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カースカ(旧スーカスカ)  作者: ぷらまいせぶん
働き者のイーゴリ
55/105

憧れのイーゴリ

翌日、紙に名前が書かれていた女性の家を訪ねに行った伯爵とジーナは、村の広場を通ったので、村人たちに姿を見られることになった。突然村に現れた領主と、村人たちの前で小姓をやめたはずの少年、もしくは少女が連れ立って歩いているのを村人たちは奇妙に思ってあれこれと噂する。


伯爵は自分のことを囁く言葉を気にして、忙しなく目をぎょろぎょろと彷徨わせながらも、領主としての矜持を保つために背筋を伸ばして歩くことに努めた。それが逆に、機械仕掛けの人形のような不自然な動作を生み出してしまっていることには、気が付かなかった。




事前の通達もなく伯爵が訪ねれば騒ぎになるので、ジーナが初めに戸を叩き、女性と会話することにした。


戸を叩いてしばらくした後、どたどたと音がして、扉が開いた。出てきたのは、伯爵とそう変わらない年頃の女だ。髪はほつれていて、手には杼を握っている。

開いた扉から見える奥の部屋では、小さな子供が機織りをしている。


「どちら様でしょう?」


ジーナは女性の質問に対して、礼儀正しい言葉遣いで返す。


「お忙しい中失礼します。ひとつ、お尋ねしたいことがあるのですが…」


ジーナが話している最中、女性は大きな青い瞳を回して、いきなり家を訪問してきた見知らぬ少年のてっぺんからつま先まで見る。ジーナは当然のように小姓の装いだった。

ジーナの貴族らしき小綺麗な格好か整った容姿が味方したのか、女性は追い返そうとはしなかった。扉を片手で開けたまま、首を傾げて女性がジーナに尋ねる。


「それは、長い話かしら?」


「わかりません。都合が悪ければ、また後日…」


女性の言葉を、機織りの邪魔をするなという意味だと受け取って踵を返そうとしたジーナは、右手を力強く掴まれる。


「そういう意味じゃないよ!話が長いなら、戸口に立ってないでこちらに入ってきなさい!お茶でも飲みながら話しましょ。」

「いえ、外で結構…」


女の青い目は、何故だか急に輝き出していた。ジーナは女の手を振り払いたかったが、無礼なうえ、存外力が強い。よく見ると女性は、なかなか逞しい腕をしていた。


「ジーナ!」


離れたところに居て二人の会話の聞こえない伯爵は、押しの強い女性に手を引かれて困っているジーナを見て、事態を勘違いして戸口に駆けつけた。


「伯爵様!?」


「あ、」


女性の声を聞き、しまった、と思った伯爵は意味もなく袖で顔を隠す。


我儘を言ってジーナについてきたにも関わらず、また失態をして事態をややこしくしてしまったと伯爵は顔を赤く染め、村人の反応を恐れて青くなった。

しかし女性は伯爵を恐れるでもなく、青い目を爛々と輝かせ、無礼にも領主に詰め寄った。


「伯爵様が我が家にいらっしゃるなんて!ああそうだ、貴方は伯爵様の侍従じゃないの。ええ、私はいつも伯爵様を一目近くで見てみたかったのよ、お馬の上じゃよく見えないから…。まあまあ一大事だわ!家の中も片付いてないってのに…あんた!ちょっと!伯爵様がうちにいらっしゃるから大急ぎで片付けてよ!」


少し尋ねたいことがあるだけだという伯爵の言葉も全く聞かず、忙しない女は少女のように声を弾ませ、二人を連れて家の中を案内する。妙齢の女性に恐怖を抱いている伯爵はジーナと共に、粛々と従った。


そこは質素な木造の家だったが、小さな聖画や可愛らしい家守りの人形、よく掃除された部屋は、家を少しでもよく見せようという彼女の努力を物語っている。

女性、マリヤはジーナと伯爵を居間のテーブルに座らせ、前に商人から安く買ったのだと言って、野いちごの香りのする紅茶を淹れた。ほんとうのところ、それがこの家で一番高価な飲み物であることは、伯爵にも察しがついた。


彼女は、二人がこの家に来た要件を聞く前に、自分は機織りを生業にしていて夫は木で家具をつくっているのだという話を何倍にも広げて長々と話した。伯爵は圧倒されながらも、興味深く聞いていた。ジーナは黙っててきとうに相槌を打っていたが、時計の針が1周しそうだったので、マリヤの話を遮ることにした。


「あの、そろそろお聞きしたいことが」


「そうだったわ、ついおしゃべりしてしまった!私の悪い癖でね、それで、何かしら?私こう見えて村の情報通と呼ばれていてね、なんでも聞いてちょうだいな。」


それは見た通りだと思いながら、ジーナは兄のことを切り出す。


「十年程前に死んだ、イーゴリという青年について何か知ってますか?」


ジーナはあまり答えに期待していなかった。兄は伯爵に会う前のジーナより村人との交流が多かったとはいえ、村のはずれに住んでいた一家の長男で、無口だった。ジーナは自分よりマリヤの方がイーゴリについて何かを知っているとは思えなかったし、自殺した青年のことなど聞いてもマリヤを困らせるだけだと危惧していた。


マリヤが時計の針が2周以上回るまで兄について話し続けることを、ジーナは予想していなかった。



イーゴリという名前を聞いた瞬間、マリヤの目は十代の少女のように爛々と輝き、頰は紅色に染まった。そして胸に両手を当てて、伯爵がお茶の入ったカップを落としそうになるほど大きな声を上げ、青春の頃のことを語り始めた。



イーゴリ!私の青春!

私の年頃であの素敵な青年のことを忘れた人はいないでしょう!

毎日、彼の横顔を見るだけで心が躍ったわ

あの逞しい腕に抱かれたら…そんなことを夢見てしまったこともあったのよ

それくらい真面目で勤勉で魅力的な顔立ちの人だった!

もっとも、ほとんど話したことはないのだけど

彼は寡黙な人だったから、私たち若い娘が騒いでも無表情で挨拶だけして通り過ぎるの

小さな弟と一生懸命働いていたから、私たちのことなんか目に入っちゃいなかったわ

そのつれなさがまたいいのよ

ああ、彼が生きていたらきっと今も素敵な男性だわ

こんな田舎でも彼がいると娘たちは楽しかったものよ


べらべらとマリヤが話し続けるために、ジーナも伯爵も相槌を挟む暇もなかった。ジーナはマリヤの語る兄が、自分の記憶の中の兄とあまりにかけ離れ、娘たちの間で兄が余程美化されていたらしいことを聞き、困惑すると同時に何か愉快でほんの少し口元を緩ませた。

マリヤがさらにイーゴリの魅力と村の男性陣の情けなさについて語り続けようとしたので、もういいとジーナが止めようとした時、扉が開く音が響いた。


すると、マリヤは若々しい少女のように輝いていた目をつり上げ、戸口に向かって怒声をあげた。


「ああアンタ、今頃帰ってきたの!仕事もあるだろうに何酒飲みに行ってるんだい!……ごめんなさいね、馬鹿旦那がものぐさで…全くイーゴリの爪の垢を煎じて飲ませてやりたいわ!」


「その仕事の話があったんだよ…、!?伯爵様!?なんでうちに……」


怒鳴られた旦那は詫びることもなく食卓まで来て、領主が家で茶を飲んでいることにぎょっとしたが、妻の話が長くなりそうだったので深くは触れずに帽子を取って会釈し、自分と同じ年頃だった青年の名前に反応する。


「イーゴリが死んじまってからあの一家もあまり見なくなったけど、元気にやってるのかね。のたれ死んでないといいけどよ。」


夫の言葉を聞いてマリヤは整えられた眉を悲しげに下げ、心配そうに頰に片手を当ててため息をついて言う。


「イーゴリの小さな弟はまだ生きてるのかしら、綺麗な顔の…」


「お前はほんとに面食いだな、イーゴリより一回り下くらいだったから…そうそう、お前さんくらい…、」


妻に呆れてジーナに視線を移した夫は、遠目には気がつかなかったがジーナの涼やかな鳶色の瞳に、薄い茶色の髪があの小さな少年に似ていることに思い当たる。ジーナは夫の視線に気がつき、マリヤの話が長くて言えなかった事実をようやく知らせる。


「私がそのイーゴリの弟です。正確には妹ですが。」


「まあ!そ、そうだったの?あらあら、すっかり大きくなって……。生きていてよかったわ……。どうしてまた伯爵様の下仕えをしているの?」


マリヤは本当に驚愕した。確かに面影はあるものの、よく泥を被って兄を手伝っていた子供が、貴族の服を着て伯爵の側仕えをしているとは思わなかったのだ。

ろくに話したこともない他人であるのに涙ぐんでいるマリヤを思わず怪訝に見つめながらも、ジーナはたまたま伯爵の厚意を受けて城で働くことになり、家族も元気だと説明した。伯爵は歳の近い女性であるマリヤを恐れている上に、ジーナを雇うことになった経緯を思い出した後ろめたさでカップを掴む手を震わせていた。

伯爵の挙動不審さを気にすることもなく、夫婦はジーナの話をもっと聞こうとする。騒ぎに気付いた子供も機織りをやめて食卓に来ていた。


「イーゴリがいなくなってから祭りにも出ず、皆には悪いけど賦役も誤魔化していたから、村の中心に行くのは避けてたんだ。」


ジーナは無表情で村に姿を見せなかったわけを説明する。しかし少し伏せた睫毛は、ジーナが村人に申し訳なく思っていることを示していた。その上、これ程イーゴリを一方的にとはいえ慕っていたマリヤや村の娘たちは、憧れの人は妹を助けるために溺れ死んだのだとジーナの嘘を信じている。兄の名誉のため、彼女たちの幻想のためには隠し続けるべきだが、想い人の死の真相を知らないのはいいことかと、ジーナの心は揺らいでいた。


黙り込んでしまったジーナの心情を勘違いしたマリヤは、手を叩くと明るく笑って言った。


「いいのよ、そんなこと!とにかく元気そうで、今日会えてよかったわ!!さあさ、うちの粥と肉団子(ヴァレーニキ)でも食べておいき!」


そして、ジーナと伯爵は流されるままマリヤの手料理をご馳走になり、彼女の怒涛の質問や世間話に付き合う羽目になった。ジーナのみならず、伯爵も領主であることを忘れられ、馴れ馴れしい夫婦とたどたどしく話をした。結局二人が城に帰ったのは月が空に昇った後で、伯爵は書類の山を抱えることになったので、次の村人はジーナだけが訪ねに行くことになった。


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