? と。
その話は一昨日、職業紹介所で採用結果を受け取った時、マリアとまた会って、彼女に就職が決まった事と兄に最終通告をする話をしたのだった。
ミレットは「ハァー」とため息をついた。まあ、呆れると共にもういいか、と思った。
「ねぇ? 半年前の学生弁論大会で貴方は私に一目惚れしたと言ったわよね? だけど本当は単に、私が貴方のお義母様に似ていたからよね?
このマザコン!」
「うっ!」
「ニか月前に貴方が突然私を睨むようになったからどうしたのかと思ったら、私を貴方のお義母様の娘だと勘違いして、私に焼き餅を焼いたからなんでしょ?
このマザコン!」
「うっ!」
「そして今度は私への罪滅ぼしの為に就職斡旋? しかも自分の実家に? 私を監禁でもするつもり? こわっ!」
「違うよ。元々君の事を調べていたのは、義母の遺言を守りたがっていた父の依頼だった。だけどそれは君と付き合い出した後だったんだ。
確かに最初は義母に似ていると思ったけど、それで君を好きになった訳じゃないよ! だって性格が全然違うんだから。
それに……君に対する態度が少しギクシャクしたのは、君に申し訳なく思ったからで……
僕、昔義母の墓参りに来た君を見た時、あんまりよく似ているから、義母の隠し子だと思い込んでしまったんだ。
それで僕は実の娘の身代わりでかわいがられたのかって、勝手に拗ねていた事があったんだ。それを思い出して、なんか居た堪れなかったんだ。
もっと早く君の家の状態を把握出来ていたら、援助を申し出る事も出きた。そうすれば君は今年大学を諦めずに済んだのに、本当に申し訳ない。
だから本当はうちのホテルでただのんびりと暮らして欲しかったんだ。だけど、君の性格じゃ断られると思ったから、職業紹介所に姪っ子の家庭教師の募集を出したんだ」
ミレットとマークは血の繋がりなど全くない赤の他人であり、生まれ育った場所も違った。
初めて二人が出会ったのは、去年ミレットが優勝でマークが準優勝した弁論大会の会場だった。
しかし付き合うようになった後で、彼女を以前見かけていた事にマークは気が付いたのだ。
四年程前に義母の墓参りに行った時、その墓の前で父親らしき男性と共に花を手向けていた少女がミレットだったという事に。
その一年前に亡くなった義母はとてもマークを可愛がってくれた。しかしそれは別れた娘の代わりだったのか!と勝手にショックを受けて、勝手に彼女を嫌っていたのである。
しかし、父親の依頼で彼女を身辺を探っているうちに、自分があり得ない勘違いをしていた事に気が付いたのだ。
彼女の父親であるハフマン卿は、義母の元恋人や元夫などではなく、なんと甥だったのだ。しかも義母より一つ年上の甥・・・
つまりハフマン卿の祖父である元伯爵は、自分の愛人達に軍人相手の店をあちらこちらでやらせていた、所謂やり手な爺だった。
そのせいで、いい年になっても国のあちこちに隠し子を作っていた。
そして義母はそんな隠し子の一人だった。だから、甥より年下の叔母だったのだ。
ハフマン卿が学生だった時、隣国との戦後間もない頃だったので、王都にあった学院の校舎が破壊されていた為に、学院が一時的に地方へ移転していた。
その地方で彼は義母のクレアと出会ったのだった。
義母の母親は身寄りのない人だった。それ故にクレアにとって唯一の交流があった親族はハフマン卿だけだった。
そして義母達は互いに結婚してからも交流をしていたのだが、それを家族には知らせていなかった。
それは義母が隣国の戦勝国側のマークの父親の後妻となったからだろう。
五年前に義母が急死した。
マークの父親はハフマン伯爵家へ連絡をしたが、誰一人も葬儀には参列しなかった。
しかしその親族から後から聞いたのだろう。葬儀の一年後に、ハフマン卿が娘のミレットと共に墓参りに訪れてくれたのだ。
そしてその後、マークの父親が義母の遺書のようなものを見つけたのが、二か月前だったのである。
そこには自分名義の財産の半分を義理の子供達に平等に、そして残りは甥のハフマンの二人の子供達に渡して欲しいと書いてあった。
ただし、どのタイミングでどのように渡すかは夫の判断に委ねる……と記載されてあったという。
そこで父親はハフマン卿の子供の様子を調べるように、王都の学園の学生だったマークに命じたのだ。そして二人の子供のうち妹の方が、なんと自分の息子の恋人だったという訳だ。
こんな偶然があるのか?
いや、偶然とは必ずしも言えないか…… そもそも弁論大会の時、義母によく似ていたから気になって、マークは彼女に声をかけたのだから。
もっともあの弁論の内容といい、あの凛々しい態度とといい、しっとりお淑やかだった義母とは中身が真逆だとすぐにわかった。
だから決して義母に似ていたからミレットを好きになった訳じゃない!
人に頼らず、あてにせず、甘えない。しかし人を思いやれる優しい子……年下の女の子なのに彼女をかっこいいと思ってしまったのだ。
この子なら互いに切磋琢磨しながらも助け合い、楽しく生きて行けるんじゃかいかって。
それなのに、同じ王都に住んでいるのならちょうどいい。ハフマン卿の内情を探れ!と父親に命じられてしまったのだ。
スネかじりの身の上では親には逆らえなかった。
それが後ろめたくて、ついついマークは挙動不審な態度をしてしまった。そして結局は身辺調査をしている事がバレて、彼はミレットを怒らせてしまったという訳だ。
しかも運の悪い事に、ミレットを怒らせてしまった直後にハフマン卿が急死してしまったのだ。
彼女の側にいて慰めたかったが、彼女に拒否されてしまった。その上彼女にストーカー扱いをされてしまったせいで、近寄ったり様子を伺う事も出来なくなった。
だから彼女が金銭的に困窮し、今年の大学の入学を断念したという事にも気付けなかったのだ。
事前に知っていたら義母のお金を渡せたのに。
しかも彼女は家を出て住み込みで働くつもりだと知って驚いた。そんな真似はさせられない。
そこで父親と相談して、長兄の娘の家庭教師としてうちに来てもらおうという事になったのだ。
まあ、父親は妻の大切な身内の娘を自分の所で働かせる事に、最初は難色を示したが、彼女は人に甘えるのが嫌いだからと説得した。
彼女は自分の力で生きて行こうとする人間だから、彼女の誇りを傷つけるような事は出来ないと。
そして職業案内所にはミレットだけに紹介して欲しいと、事情を説明してお願いしたというわけだ。
マークは必死でミレットに事情を説明した。手紙には全て書いていたのだが、もしかしたら読まずに捨てられていた可能性もあるので・・・
するとミレットがクスクスと笑った。
「もういいわ、マーク。分かったわ。貴方が私を尊重して、ただ面倒みよう、お金を貸そうではなくて、ちゃんと雇ってくれようとした事、とても嬉しかったわ。
ああ、私の事分かってくれているんだって。
もう許してあげるわ」
「本当? 許してくれるの?
それは……恋人同士に戻れるって事?」
一瞬喜びかけたマークがすぐに不安そうな顔をしたので、ミレットは「そうよ」と答えてあげた。
苛めるのはほどほどにしないと、本当に恋人同士には戻れなくなってしまう。それは困る、とミレットも思ったのだった。
こんな勝ち気で可愛げのない自分を好きだって言ってくれるのはマークくらいだろう、とミレットはわかっていた。それに、こんな自分の性格を理解してくれているのも……
それに一見ヘタレのように思えるが、実はマークはかっこいいのだ。
そう、ミレットの学院とは別の学園に通っていたマークは、王都の女子生徒の間では人気者だったのだ。
隣国との国境近くのリゾート地でホテルを経営してる子爵の令息で、眉目秀麗。しかも武術にも優れた好青年だと。
色々と貶していたが、ミレットは本当は彼の事が大好きだったのだ。
「ねぇ、これから何処へ行くつもりなの?」
「運び屋さんの所よ。身の回りの物を貴方のご実家に送りたいから。
それから駅で前売りの切符を買うつもりよ」
「そうか、じゃあ僕も一緒に行くよ」
マークは以前のようにミレットの手を握ると、ニッコリと笑ったのだった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
国中でグリーンフェスティバルが催されている中、一人の美少女が汽車に乗っていた。ふわふわと軽くウェーブした栗色の柔からかなロングヘアーに、やはり薄茶の明るい瞳。
雪のように白くてすべすべの肌に、すっとした鼻筋。そして厚くもなく薄くもない形のいい唇。
彼女の姿が見える席にいる者達はチラチラと彼女の方を見ている。
彼女の前のボックス席にすわっているマークもその中の一人だ。
少女はこの汽車の道中をとても楽しんでいる様子で、好奇心たっぷりの瞳で車窓から流れる外の景色を眺めていた。
そして時折り窓から吹き込む風に、気持ち良さそうに瞼を閉じて、緑の匂いでも嗅ぐかのように顎を少し突上げた。
彼女のその仕草がいちいち可憐で、マークやその他の乗客達は思わず息を飲み込んだ。
彼女の容姿と仕草から、彼らは彼女をどこかのご令嬢だろうと思っている事だろう。
いや、確かに名家のご令嬢には違いないのだが、決して蝶よ花よと甘やかされて育った訳ではない。むしろその逆だ。
物心がつく前に母親を亡くした彼女は、通いの家政婦に育てられたようなものだ。
父親は高名な学者で大学教授。研究や勉強に忙しくて家庭や子供達を顧みなかったという。
その上兄は変わり者で、五つ年下の妹の面倒をみるどころか、反対にまるで助手か下僕かのように彼女を扱っていたと聞く。彼女はさぞかし寂しく辛かった事だろう。
そして今だって傍からみたら、彼女は優雅な旅を楽しんでいるように見えるが、そんな筈がない。彼女は今から見も知らぬ家を訪れて、そこで働き、そこに住む事になるのだから、さぞかし不安だろう。
それに彼女はきっと好奇な目で周りから見られるだろう。屋敷の者達だけではなく、街の人達からも。彼女は町の人気者だった義母にそっくりだから……
しかも彼女をそんな場所へ置いてしまうそもそものきっかけを作ってしまったのは自分だ。
マークは申し訳なくなって彼女から目を離し、彼女とは反対側の車窓から外を眺めた。
ほんの少し前までは、まるで灰色のモノクロ写真のようだった外の景色が、今ではまるで緑色のペンキで塗り手繰ったような世界に変わっていた。
彼女が仕事先に向かうのがこの時期で良かったと、マークは思った。
何故なら、グリーンフェスティバル中でなかったら大学入学早々彼が休みなどを取れるわけがなかったからだ。
役に立てるかどうかはわからないが、少しだけでも彼女をフォローする事が出来ればよいのだが。そうマークは思ったのだった。
王都を出発して三時間ほど経って、汽車は目的地である終着駅に到着した。何故ここが終着駅かというと、この場所がこの国の最南端であり、その先は海だからである。
そしてそのはるか遠くに隣国の島影が見える。それはこの国が三十年以上前に戦った国であり、マークの父親の故郷でもあった。
汽車から降りたマークと彼女は、駅から出ると駅舎の隣の一時預かり所にトランク二つを預けた。そしてロータリーに停まっていた何台かの乗合馬車の御者に声をかけた後、三台目の馬車に乗り込んだ。
屋根が黒いその馬車は海岸を眼下に見下ろせる丘の方面に向かう乗合馬車だ。
やがて馬車はある停車場で止まった。二人はそこで下車すると、停留所の前の花屋で花を買った。顔馴染みの花屋の女主が不思議そうにミレットを見た。
「坊っちゃん、そちらのお嬢様はクレア様の身内の方かい? えらくそっくりだから。もしかして……」
「ええ。彼女は義母の親類の子です。僕の義理の従兄弟の娘ですね」
「えっ???」
どうせ噂になるだろうと思った彼はこう答えた。案の定彼女の顔には?の文字が浮かんでいた。ややこしくて理解していないだろう。しかし、親族だとわからればそれで十分なのだ。
娘ではなくて親族だと・・・
「それから僕の恋人です」
「まあ! マザコンだった坊っちゃんにもようやく恋人が……良かったですね」
「おばさん、何言ってるんですか!」
二人の会話をきいていたミレットがクスクス笑った。
「おばさん、彼女は来年大学に入るまで、この町で働く事になっているんだ。彼女に悪い虫が付かないようによろしく頼むね!」
マークは最後にそう言うと、ミレットの手を取って大きな通りを横切り、細い坂道を登り始めた。
彼らはゆっくりゆっくり坂道を登って行った。道の両端に生えている木々はまだ新芽が出てきた所で、王都と比べると、まだ緑の季節には早い。
彼女を初めて見た時は、緑がもっと鮮やかで、眩い光で溢れていた。紺色のシンプルなワンピースに、やはり紺色のリボンのついた麦わらの帽子を被っていた。
海が見下ろせる丘を登り切ると、そこは霊園だった。
ミレットとマークはクレア=アップシールの墓石の前で、二人並んで腰を下ろして手を合わせた。
『お義母様、僕、ミレットと恋人になったんですよ。いずれ結婚するつもりです。僕、彼女と力を合わせて幸せになります。
どうか見守って下さい』
『大叔母様、私、貴女の義息子と付き合っているんですよ。不思議ですよね。これは大叔母様の何らかの力が働いているのですか?』
ミレットは父親の愛用していた万年筆をハンドバッグから取り出すと、墓石の前にそっと置いた。
その時、優しい風がミレットの頬を撫でて通り過ぎて行った。
ミレットが空を見上げると、青い空の中に、ようやく解き放たれた若いカップルが、手を繋ぎ合い、幸せそうに微笑みながら自分達を眺めていた、そんな気がしたのだった。
悲しい恋とは何だったのかを分かっていただけたでしょうか?
彼らは何も知らずに知り合いました。親の因果で辛い恋に終わりましたが、自分の子供達の為にそれを素敵な縁に変えたのでした……
読んで下さってありがとうございました!