ひとりの兵士
故郷を離れた時、男は勇み足で、希望に向かって歩いていた。
輝かしい名誉、女帝からの褒美、家族を農奴生活から抜け出させる金。このままいくら貴族のために鋤を振るっても得られない報酬が手に入るなら、命を賭ける価値があると思った。
男は自分が行く先も知らなかった。ただ、国境を超えた異教徒の国の海や、山で戦いがあると聞いていた。男は、何故ふたつの帝国が争っているのかも知らなかった。ある貴族の将校は、それは女帝の崇高な理想を広めるためだといい、ある修道士あがりの兵士は正しき教えを広めるためだといい、ある農民の兵士は貧しい平民が新生活を送る土地のためだといった。しかし理由など、男にはどうでもいいことだった。
道中泊まった家の農民たちは、男たちを歓迎していなかった。帰る時は英雄になるかもしれないのに失礼な奴らだ、と男は仲間たちと笑って酒を酌み交わした。農民たちは訛った言葉で何かをヒソヒソと話していたが、酔っ払いの耳には入らなかった。
男が故郷を離れたのは、戦が始まってから、すでに数年が経った年だった。兵士の募集はずっと続いていたが、帰って来たものの話を男は聞いたことがなかった。しかし疑問は抱かなかった。帰ってくるのは臆病者で、帰ってこないのは運の悪い者。勇気ある者や報奨を求める者は戦いつづけているのだから。
男が兵士になると言ったとき、妻は馬鹿だと言った。お前のほうが馬鹿なのだ、と男は返し、夜通し喧嘩になった。あたらしい夫をつくるという妻に、好きにしろといって男は家を出た。他の村人からは讃えられた。領主は労働力が減ると文句を言いながら、帝国の役人の前に折れた。
男は隊列を組んでいた。大砲の轟音が鳴り響いている。足が少し震える。妻のことは恋しくなかったが、村に残してきた娘たちの顔は見たい。
(あいつらが嫁に行く前に、嫁資を持って帰ってやらないとな)
合図の号令がかかり、男は足を踏み出した。