商人の夜の語り
イサークの伝手を頼って、一行は彼が泊まる宿に部屋を借りた。そして夜、伯爵たちは商人の口車に乗せられ、彼の部屋でもてなされることになった。
素朴な造りの部屋は、イサークが商品や調度品として持ち込んだ異国の品々で溢れていた。色とりどりの絨毯、衣服、織物が積まれ、床には金銀の水瓶や皿が並べられている。皿の上には、香辛料が香る異国の料理が盛り付けられていた。一行は円になって座り、商人の妻が弦を奏で始める。さらに他の妻が、賑やかだがどこか物悲しい歌を歌い始めた。
執事は怪しい商人への警戒を緩めていなかったが、肝心の伯爵はすぐ、物珍しい料理や、楽器と歌の旋律の虜になった。
イサークが旅の話を始めると、伯爵はジーナやムハイロといっしょに、身を乗り出して聞き入った。ジーナは楽しんでいるのか興味がないのかわからない無表情だが、ムハイロは目を爛々とさせ、イサークと話し込む。兵士たちも興味深く聞くような冒険譚には、伯爵が心を躍らせるのも仕方のないことだった。執事は腰から剣を外さなかったが、実のところ彼も聞き耳を立てていた。若い頃は英雄譚に心を奮い立たせていた老人が、興味を持たないわけがないのだ。
兵士が商人の美しい妻たちに魅了され、色々な歌を歌ってもらってもらい、商人に勧められるまま酒を飲んだ伯爵が寝入り、ついに執事もうつらうつらとしている時。
戒律を守り一滴も酒を飲んでいない商人は、少女と少年を夏の星空の下に連れ出していた。
「あの赤い星の向こうに私の故郷がある。あちらに行けば、お前たちとも私とも違う民族の皇帝が治める大国がある…まだ行ったことがないが、きっといい商売ができるから、そのうち行こうと思っている。」
「その皇帝は、ツァーリよりすごい宝を持ってるの?」
「ははは、どうだろうな。」
星々を指差し、未知の土地の話をするイサークに、ムハイロはきらきらと輝く青い目を向けている。しかしジーナは、彼が、異国の農民の子供を連れ出し、そんな夢を語る理由がわからなかった。
「何故、私たちにそのようなことを話すのですか?…ムハイロを連れていきたいのですか?」
南の方では、皇帝も貴族も男色家だという噂を聞いたことがある。顔は悪くない弟は、成長すれば力もあるかもしれないし、自分よりもいい商品になるから、買い取りたいのか、とジーナは考えた。しかし、イサークは笑って否定する。
「確かにスルタンの臣下には売れそうだが…私にも一応の矜持はある。そちらの方が君も金持ちにはなれるかもしれないがね……。それに、私の手伝いをするにも、幼いな。」
「子供は、身体も弱いし、あまり連れ歩きたくない。自分の子も、故郷とスルタンの国に置いて旅をしている。」
イサークは、髭を撫でながら、少し寂しげな顔をする。姉弟は見慣れない、親の顔だった。
「お前たちを見て、子供が恋しくなったのかもしれないな。」
イサークはジーナの方を見て、呟いた。先刻、怪し気に輝いていた黒い大きな瞳は、今はとても静かな夜空のようだった。
「ふぅん。」
ムハイロは不思議そうに返す。ジーナは、計算高い商人だと思っていたイサークの情を意外に思った。
(それとも、これも彼の計算なのか)
ジーナは考える。
「私もまだまだ若い気ではいるが、子供には人生の道を教えたくなる時もあるということだ。」
「?」
急に年寄りじみたことを言い出すイサークに、ムハイロは首を傾げる。
「何が言いたいのですか?」
一方のジーナは、年上の敬意や、先ほどまで自分の主人だった男への恐れもなく尋ねる。イサークは、少女の方を向いて、静かに語る。
「お前は今、幸運の星の下に、ものすごく大きな好機を手にしているということだ。それを逃してはならない。一介の貧しい農民の娘が、それ以上の何かになれる好機だ。」
「……私は、伯爵様の城の、暖かい寝床で寝る以上の贅沢は求めておりませんが……ああ、ムハイロやゾーヤにも寝床を与えたいものですが。」
詩人めいたイサークの言葉を理解しないジーナに、商人は飽きれたように大げさなため息をつく。
「お前は聡明な割に、そういうところは勘が鈍いな。…まあ、いずれは気づく時が来るだろう。」
「…。」
天の川の下、手を広げて演説をする商人に、ムハイロはあくびをし、ジーナはさっぱり話が掴めないという顔をしている。
「つまり、お前がどれ程平坦な道を歩みたくとも、そこには山も谷もあるということだ。」
至極平凡な結論を口にするイサークに、少女はやはり腑に落ちない顔をした。
イサークポエムは私もよくわかりません。
 




