公爵と粉屋の娘
一日中馬を走らせ、月が昇る頃、3人はヴィクトルの領地に到着した。息を切らしながらもヴィクトルは酒場に出向き、恋人につながる話はないかとごろつきや放蕩貴族、娼婦と見境なく声をかけたが、収穫はなかった。
ヴィクトルは事情を話していない両親に会いたくない様子だったので、伯爵たちは彼の屋敷ではなく小綺麗な宿屋に泊まった。部屋の空きが少なかったので伯爵はヴィクトルと同じ部屋に泊まったが、いつも悪夢に魘される伯爵が心配し始めるほど隣のベッドからは叫び声や嗚咽、呟きが聞こえた。おかげで伯爵は一睡もできず、彼の目元のくまは更に濃くなった。ジーナは壁を隔てた部屋で、快適に眠り、湖の乙女の夢を見た。
翌日、人の集まるところで話を聞こうと、伯爵たちは広場や酒場、カフェに立ち寄った。若い娘を見たという話はちらほらあったが、核心には至らず、やはりオレーナはもう…、とはやヴィクトルは後ろ向きになり、伯爵も悲しげに俯いて歩いた。
「新作だよ!都の劇場でも大人気の悲劇だ!」
三人が往来を歩いていると、小さな村の劇場の前で客寄せが木版刷のビラを巻いて叫んでいた。伯爵がビラを拾い、ぶっきらぼうな字を読み上げる。
「恋人の公爵に裏切られた娘の復讐劇…」
びくり、とヴィクトルの肩が揺れ、彼は心臓をおさえるようにぎゅっと左胸を掴みながら、顔を上げて言った。
「劇場に行ってみます。オレーナも、見たかもしれない…」
「そうですね…」
伯爵は青年を心配そうに見つめながら、彼の意思を尊重し、頷いた。
村の劇場は木造で座り心地の悪い硬い椅子だが、観客席は満杯で桟敷には人が溢れていた。主題のせいか、平民も数多く来ている。そもそも村にはほとんど貴族はいないので、伯爵たちの身なりはやや浮いていた。ヴィクトルに至っては村人に顔が割れているが、皆劇に夢中で三男坊のことは気にしていない。
劇は村娘と公爵の甘い逢瀬から始まる。ヴィクトルはぼんやりと二人を見つめ、伯爵は遠い世界に少し胸がいたんだ。ジーナは特に感情のない目で仲睦まじい恋人たちを眺めている。
「君とはこれで最期だ、幸せに」
役者の演技は素朴だが悪くはなかった。観客たちは、村娘に一方的に別れを告げる公爵に怒りの声を上げ、娘が湖に身投げする場面では嘆き声を上げた。伯爵は潤む目でジーナを見たが、ジーナは眉一つ動かさず、舞台の上を見ていた。彼女には村娘の行動が理解できなかった。対してヴィクトルは、沈痛な面持ちで見入る。
「愛しき日々ばかりが、思い出される」
結婚生活に疲れた公爵が捨てた恋人を探し、村に戻ってくる。そして彼女と腹の子の死を知る。
伯爵は公爵の無責任さに腹を立てながらも涙をこぼし、ハンカチで目元を押さえていた。ジーナは終始表情筋を動かさず退屈していたが、最後に娘が公爵を湖に引き込んだところで、わずかに眉を上げた。
ヴィクトルはといえば、完全に公爵に自分を重ね、顔を覆って絶望していた。
幕が降りたあと、ヴィクトルはふらふらとおぼつかない足取りで、一人先に席を立ち、劇場の外に出た。伯爵とジーナは目を見合わせ、急いで後を追う。
特にオレーナの情報が手に入るわけでもなく、彼の心に傷をつけただけかと伯爵がおろおろしながら青年に声をかけようとした時、
「オレーナ!」
視界の端に愛しい茶髪を見た気がしたヴィクトルが駆け出した。