イーゴリの冬
その年は、この10年で一番の不作だった。最近代理人を排して自ら統治を始めたという、イーゴリとほとんど変わらない歳の伯爵が、他の土地から作物が集められないか奔走しているとイーゴリは耳にしたが、無駄なことだと皆が諦めて言っていた。何せこの地域一帯、それどころか帝国の穀倉地帯全体が不作だと旅人や行商人が話している。そうこうしているうちに気温はどんどん下がっていき、冬は厳しくなっていく。この冬が越せるかという不安は、村中に漂っていた。貧しい農民のイーゴリたちも、深刻な状況に置かれている。この状況下で、数ヶ月後には赤ん坊も生まれるのだ。赤子は冬を越せるだろうか。イーゴリは、両親が生まれた赤子をどうするつもりなのか案じていた。口減らしは珍しい話ではない。
不安や悲しみを忘れるように、イーゴリは熱心に働いた。日が昇って沈むまで、冷たい風に吹かれながら手足を動かしている間、イーゴリは彼女のことも、何も考えなかった。そのうち、冷えた手足の感覚が消えていくように、イーゴリが何かを感じることも少なくなっていった。イーゴリの働きにも関わらず、とても税を払えるほどの収穫も金もなかったが、領主の温情で多くの村人は今年は払えるだけの税でよいということになった。村人たちは、ほとんど姿を見せないために顔も知らない領主に感謝していたが、イーゴリは有難いと思いながらも、心が軽くなることもなかった。さらにイーゴリの家族の貧窮と、彼の働きぶりを知る、自らの耕地を持つ富農が穀物を分けてくれるという幸運も起こった。樹皮を食べ始める程ひもじい生活を送っていたイーゴリは、富農に何度も感謝した。冬を越えるには不足した量だったが、これで両親の気も少しは落ち着くかもしれない、赤子の命も助かるかもしれない。そうイーゴリは思ったが、不思議に全く、安堵や嬉しさのような感情は何も湧かなかった。富農の施しのお陰でしばらくは命をつなげる糧ができたが、つわりに苦しむ母親と、ひどくなる幻痛に唸る父親の気は荒ぶるばかりだった。両親の代わりにジーナが数少ない家畜の世話や家の仕事をしなければならなかったので、イーゴリは一人で外に出る時間が増えた。日頃ほとんど話さない兄妹だが、妹と離れて働くイーゴリは、ますます無口になった。
ある日、イーゴリが領主の畑からの帰り、暗くなった小道を歩いていると、突然数人の男が襲ってきた。体格のいいイーゴリも多人数には敵わず、イーゴリはあざができるほど殴られ、蹴られた。イーゴリの意識が危うくなってきた時、帰りの遅い兄を探しに来たジーナが村人を呼び、犯人たちは羽交い締めにされ、イーゴリは助け出された。富農から分け前を受け取った一家を妬んだ一部の村人が、腹いせに働き頭のイーゴリを痛めつけたのだ。そんなことをしても彼らに富農が分け前を与えることもなく、誰も得をしないどころか働き者のイーゴリが抜けた穴を埋めるために誰かが賦役でさらに働くことになるのだが、苦しい生活で思考が鈍っていた彼らは理解していなかった。イーゴリに親身な村人たちが彼らを叱責したので、それ以上ことを荒立てたくなかったイーゴリは、領主に訴えることはしなかった。一人では頑強なイーゴリに勝てないから多勢で襲ったのだと娘たちはイーゴリを襲った青年らを蔑み、老人たちはイーゴリの分働けと彼らに叫んだので、彼らの顔は青くなったり赤くなったりして、羞恥に震えていた。イーゴリからすれば、彼らは既に罰を受け、イーゴリよりも苦しそうに見えた。それに、減税のことは感謝していたが、噂によれば不気味で気弱だという領主に、イーゴリは大して期待もしていなかった。訴えに勝てば彼らから作物が取れるかもしれない、と恐ろしいことを言う妹に、他人の生命を奪いかねないことはすべきでない、とイーゴリは道徳を説いたが、その実イーゴリは犯人たちを特別気の毒だとも思っていなかった。かといって、卑怯な方法で怪我を負わされた怒りも湧かなかった。イーゴリが感じていたのは、ただ身体の痛みと疲労だけだ。
怪我のせいでしばらく働けなかったイーゴリは、家で木偶の坊呼ばわりだった。




