今とこれから
娯楽に飢えた辺境の農村では、結婚式は祝祭に等しい。
新郎が新婦を「買う」様子を村人たちは囃し立て、若い恋人たちを先頭にした行列が村中を練り歩く。夏の青空の下、夏至の日には幽霊のようだった青年は自信に溢れた顔で、妻となる恋人に愛を囁いた。
結婚式は、丘の上の、伯爵の城に隣接する村唯一の教会で行われた。物珍しさに目を輝かせる伯爵と伴に行列の後ろを歩いたジーナは、そのまま一人城の自室へ帰るわけにもいかず、教会に入り、長椅子に座る。少女は、冠を授けられる恋人たちを冷めた目で見つめながら思う。
(父さんと母さんは不幸な結婚の末毎日罵倒し合う始末だが、彼らの幸福な結婚はいつまで続くのだろう?子供が生まれる頃には取っ組み合いの喧嘩でも始めるだろうか)
両親の険悪さから、ジーナは夫婦の間の愛や絆というものは信じていなかった。しかしその一方で、何故だろうか、泣きながら微笑み合うオレーナとヴィクトルの姿は、亡くなった兄と、どこかへ売られた彼女の在りし日に重なり、その未来に希望があると願いたくなってしまう。
「私は、この結婚に、イヴァン様の評判に傷を付けるかもしれないほどの価値があるのかと、今も疑っています。」
隣に座る伯爵に、ジーナは彼にしか聞こえない小さな声で話す。伯爵は申し訳ないように眉を下げ、彼女を横目で見た。
「けれど…彼らが一緒になれて、よかったとも、思ってしまうのです。」
ぽつり、と溢れた少女の言葉に、伯爵は優しく微笑んだ。
それから伯爵とジーナは、度々宿屋の食堂を訪れるようになった。風変わりな伯爵にはじめ他の客は怪訝な顔をしたものだが、そのうち皆、陰気な男と無表情な少年の存在に慣れてしまった。
3度目に訪れた時から夫婦喧嘩は始まり、すぐに宿屋名物となった。しかし喧嘩の後は必ず二人は熱い口づけを交わし、周りをげんなりとさせるのだ。
今日も今日とて犬も食わぬ喧嘩の後、ヴィクトルが涙ながらに謝り、オレーナも彼の真摯さに感銘を受けて許すという茶番を伯爵たちはボルシチを食べながら見ていた。以前は喧嘩が始まる度に仲裁に入るか悩み、何も出来ない自己を恥じながら怯えていた伯爵でさえ、今や二人の様子を微笑ましく見ながら談笑するほど、慣れてしまっていた。
「本当に、私たちがこうして一緒に居られるのはあなたのおかげだわ」
幸福を噛み締めたオレーナは、料理を持ってくる際に改めてジーナに礼を言った。
「いえ、イヴァン様のお力です」
平坦な声で話しながら、ジーナは変わらぬ二人を見て、胸の奥が暖かくなるのを感じた。
城へ帰る道中、揺れる伯爵の巻毛を見ながら、ジーナはふと未来へ思いを馳せた。
(イヴァン様が結婚したら、私はどうなるんだろう)
(彼が万が一女性を気に入ったら…いや、気に入らずとも、子孫を残すために結婚することになったなら…私はその方に取り入れるだろうか)
その未来が当分先であろうことは、道端で若い女性に挨拶され、馬から落ちそうになるほど震え上がる主を見ていれば明白だった。
しかし、伯爵の身分を考えれば、いつか来る未来である。幽霊伯爵と恐れられてはいるが、伯爵の家柄、財産目当てに縁談を申し出る手紙も何通かジーナの目に留まっていた。少年を愛人にして、子供は養子という手段もありはするが、いずれにしろジーナは邪魔な存在になる。
(愛人はともかく、イヴァン様が結婚した時は、………子供の家庭教師でも目指そうか…無学な農民では、奥方の不満を跳ね除けて城にいられない。)
夕暮れに染まる白亜の城を見上げながら、ジーナは一人、決意を新たにした。
夜、伯爵はジーナの部屋の扉から微かに光が漏れているのを見かけ、戸を叩く。
「精が出るね!ジーナ、君なら県都の大学にも行けるよ」
半年前までは文字も書けなかったのに、もう聖書や農学、算学の書物を読み始めているジーナの賢さに、伯爵は日頃感心していた。そしてその勤勉さは、学問への興味故だと彼は思っている。
「私はこの城に居られるなら、何でもします。」
微妙に食い違った答えを返すジーナに、伯爵は少し休憩もしなさい、と蜂蜜酒を差し出す。
「本当に、今回も君に助けられたな」
銀のカップを手に、伯爵は微笑む。ジーナは文字を書き写す手を止め、伯爵の方を向いて答える。
「あの二人が笑顔なのは、紛れもなく、あなたの寛容さのせいですよ」
「いいや…君の勇敢さのおかげでもあるんだよ。私だけでは、二人を救えなかった。」
伯爵は、ジーナの頭に手を置き、珍しく年長者のような顔をして言った。
「あの二人を祝福できる君は……もう、愛を知ってるんだ。」
一瞬、ジーナの目に映る幽霊伯爵は、いつもの陰気ではなく、聖画の神の子や聖母のような光を放っていた。
その日ジーナは、天使の伯爵に連れたって哀れな罪人を地獄から救って行くという悪夢を見た。
この章は終わり。続けば秋の話。




