イーゴリの春
性描写あります
ある日、ジーナと一緒に釣りに出かけた時、イーゴリは森の中で、憧れの彼女に会った。料理に使う木の実と草を取ってこいと言われたらしい。土地勘のない彼女一人、危険な森に行かせるなんて、と、イーゴリは密かに怒ったが、口には出さなかった。
ともかく彼女が無事に任務を終えられるように、彼にしては珍しく、魚を釣るという自分の仕事を後回しにして、イーゴリは彼女に付き合った。ジーナと彼女と一緒に森を歩き、色々な木々や植物を見て回る。
道中、いつも無口なイーゴリは、森の動物や天気など他愛もない話題をひねり出して、身振り手振りをしながら彼女と会話した。我ながら、退屈でつまらないとイーゴリが思った話や蘊蓄を、彼女は朗らかに笑って聞いてくれた。
目的の食材を集め終わってから、イーゴリは綺麗な花々が群生するところへ彼女を連れて行った。そして、木漏れ日の下で、咲き乱れる花よりも綺麗に彼女が笑った時、イーゴリは思わず、彼女の頰に軽く口付けた。
すぐに、イーゴリは頭を下げて謝罪した。すると、彼女はイーゴリの頰に口付けて微笑んだ。
(何が起きたんだ?)
イーゴリはしばらく黙って考えてから、ようやく事態を理解した。
(嘘だろ。そんなに幸福なこと、あるはずがない)
まだ自分の推測を信じることができないイーゴリは、疑うように彼女の瞳を覗き込む。青い瞳を湖面のようにキラキラと輝かせ、白い頬を林檎色に染め、彼女ははにかむような笑顔で、イーゴリを見つめていた。
その時、イーゴリの頭のなかで何かが弾けた。
何十もの蝶が、自分と彼女の周りを飛び立った気がした。
(ああ!この子に触れたい!)
イーゴリは、沸き上がる衝動を抑えながら、彼女を見る。女神のように、光り輝いて見える彼女は、イーゴリを赦すように微笑んだ。
イーゴリは、彼女の唇に自分の唇を重ねた。彼女は、もっとイーゴリと触れたいというように、自ら舌を出して、イーゴリの舌に絡ませた。
(こんなこと、神がお許しになるだろうか)
イーゴリは、そんな戸惑いを覚えながらも、幼い妹がそばにいることも忘れて、夢中に彼女を感じていた。自分が彼女の感触を、熱を感じることが出来るなんて、夢にも思わなかったことだ。
(俺は今、なんと、なんと幸福だろうか)
イーゴリは、彼女の身体を抱きしめながら、生まれて初めての情動を味わった。
どれくらい時間が経ったのか。それは数分にも、数時間にも思えた。イーゴリと彼女は互いの身体から手を離し、息を整え、照れくさそうに笑う。
イーゴリは、頬を赤く染めて彼を見上げる、いとしい人の愛らしさに見とれながらも、恥ずかしくてつい視線を逸らす。そして、その時、幼い妹が、自分のそばからいなくなっていることに気がついた。
森の中で子供が消え、そのまま見つからないというのはよく聞く話だ。
(あいつが一人で居なくなることなんて、普段ないから、迂闊だった。もし攫われていたら、俺のせいだ。ああ、俺はなんて間抜けなんだろう。)
イーゴリの頭の中に、最悪の未来が一瞬浮かぶ。イーゴリは、詫びるような仕草をする彼女に、「君のせいじゃない」と言ってなだめて、二人で必死にジーナを探した。しかし、妹の姿はどこにも見当たらない。
すぐにジーナを見つけることはできないと悟ったイーゴリは、日が沈む前に彼女を城に返すために、森の入り口へ戻ろうとした。
そして、森の入り口と、イーゴリの家にほど近いところに差し掛かった時、彼女がイーゴリの腕を引っ張った。
「…?、ジーナ!」
彼女が指をさした方向を見ると、黄金に輝く湖のほとりで、釣り糸を垂らしているジーナが居た。
どうしていなくなったのかと問いただすと、
「二人きりの方がよさそうだったから。」
と聡い妹に返され、イーゴリの方がすまないと謝る事態になった。
そして、もう辺りがオレンジ色に染まるほど日が傾いているのに、まだ一匹の魚も釣っていないことに気づいたイーゴリが、
「俺は魚を釣って帰るから、お前は彼女と一緒に先に森を出ろ」
と言うと、
「心配しなくていい。」
ジーナはそう言って、木桶をイーゴリの顔の前に出した。
「お前、これ…」
中には小魚が大量に入っている。イーゴリは気まずそうに、頬をかく。ジーナは彼の分の仕事をしてくれたのだ。
「よくやった、ジーナ。」
とりあえず、イーゴリはジーナを胴上げして褒め称えた。イーゴリらしくない行動に、妹は不思議そうにイーゴリを見つめた。対するイーゴリも、いつも通りの仏頂面で、口角が上手く上がらない唇は、真一文字に結ばれていた。
無表情で視線を交わす兄と妹を、彼女は楽しそうに眺めていた。
彼女を城に送ってから、二人は帰路につく。太陽はすっかり沈んでいて、空には星が輝き始めていた。いつもよりもだいぶ帰りが遅くなったので、まだ家の仕事ができていないじゃないか、と二人は両親に叱られたが、イーゴリの心は今までにないほど、軽やかに浮足立っていた。
その日は、彼の人生で、一番暖かい日だった。




