誰かの宝探し
その日の夜、食事を終えた後、昼間見つけたものが気がかりな伯爵は、ジーナを自室に呼んだ。伯爵は机の上に謎の紙を広げ、燭台をずらして紙の上を照らし、目をこらす。安物の書籍から剥ぎ取ったページを裏紙にしたらしき紙に書かれた文字のインクは滲んでいて、虫食いのような穴も開いていた。ずらずらと書き連ねられているのは男女の名前だった。別の紙には拙い地図が書いてあった。
「マリヤ、レーシ、ムラーク…、聞き覚えがあるような、ないような……。ジーナ、知っているかい?」
かすれた文字を読み上げる伯爵は、ジーナの方を向いて尋ねる。ジーナは兄の墓で見つけたいたずらのような紙切れに大して興味がなかったが、主人が真剣なので付き合わざるを得なかった。平凡な名前を問われても、学識豊かな伯爵が知らぬ名前を自分が知るわけがないと首を振った。
「そうか、この村にも何人かいる名前だけれど…。」
しかし伯爵のつぶやきに、ジーナが鳶色の大きな目を見開く。最近文字を学んだジーナは音と文字がまだ結びつかず、文字を絵のように覚えていた。紙の上の線の形に見覚えがあったのは、租税台帳に並ぶ文字と同じ形をしていたからだとジーナは思い当たった。
「伯爵様、村人の一覧はありますか?照らし合わせてみたいのですが。」
「ああ、ジーナに手伝ってもらっている記録帳が一番いいかもしれない。居住地も分かるし…。」
租税の記録と合わせて見ると、二人は地図と名前を使って紙に書かれた人名をほとんど特定することができた。なんのことはなく、それはこの村の住民たちの名前であり、地図の印は恐らく彼らの家を示していた。その人数は二十人以上にのぼった。しかし列の最後に書かれた名前だけは塗りつぶされて、分からないようになっている。
「どうしてここだけ消したのだろう。書き間違えだろうか…。」
伯爵は疑問を口にしながら、器用に村の大まかな地図を別の上質な紙に写し、瓶に入っていたメモを参照しながら、印をつけていった。
「明日は帝都から客人が来るから難しいのだけれど、明後日にこの人々にイーゴリのことを訪ねに行こうか…。」
「伯爵様がわざわざ出向かれる必要はありません。私が仕事の合間に行きます。」
当然のように聞き回りについていこうとしていた伯爵はジーナの言葉に固まり、宝探しの気分になって少し浮かれていた自分を恥じた。しかし、メモに書かれている人物が一体イーゴリとどういった関係があったのか、誰がメモを残したのか不明なことを鑑みると、伯爵はどうにもジーナ一人が聞き込みをするというのは不安だった。
「その…、ええっと…他人の私が行くのもおかしな話だが、村人と面と向かって話す機会は欲しかったし…ああいや、お兄さんのことを利用するわけではなく、」
目玉を忙しなく彷徨かせる歯切れの悪い伯爵の意図を汲み取ったジーナが、
「とりあえず明後日に、二人で行きましょう。」
と言ったので、伯爵ははにかんだ。
次の日、伯爵の城を訪ねた客人は幼い伯爵をたまたま救い、男爵を裁く際にも一役買った伯爵の父の旧友だった。マトヴェイというその男は、伯爵よりふた回り以上年上で、背丈は伯爵と変わらないが肩幅は細身の伯爵の二倍はあった。目は猛禽類のように鋭く、鼻も大きく、威圧感のある表情をいつもしている男だった。伯爵はこの父の旧友のことは苦手だったが、恩人であるがために毎度丁重にもてなし、彼がこちらの地方に用事のある時は宿を貸した。初めて見た時が見た時だっただけにマトヴェイは自分から金を借りておきながら早逝した友人の情けない息子を気にかけていた。重々しい調子で話す割に口数の多い男は、木々に葉がつき始めた、城の庭の並木道を歩く中、伯爵の近況を根掘り葉掘りいつも聞く。
「また少年を愛人にしているのか。」
「い、いえ!彼は城の仕事を手伝ってもらっているだけです。農民ですが物覚えのいい子で…。」
マトヴェイは当然ジーナを少年と勘違いしたが、伯爵は司法官を恐れて訂正しなかった。しかしジーナの名誉と彼女との友人関係、と伯爵は思っている絆のために、愛人という部分は彼にしては強く否定した。
「農民を小姓にしたのか?まったく、相変わらず物好きだな。」
マトヴェイは、虫も殺さぬ、優しいが優柔不断で軟弱だった亡き友人とその妻によく似た二人の息子、イヴァンの顔を見る。相変わらず陰鬱な雰囲気を纏い、青白い肌をしている。しかし幾分痩せこけた頰はましになってきたようにも思えた。そして、十年前に比べると、はっきりと答えるようになり、背筋も、猫背気味ではあるが、伸びたのではないか。マトヴェイはイヴァンをほんの少し末の息子のように思っていたので、三十路手前の男とはいえ微々たる成長が喜ばしかった。
ジーナを男だと思い込んでいるマトヴェイは、前の小姓たちより女々しくなくてよいと彼女に銃の手ほどきをし、昔より人数の増えた兵士や使用人たちとの会話を楽しんでいた。急いでいると言っていたマトヴェイは次の日の夜明け前に城を出たが、夜の宴会まで大酒飲みに付き合わされた伯爵は太陽が南に登り切るまで眠りこけてしまっていた。領主として酒臭いまま、二日酔いで村人の前に出るわけにはいかないというプライドとジーナへの過保護に悩む伯爵に、用事がないなら明日でいいでしょうとジーナが言ったので、帝都の大男のせいで二人の宝探しは日を伸ばした。
短いと思って書き足したら蛇足でした




