悲観と楽観
「私は遊びでなく、本当に彼女を愛しています。だから、いずれはなんとかして両親の許しを得ようと思っていた…」
「けれど、婚約者を勝手に決め、私の意見など聞かない両親のことや、リースも取れなかったことで自信をなくして…」
(まじないに行く末を委ねる恋は遊びじゃないのか。言い訳がましい男だ。)
ジーナは冷めた目で、革の椅子に座り項垂れている男を見下ろしていたが、横を見ると、伯爵はハンカチで目頭を押さえ、鼻をすすって涙ぐみ、哀れな恋人たちに胸を痛めていた。
「それで、結局彼女が消えたのは、あなたの婚約のせいなのですか」
感受性豊かな主を無言で見つめたあと、ジーナは伯爵が口に出来ないであろう率直な質問を尋ねる。
「オレーナは、私が婚約した話を聞いて、身投げしたのだと……思っている」
無遠慮な従者を咎める余裕もない男は瞳を涙で潤ませ、片手で顔を覆いながらつぶやいた。恋に無縁な人生を送ってきたジーナは想像する。
(確かに、貴族の男に弄ばれたと考えたうら若い娘が、命を捨てようとするのはよく聞く物語だ。)
しかし世の中そう情熱的な女ばかりではないし、現に先々代の伯爵に捨てられたジーナの母親はびっこ引きの夫と日々罵り合いながら生きている。イーゴリの大切な彼女も、きっと遠くで生きているとジーナは信じていた。
(イーゴリと違い、目撃者もいないオレーナの死はまだ噂の域を出ないというのに、諦めの早い男だ。湖に来て自分も死のうとするくらい、恋情はあったのだろうが。)
隣で泣いている伯爵も悲観的、という性では男に全く引けを取らないが、ジーナは主のことは棚に上げていた。
「彼女は貴方の婚約を知って、身投げするような性格でしたか。」
自分を悲劇の主人公だと思いこんでしまった若者の顔を真正面から見つめ、少女は純粋な疑問を投げる。
「分からない…。…………あの宿屋を継ぎたいと言っていたから、……彼女は僕より強かだから……確かに未来を捨てるとは思えないけれど…」
湖に溺れた男は、冷えた頭で愛しのオレーナの性格を考える。彼女は恋人に裏切られて泣き寝入りするより、自分を欺いたと頬を張りに来るように思えた。実際勘違いで似たようなことは一度あったのだ。しかし、彼女の家族の沈みぶりも見ると、オレーナが湖の乙女たちに引き込まれた想像をしてしまう。
「身投げ以外に、彼女が取りそうな行動は?」
ジーナと青年の言葉に、領民が生きているという可能性を思い出した伯爵はハンカチをポケットにしまい、灰色の目を煌めかせて尋ねる。
「そうですね………、…僕を問い詰めに、領地に押しかけるとか…?」
そう答えて、ヴィクトルはひとつの筋書きに思い当たった。もしオレーナが生きていて、彼の真意を確かめに会おうと一人村を抜け出し、彼の領地に行ったならば、何が起こるか。狭い街の中では、領主の三男坊が婚約したと噂が広がっている。
「まずい!」
ヴィクトルは顔を真っ青にして、伯爵への失礼も気にせず部屋を飛び出し、城門まで走り、繋いでいた馬の背に乗り、駆け出した。伯爵は息を切らしながら、ジーナは伯爵を追い抜かないように、ヴィクトルを追う。二人は執事や兵士への説明もなく、廊下を走り、階段を駆け下り、城門前で馬に飛び乗った。
「少し遠出する!!」
伯爵は一言だけ門番に告げ、馬の腹を蹴り、遠ざかるヴィクトルの背を追った。ジーナも馬に乗り、伯爵の後に続いた。
のっぽの門番はあくびを噛み殺し、穏やかな夏の午後の景色を眺めていた。彼は半分閉じた目で、珍しく堂々とした、コザークのような伯爵の姿を見たが、執事に伯爵が消えたことを伝えられるまで、白昼夢を見たと思っていた。