イーゴリの影
ジーナはそれから、名前が乗っていた何人かの村人を尋ねた。聞けば皆勤労な青年を知っていて、よくよく見てジーナがあの小さな子供だと気がつく者もいた。しかし彼等がジーナよりイーゴリのことをよく知るはずもなく、ジーナは肩透かしを食らった気がした。とはいえ、余りに好き勝手に彼らがイーゴリのことを語るものだから、ジーナは他人の目を通した兄の話を聞くのが段々面白くなってきた。村の中心から離れ暮らしていた自分たちが、存外村人の心に留まっていたことに少女はどこか安堵した。
はじめ気をもんでいた伯爵も、村人とジーナの穏やかな様子を見て安心したので、ジーナは一人で村人に会っていた。伯爵はしかし実のところあまりに溜まった仕事に追われているだけで、頻繁に職務中にきょろきょろと窓の外を眺め、見えるはずのない少女の姿を探して不安になっていたが、ジーナは知る由もなかった。
春の光が草花を明るく照らす、天気のいい日に、ジーナは次の村人のところへ向かった。メモに書いてある名前はあと数人しかいない。
(結局、イーゴリが死んだ理由なんて、誰も知るはずがないんだ。)
ジーナは兄の自殺の原因がわかるとは、期待していなかった。
ジーナの家より辛うじて建付けのいい粗末な小屋の扉を叩くと、疲れた目をした、伯爵と同じ年頃の青年が出てきた。家の奥からは騒々しい赤子の泣き声が聞こえる。淀んだ目でジーナを見下ろす青年は見るからに突然の来訪者を迷惑がっていたが、ジーナは追い返される覚悟で、イーゴリのことを尋ねた。
イーゴリの名前を聞いた途端、半開きだった青年の眼が大きく開く。ジーナは気づかなかったが、青い瞳は恐怖の色に染まっていた。青年は急いで扉を閉めようとして、客人の顔が見えなくなる寸前で手を止めた。ジーナは青年の目から目をそらさず、ただ立っていた。青年は、鷲のように鋭く見える、少女の瞳を見つめる。そして、深く息を吸うと、閉めかけた扉を開いた。
「外で話してもいいか」
青年の家の前には小川が流れていた。穏やかなその水面に、少女に謝罪する青年の姿が映る。
「遅すぎると思うだろう……それに、謝ってもどうにもならないことだ。しかし、…謝らせて欲しい。すまなかった…!!!俺にできることがあれば、なんでも言ってくれ。」
粗末な家畜小屋から鶏の声が響く。ジーナは瞳を瞬かせた。青年に頭を下げられる理由がわからなかったのだ。
「どうされましたか、頭を上げてください。」
伯爵の下で働く自分が村人に頭を下げさせるのは外聞が悪い。辺りに人影はないが、村人に見られると伯爵への誤解を生みかねないとジーナは考え、青年の肩に手を置いて顔を上げさせようとする。青年は死神でも見る様に怯えた目をジーナに向け、尋ねる。
「お前、イーゴリの弟だろ?俺がわからないのか?」
ジーナは青年の顔をまじまじと見る。イーゴリに仲のいい同年代の友人などいただろうか、と考えて、ジーナは思い当たった。ジーナの表情の変化を見て、青年が言う。
「そうだよ、俺がイーゴリを殺した男だ。」
2ヶ月〜のやつ出てたので上げたけど、推敲できてないです(いつも)