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招かれざる客

古びた鉄の扉がぎぎぎぎ・・・と不気味な音を立てて開き、招かれざる客が城に入って来る。石を叩くブーツの足音が近付くのを感じ、逃げ出したい衝動に駆られながら、逃げ出す勇気もない伯爵は、客間をぐるぐると歩いていた。




男爵は物語に出てくる皇帝(ツァーリ)のように、粋な男だった。癖のある黒髪は艶やかに波打ち、鼻筋は綺麗に通り、巻き髭の下の薄紅の血色のいい唇は柔らかな弧を描いている。飛び出しそうに大きい青い瞳は、いつも子供のように爛々と輝いていた。肌はやや青みがかった白さだが、伯爵よりは血色がいい。そして、伯爵より健康的な、筋肉が程よくついた身体つきをしていた。伯爵は、骸骨に近い自分より男らしい男爵の身体を、見るたびに羨んでいた。


(彼は、あの腕に抱かれたかったのだろうか。)


男爵のきらびやかな外見を思い出しながら、伯爵はまた憂鬱になった。他人から見れば伯爵と男爵の違いと言えば、不健康か陰気のせいかぎょろついた目と、痩せた頰くらいのものだが、伯爵は全てにおいて自分は劣っていると感じてしまう。それでいて、愛人を寝取っておきながら、平然と自分を友人と呼ぶ男爵に疑念を抱きながらも、口車が上手い男爵に乗せられ、未だに彼を友人だと思っていた。だから、雪の中馬車で城を訪れた彼を通す許可を与えてしまったのだ。


ついに、客間の扉が開き、執事が男爵を連れて入ってきた。老いた執事は伯爵に一礼すると部屋を去り、伯爵は男爵と二人きりになってしまった。伯爵がそう命じたものの、いざ二人にされると大変気まずく、彼は執事への命令を後悔していた。


「久しぶりだね、イヴァン。病気が治ったようでよかったよ。」


伯爵より位は下の男爵は、対等な友人として伯爵が望んだように、あるいは己が望むように、気さくに伯爵の名前を呼ぶ。伯爵は自分の体調不良…対外的には病気と言っている…の理由を知りながら、不敵に笑う男爵に、怒りよりも恐怖を抱いた。伯爵を寝取られ男と嘲ることも、悪いことをしたと詫びる様子もなく、一言も言及しない男爵が何を考えているのか、伯爵にはさっぱり分からない。男爵なりの気遣いなのだろうか?あまりに変わらない友人の態度を、伯爵は前向きに受け取ろうとした。


その時、伯爵は男爵が自分の背後を注視しているのに気づく。


「そちらの可愛らしいお方は…」


「ジーナ!何で、君が…」


男爵の視線の先には、下がっていろと言ったはずの、男装の少女が何食わぬ顔で真っ直ぐと背筋を伸ばして立っていた。シャツの上にベストと半ズボンを身に付け、小姓の衣装に身を包み、身綺麗にしている彼女は、男爵には貴族の少年に見えているだろう。


「新しい小姓かい?聡明そうな子だね。今度、ぜひお話がしたいな」


「お褒めに預かり、光栄です。」


一見朗らかに言う男爵だが、硝子張りの瞳はジーナを品定めしているようで、獲物を狙う蛇の瞳に似ている。ジーナは男爵が寝取った愛人のように派手な顔立ちではなかったが、造形もバランスも整っていて、血色も良く、凛とした品のある顔立ちをしていた。男爵はジーナの人形のような顔を、じっと眺めている。

伯爵は、思わず少女の肩を掴んで引き寄せた。一方のジーナは物怖じした様子も、照れる様子もなく、いつも通りの無表情と、抑揚のない澄んだ声で、男爵に答えた。冷たい鳶色の瞳は、男爵のきらきら輝きを放ちながらも伽藍堂な目を映している。


「…とりあえず、冷えているだろう。テーブルに」


ジーナから男爵の注意を逸らそうと、席につくことを勧める伯爵に、男爵は頭を振った。


「今日は近くを通ったついでに報せをしたかっただけさ。すぐ帰るから立ち話で大丈夫だ。」


「報せ?」


「手紙でもよかったんだが、狩りの帰りにちょうど君の城が見えたものだから。今度の新月の夜に、森の先にある、私の冬の館で舞踏会を開こうと思っていてね。帝都の貴族や楽団も来るから、是非来てくれたまえ。そこの愛らしい君も一緒に。イヴァン、君はあまり社交界に姿を現さないからね、皆喜ぶだろう。」


思わぬ誘いに伯爵は驚き、そして、不安に飲まれた。伯爵は人、特に若い女性の多い、男女が睦まじく交遊する場が苦手である。大勢の人と会話をすること自体、田舎の城に引きこもっている彼には考えるだけで苦痛だった。


「誘ってもらえて光栄だが…見世物にされそうで…気乗りしないな」


伯爵は視線をさまよわせながらも、正直に気持ちを男爵に伝えた。周辺の村にも幽霊伯爵として知られている彼は、社交界でも同じ名で通っている。行ったとして、気味悪がられるか、面白おかしく揶揄されるか、富を目当てに取り入ろうとされるだけの社交の場を、伯爵はできうる限り避けてきた。


「仮面をつけるから大丈夫だろう。髪型も変えればわからないよ。君のように社交界が苦手な人も楽しめるためのものだから。」


男爵はにこにこと笑って仮面をつける仕草を真似し、伯爵の懸念は杞憂だと言うように話した。


「そうかい?…」


噂の幽霊伯爵だと指をさされ笑われる可能性がないとしても、なおも伯爵は乗り気ではなかった。伯爵は踊りで婦人と触れ合うこと自体、苦手というよりも、できなかった。男爵はそんな伯爵の懸念を理解しているのかしていないのか、首を傾げる。そして、


「それに−–彼も、来るよ。」


「!」


伯爵の耳元に口を近づけ、男爵が囁いた。彼、意味する人物は一人だ。男爵がそう言った意図を考えるより前に、伯爵は是と答えた。挙動不審を笑われるとしても、女性と触れ合う可能性があっても、いかなる不利益があっても、もう一度、彼の姿を見たいという思いに逆らえなかったのだ。


無言で伯爵と男爵のやり取りを見守っていた少女は、しっかり男爵がささやいた言葉も聞き取り、動揺する主を冷えた瞳で見つめていた。

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