少女の我儘
「誰にも話さなかったことを、私に話してくれてありがとう。今日はもう寝なさい。」
ジーナに微笑みながらそう言うと、伯爵は彼女の手をとって、廊下の先にあるジーナの部屋まで連れて行った。部屋の扉を開け、彼女と別れて自室に戻ろうとした伯爵の背中に、
「イヴァン様。…もう少し、…この部屋に、居ていただけませんか」
と、声がかけられた。
伯爵はギョロっとした目を見張り、思わず振り返る。すぐそばで、真剣な表情のジーナが、真っすぐ立っていた。
「あ、ああ…。うん…、でも、ま、まず…着替えるだろう?扉の前に居るから、終わったら声をかけてくれないかい。」
「…おっしゃる、通りです。」
めずらしく伯爵の方が、冷静な答えを返した。それもそうだと思いながら、ジーナは自分で疑問に思う。
(なぜイヴァン様に向かって、こんなことを言ったのだろう。もう、ミハイロのような子供でもないのに。)
しかし伯爵はもう、扉の外に出て行ってしまった。今更発言を取り消すのも、ばつが悪い。ジーナは伯爵の寛大な心に甘えることにした。
ジーナは夜着、といっても綿の薄いシャツとズボンに着替えた後、伯爵に声をかけた。伯爵は扉をわずかに開けて、おそるおそるジーナの恰好を確認した後、安心して部屋の中に入ってきた。
しかし、今日は冷えるから早く寝台に入った方がいいと言って、ジーナを寝台に寝せた後、
「あ…。少し、待ってくれないかい。蜂蜜酒を取ってくるから。」
そう言ってまた部屋を出て行った。
伯爵は瓶とグラスを片手に、すぐに戻ってきた。寝台の傍にある小さな机の上に、蜂蜜酒を注いだグラスを置き、ジーナにすすめる。ジーナがグラスを口に近づけると、林檎やベリーも入った酒は、ほのかに甘い匂いがした。
ジーナは顔を横に向け、伯爵を見る。伯爵は椅子に腰かけながら、優しいまなざしで、寝台の上のジーナを見つめていた。
酒のせいだろうか、ジーナの目に、伯爵は幽霊のような風体の男ではなく、聖画に描かれた聖母のように、神々しく、優しく美しい人物に見えた。
(これくらいで、酔うわけがない)
そう思いながらも、ジーナは全て、蜂蜜酒のせいにすることにした。そして、普段なら考えられない我儘を、実の母には決して言わないであろうことを、口にした。
「不躾ですが……。ミハイロに歌ったと言う子守唄を、私にも歌っていただけませんか。……よく眠れたと言っていましたから。」
それでもジーナは淡々とした声で、照れた様子もなく、真顔だった。一方の伯爵は、思わぬ要望に、椅子から落ちそうなほど、動揺した。
「えっ?あ、あれを…?君が私に歌ってくれたのと同じものだが…。いいや、勿論、君が悪い夢を見ずに済むならいくらでも歌うけれど………。」
伯爵自身、不気味であることを自覚している子守唄で、ミハイロはスヤスヤと眠りについたが、ジーナが果たしていい夢を見られるのだろうか。むしろ悪夢を見せてしまうのではないかと、伯爵は懸念した。
しかしジーナは、揺るぎない瞳で、無言で彼を見つめている。
伯爵は根負けし、小さくため息をついたあと、子守唄を歌い始めた。
死神の歌声と思うような、不気味な旋律だったが、伯爵の歌を聞ききながら目を閉じたジーナは、不思議とよく眠れた。だが、壁から幽かに漏れる不気味な歌を聞かされた隣室の使用人たちは、一晩中、悪夢に唸ることになった。




