狼の正体
妙齢の女は一人、暗闇の中を歩いていた。満月は木々に隠され、僅かに木の葉の隙間から漏れる光が、頼りなく行先を照らす。女が何故真夜中に森を歩いているかといえば、伴侶とのくだらない喧嘩の果てに、弾みで家を出て森へ行き、怒りに任せて歩くうち道を見失ってしまったのだ。
「どうしたら帰れるの…」
つい先程、これ以上ない悪口で互いに罵りあった夫に会いたい。自分はなんと愚かなことを。女は後悔に項垂れた。
闇雲に歩くより、村に近いはずのこの場にとどまるか。まだ暖かいし凍死はしないだろう。死んだ子供の精霊や、復讐心の強い風の精霊の話などを思い出して身震いしながら、彼女は大樹にもたれかかって目を閉じようとした。
見知らぬ感触が腰を這う。気色悪い手の動きに女は藻掻くが、口を抑えられ、悲鳴が出せない。シャツの中に手を入れられそうになったとき、
耳をつんざく狼の遠吠えが聞こえた。
刹那、男の力が緩んだすきに、腕の中から抜け出し、とにかく女は走った。木の合間を縫い、しばらく走って、撒いたかと思いきや、吠える声が近くからする。見れば、月光に照らされ、毛むくじゃらが佇んでいるではないか。
狼男!
幼い頃聞かされた話を思い出す。鋭い瞳が彼女を射抜いた。
狼のような声を出し、四足で追いかけてくる相手から必死で女は逃げた。もう走れないと思った時、小さな洞穴を見つけ、そのまま倒れ込む。声を殺していると、狼はどうやら彼女を見失い、足音が遠くに消えていった。
ごめんなさい、ダヌィーロ、
どうか助けに来て…
土まみれで蹲る女は、柄にもなく伴侶を頼った。心臓の音が煩く鼓膜を揺らしていたが、やがて疲労に負けた彼女は、眠った。
「だれかいる!」
どたどたと騒がしい音が聞こえる。冷える秋の朝の空気が女の顔を撫でる。自分は生きて夜を越せたのか、と女が目を開けると、愛らしい少年が覗き込んでいた。
金色の跳ねた毛はふわふわと柔らかそうで、長いまつげに縁取られた青い目はくりくりと輝いている。
天使?やはり食べられてしまったのだろうか。女は寝ぼけた頭で考えた。
「ムハイロ!お、お手柄だ」
その後ろから、長く白い巻毛を振り乱した、真っ白な顔の幽霊が出てきた。
天国?地獄?どちらだろう。それほど悪行を犯したろうか。
「サーシャ!」
さらに後ろから、やつれた夫が駆け寄ってきた。
「ダヌィーロ!あなたも死んだの?」
まだサーシャは寝ぼけていた。
「何言ってるんだ、馬鹿、一人で夜の森に行くなんて………」
ダヌィーロは呆れながら、安堵に妻を抱き締める。夫の温もりに目を冷ました女は、感謝も後回しに責める目を向ける。
「どうして追いかけてこなかったの」
「いつもみたいにすぐ戻ると思って寝たんだ…。朝も君がいなくて、村中探し回ってもいないから、人を呼んで森に来てもらったんだ」
ダヌィーロははじめ近所の村人に声をかけ、先日の狼のこともあり他の村人も集まり、さらに伯爵まで話が届いたのだ。
「あなたが遅くて殺されかけたけど、とにかく会えたんだから、許すわ」
「殺されかけた!?狼がまだいたのか!」
夫は顔を青くする。ざわつく村人を前に、サーシャは声を上げる。
「違うわ、狼男よ!狼男がいたのよ!」