狼になる
「先程は、辛い話を打ち明けてくれてありがとう。貴女の勇気に報いたいと思う。必ず貴女の友、私の領民の敵をとると誓おう………、けど、囮の話は…」
ネクラーサが待つ部屋に入った伯爵は、椅子に座る彼女の前に跪き、その顔をまっすぐ見上げ、暗い青色の目を見つめながら誓った。しかし急に歯切れが悪くなった時、
「囮は危険です。私がやりましょう」
ジーナが淡々とした口調で口を挟んだ。
「ジーナ」
伯爵が反対する前に、ジーナは滔滔と説明する。
ネクラーサもジーナも同じ年頃で、背丈も同じ頃。ネクラーサも農民として農作業をしているだけあり、それなりに筋肉はある。身体的強さは変わらないかもしれない。しかし執事から護身術の訓練を受けたり、幼い頃から一人で森に出入りしていた自分の方が襲われた時対処しやすいだろう、と。
「それに、私は伯爵様の従者。主の領民の少女を危険な目に合わせる訳にはいきません」
「でも、」
伯爵が何か言おうとした時、ネクラーサの怒気を孕んだ声が響いた。
「見くびらないで……」
黒い前髪の隙間から覗く青い目は、狼のように鋭い。自分を睨みつける少女に、ジーナは少し困惑する。彼女が怒る理由が分からなかったのだ。
「いくら男だと言っても、貴方の細い腕じゃ、そんなに私と腕力も変わらないし…たしかにあの時は油断してたけど、逃げ足も速いの。」
ネクラーサはジーナの肉に乏しい腕を指差して言う。因みに、ネクラーサはジーナが女性であることを知らなかった。
「それに、あなたが伯爵様の小姓だって村中の人が知ってる。女装したって分かるわ」
ジーナは冷静な頭でたしかに、と思った。伯爵の従者に襲いかかる馬鹿はいない。しかし、囮になるのは夜だろうし、化粧を濃くすれば誤魔化せないだろうか?と、ジーナが反論する前に、か細く低い声が響いた。
「ふたりとも危険だ、私がやろう」
ジーナとネクラーサは同時に伯爵を見た。伯爵は長身だが細身、確かに女装出来なくはない体躯だ。上手く輪郭や肩幅を誤魔化し、化粧を変えればそれなりに病弱な美人に見えるだろう。しかしこの幽霊のような佇まい、狼男といえど、襲う勇気があるだろうか。それにまず、伯爵は囮になる身分ではない。
「伯爵様にそんな真似をさせるわけにはいきません」
ネクラーサの言葉にジーナは頷いた。襲う目的ならまだしも、初めから相手が殺しにかかってきたら彼女たちは領主を失うことになる。
「私にさせてください。私どうしても彼女の仇を討ちたいの。それで死んだって本望」
「しかし…」
渋る伯爵の横で、手を顎に当てて考え込んでいたジーナは、埒が明かないとその場を去った。…と思いきや、しばらくして部屋に戻って来て、ネクラーサの目の前に立つ。
「…何」
ネクラーサは怯えはしなかったが、怪しげにジーナを見る。この小姓は整った素朴な顔立ちながらいつも無表情で、伯爵に負けずおそろしい。
「これを使うなら」
ジーナはネクラーサの手の中に、何かを置いた。冷たい手触りに、ネクラーサは頭の血が引くのを感じた。
「彼女を囮にしましょう」
伯爵はネクラーサの手の中のものを見て、顔に手を当て、悩み込む。
「万全とは言い難いが…そうだね。我々は周囲に張り、貴女を守ろう。それは使える?」
「はい。…短剣の方が扱いやすいけど…何だって持つわ」
ネクラーサの手には、小銃が握られていた。