商人の語り
イサークの伝手を頼って、一行は彼が泊まる宿に部屋を借りた。素朴な室内は、しかし高価な調度品に彩られていた。食堂でイサークが異国から持ってきた食材でつくられた料理を口にした後、伯爵たちは言われるがまま彼の部屋でもてなされる。
執事は商人への警戒を緩めていなかったが、肝心の主人は物珍しい料理や、商人の妻が奏でる楽器と歌の旋律に魅せられ、すっかり異国の商人の虜になっている。他人を恐れる割に諾されやすい主人に頭を悩ませながら、商人の手管に執事は感心していた。伯爵はジーナやムハイロと一緒に、イサークの旅の話に身を乗り出して聞き入っている。ジーナは楽しんでいるのか興味がないのかわからない無表情で聞いていたが、ムハイロは目を爛々とさせ、イサークと最後まで話し込んでいた。兵士たちですら興味深く聞いている話だったので、伯爵が心を躍らせるのも仕方のないことだった。
執事は腰から剣を外さなかったが、実のところ彼も聞き耳を立てていた。若い頃は英雄譚に心を奮い立たせていた老人が異国の話に興味を持たないわけがないのだ。兵士が彼の美しい妻に魅了され、彼女らに色々な歌を歌ってもらってもらい、自分は戒律を守って酒を飲まない商人に勧められるまま酒を飲んだ伯爵が寝入り、ついに執事もうつらうつらとしている時、商人は少女と少年を夏の星空の下に連れ出していた。
「あの赤い星の向こうに私の故郷がある。あちらに行けば、お前たちとも私とも違う民族の皇帝が治める大国がある…そちらにはまだ行ったことがないが、きっといい商売ができるから、そのうち行こうと思っている。」
「その皇帝は、ツァーリよりすごい宝を持ってるの?」
「ははは、どうだろうな。」
星々を指差して未知の土地の話をするイサークにムハイロはきらきらと輝く青い目を向けるが、ジーナは彼が何故農民の子供を連れ出してそのような夢を語るのかわからなかった。
「何故、私たちにそのようなことを話すのですか?…ムハイロを連れていきたいのですか?」
顔は悪くない弟は、成長すれば力もあるかもしれないし、自分よりいい商品になるから買い取りたいのかとジーナは考えたが、男は笑って否定する。
「確かにスルタンの臣下には売れそうだが…私にも一応の矜持はある。そちらの方が君も金持ちにはなれるかもしれないがね……。それに、私の手伝いをするにも、幼いな。子供は身体も弱いしあまり連れ歩きたくないんだ。自分の子も故郷とスルタンの国に置いて旅をしている。」
イサークは髭を撫でながら少し寂しげな顔をしたが、それは姉弟には見慣れない親の顔だった。
「お前たちを見て子供が恋しくなったのかもしれないな。」
「ふぅん。」
ムハイロは不思議そうに返す。ジーナは、計算高い商人だと思っていたイサークが情を持っていることを意外に思っていた。それとも、これも彼の計算なのかとジーナは考える。
「私もまだまだ若い気ではいるが、子供には人生の道を教えたくなる時もあるということだ。」
「?」
急に年寄りじみたことを言い出すイサークに、ムハイロは疑問符を表情で示している。
「何が言いたいのですか?」
一方のジーナは、年上の敬意や、先ほどまで自分の主人だった男への恐れもなく尋ねる。彼女の率直な物言いを気に入っているイサークは少女の方を向いて、静かに語る。
「お前は今、幸運の星の下に、ものすごく大きな好機を手にしているということだ。それを逃してはならない。一介の貧しい農民の娘が、それ以上の何かになれる好機だ。」
「……私は、伯爵様の城の、暖かい寝床で寝る以上の贅沢は求めておりませんが……ああ、ムハイロやゾーヤにも寝床を与えたいものですが。」
詩人めいたイサークの言葉を理解しないジーナに、商人は飽きれたように大げさなため息をつく。
「お前は聡明な割に、そういうところは勘が鈍いな。…まあ、いずれは気づく時が来るだろう。」
「…。」
手を広げて演説をする商人に、ムハイロはあくびをし、ジーナはさっぱり話が掴めないという顔をしている。
「つまり、お前がどれ程平坦な道を歩みたくとも、そこには山も谷もあるということだ。」
至極平凡な結論を口にするイサークに、少女はやはり腑に落ちない顔をした。
イサークポエムは私もよくわかりません。