獣と人間
狼男の噂は瞬く間に村中に広がった。酒場で、暖炉の前で、畑で、村人たちは狼男について己の見解を述べた。
「聖人が守っているから、捕まえられないのよ」
「三十年前も狼男が」
「村人の誰かが狼に?」
「あそこの息子は粗暴だし、狼にそっくりだ」
「いるわけないわ、そんなもの」
「先々代の領主が狩った狼の呪いだ」
「伯爵様は何をしているんだ?」
「ああ、怖い、怖い。木の実も摘みにいけない」
「あの子も食べられてしまったのかしら…」
狼男の存在を信じる者達は誰それが狼らしいと議論し、信じない者たちは狼や人間の仕業だと議論し、村中が疑心暗鬼になっていた。そして終いには、みすみす狼男を野放しにしている伯爵に矛先が向かい始める。
「このままじゃ、皆イヴァン様のせいだって言い始める」
「馬鹿げてる。人間が狼になるわけがない」
姉に村の様子を伝えに来たムハイロは、林檎をむしゃむしゃ齧りながら、見聞きしたことを伝えた。ジーナは薪を割りながら答える。表情は変わらないが、薪はやや不揃いに割れた。
「狂人が四つん這いで走り回ったり、狼の真似をして叫んでいるんじゃないか」
ジーナは人狼の存在は信じていない。大方見間違いだと思っている。獣か、獣のような人間が娘たちを襲ったのだ。同じ見解の伯爵は森に立ち入らないように村人に言い、私兵と猟師、有志の村人たちに夜の森を見回りさせ、獣を捜索させている。ジーナから見れば伯爵はするべき行いをしているが、伯爵本人はといえば古い記録を見たいと言って書庫に籠もって居るので、悪い噂が立つのも無理はない。しかし伯爵は何かを探して整理されていない書庫の本を読み漁っていた。
「でも、昔狼男が月を食べたから月のない夜があるんでしょ?」
「違う、あれは地球の影が…」
幼いムハイロは、他方、狼男を信じていた。森で勝手に行動しようとする弟に狼男の話をして脅したのはジーナだ。ほんの少し責任を感じたジーナは、最近伯爵の本で読んだ知識を話し始める。
「地球って?」
「私達が立ってる球体のことだ」
ムハイロが興味を持って聞いてくるので、狼から話は逸れて、星についてジーナが話すうち、日が傾いてしまった。
「この状況だ、今日は城に泊まらせてもらえ」
「なんだ、やっぱりジーナも狼男が怖いんじゃないか!」
ムハイロは天真爛漫な笑みを浮かべてからかう。ジーナは無表情のまま返した。
「狼男がいなくても、殺人鬼か人食いの獣がいるのはまちがいないだろ。お前は小さいしすぐ食われそうだ」
「僕なら小さいし足が速いから逃げられるよ」
「狼ならお前より速いぞ。それに、人間だとしても、狼と同じくらい凶暴で素早い」
調子に乗り走り回る弟の襟を掴み、ジーナが呆れた声で諭す。ムハイロはしばらく考えたあと、姉に尋ねた。
「狼の真似をして、四足で走り回って人を襲う人間は、人間なの?」