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カースカ(旧スーカスカ)  作者: ぷらまいせぶん
ヴォヴクラーカ
84/98

人と獣

25年1月追加

ホーウ、ホホホーウ、ホーウ…

故郷の森と同じように、モリフクロウが鳴く声が、頭上から聞こえる。

男は行き先も分からないまま、人気のない、不気味で肌寒い森の中を歩いていた。道すがらに会った、古風な暮らしをしているコザークの一団が言っていた。ここは幽霊伯爵と呼ばれる、恐ろしい貴族が支配する土地だと。しかし今の男には、そんな話に怯える心もなかった。あてもなく歩き続け、湖のほとりに辿り着いた男は、ついに湖岸で歩みを止め、枯草の上に腰をおろした。男はぼんやりと、湖を眺める。湖面には、おおきなおおきな月がうつっていた。


「とうさん、どうしてもりにひとりではいってはいけないの?」

「そりゃあ…狼男(オボロートニ)が出るからさ。奴らは女子供が特に好物で、狼と違って、はじめは人のふりをして近づいてくるんだ。だから逃げることもできない。お前なんてちっちゃくて弱いから、すぐに食われてしまうぞ!」

「こわいわあ…!どうしてもみわけられないの?」

「そうだなあ、狼男は毛むくじゃらだから…」

「でもとうさんも毛むくじゃらじゃあない!」

「そうだ…おれは、狼男だったんだぞ!!」

「いや~!!」

「ははは・・・・」


男は、娘がまだ小さかったときのことを、ふと思い出した。幼い娘を脅すためについた嘘。狼男など、いるはずがない、と、男は思っていた。男は娘が狼男のようだといった、自分の毛深い腕を見る。満足に食べていない男の四肢は、骨ばって、もう肉はほとんど残っていなかった。そして、湖面にうつる自分の顔を見た。いったいいつぶりに見たのか分からない自分の顔は、髭も髪も伸び放題で、薄汚れていて、瞳は獣のようにぎらぎらとして、怯えていた。戦場に行く前、酒場で知り合った、やけに物知りな西から来た旅行者の言葉が、男の頭の中に響いた。


「狼男って言うのは、呪文をかけられてなるものでも、薬を飲んでなるものでもない。人がつくりだすのさ」

「あんたの言うことは、まったく訳が分からねえなあ。だいいち、おれは狼男なんて信じてないさ」

「いや、狼男は本当にいるんだよ。私は古い本を読んで調べたのさ」

「あんた貴族様か司祭様だったか?文字が読めて、本を読むひまがあるなんて、羨ましいことだね」

「ともかく聞いてくれよ。そのむかし、私の国では、教会に逆らったやつは罰を受けたんだ。そいつらは、「狼」と呼ばれた。彼らは、村から追放され…狼の毛皮をつけて、月明りが照らす中、何年も何年も森の中をさまよって、叫び続けなければいけなかった…。そうして、狂った彼らは、時たま人里に戻ったり、森に入ってきた人間に、悪さをするようになった。」

「なるほど…。そいつらが、狼男…ってわけか。」


「そうだ。だから、狼男は、ほんとうにいたのさ。絶望と狂気が、狼男をつくりだすんだ。」


男は湖面にうつる月と自分の顔を眺める。

戦場から逃げ出したとき、男の頭の中に浮んでいたのは、家族と故郷だった。とにかく生き延びたくて、また娘や妻に会いたくて、男は死に物狂いで逃げ出した。だが時が経つうち、人目を避けながらも、街や村で兵士ではない人々が普通に、以前の自分のように暮らす様子をみるうちに、男の中に疑念が浮き上がっていた。


(馬鹿な夢を見て、あいつの言うことも聞かずに飛び出して…。あんなところにいて、ひとを殺したおれが…家に帰ろうっていうのか。)


男は静かに波打つ湖面にうつる、自分の瞳を見る。そして、戦場で何度も目にした、敵や仲間の瞳を思い出す。人間ではない。狩って、狩られる、戦う、逃げる、殺す、殺される…それだけの、獣の目だ。


(それに、まだ戦争が終わってなかったら…おれは脱走兵だ。こんなやつ、帰ってこない方が、あいつらにとってもいい。もう、別の男がおれのかわりに居るかもしれない…。)


男は自分の愚かさを憎んだ。しかし、戦場に行く前に戻ることはできない。愚かではあったが、畑を耕し、人殺しとは無縁で、酔っ払って親父どもと殴り合いの喧嘩をするだけだった、人間の自分に戻ることはできない。


(戦争でひとをころして、英雄になれるわけ、ねぇだろ…)


男は絶叫した。がらがらの声は、人ではなく、獣の声のようだった。


オォーン…


そのとき、森のどこか遠くから、狼の遠吠えが聞こえたような気がした。男はおもわず、その声を真似して叫んだ。そして、鳴き声がした方を目指して、四つん這いになって、手と足で地面をすくい、駆けだした。ほんとうの獣の真似をすると、頭の中が冴えていった。落ち葉をかき、夜の森を、木々の中を駆け抜けるうちに、家族との記憶も、故郷の記憶も、戦場の記憶も、頭から抜け落ちていく。飢え死にしそうな空腹を満たす食べ物と、寝床のことだけが、男の思考を支配した。これ程さわやかな気分になったことは、もう何年もない。


オォーン、オォーン…


男の遠吠えが、フクロウや虫の声といっしょに、夜の森に響き渡る。狼の声は返ってこなかった。それでも男は、満月の下で走り続けた。


そうして一人の兵士は、狼男になったのだ。

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