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カースカ(旧スーカスカ)  作者: ぷらまいせぶん
働き者のイーゴリ
33/104

ジーナの物語

伯爵一行は、川辺で野営をすることにした。日は沈み、月も星も雲に覆い隠され、あたりは真っ暗闇だ。明かりを灯し、暖を取るため、伯爵たちは木の枝を集めて火をつけた。伯爵とミハイロは、焚き火を囲む形で地面に座る。兵士たちも、伯爵の隣に座ったり、見張りとして少し離れた場所に立った。

老いた執事ひとりだけが、ならず者の襲撃に備え、曲刀を縦横無尽に虚空に振るって、老体を動かしている。ろくに戦をしたことがない若い兵士たちは、のんびりとその様子を見ているか、盗賊の奇襲に怯えて震えていた。


(四十年前なら、わたしひとりでなんとかなったが…)


執事は曲刀をふるいながら、たよりない若者たちを盗み見て思う。城から駆けつけた兵士数人と、わずかな武器はあるものの、荒くれ者に襲われたら伯爵を守れまいと、執事は気が気ではなかった。貴族が野宿をするなど、ふつうはありえない、危険な行動である。

太陽が西に沈み始める頃、執事は伯爵にいったん城に帰ることを提案したが、少年の話が真実なら時間がない、という主の剣幕に押され、このまま商人とジーナを探すことにしぶしぶ賛同してしまったのだ。


執事の心中はしらず、ジーナの弟、ミハイロは、夢中で執事の剣さばきを見ている。一眠りしてから、彼は本来の明るさを取り戻していた。伯爵はといえば、夕暮れまでには追いつくと思っていたジーナの姿はさっぱり見当たらず、この広大な土地で彼女を見つけ出す望みを早くも失い、沈痛な面持ちで、焚き火を眺めていた。


(ジーナは今頃どうしているのだろうか。食事は与えられているのか。暴力やひどい目にはあっていないだろうか。もう南の異教徒に売られ、国境を超えているだろうか。いや、いくら駿馬でも、まだ国境は超えられまい…。)


静まり返った暗闇の中では、伯爵の想像は悪い方向へ進むばかりである。


「私のせいだ……私が、家に帰したから……。」


焚き火に照らされる、項垂れている伯爵の姿を、兵士たちは哀れなものを見るまなざしで見つめている。


(領主自ら城を空けて野宿とは、余程ジーナにご執心らしい)


彼らは完全に、ジーナと伯爵の関係を誤解していた。




「伯爵様!」


一人、己の罪に苦しんでいた伯爵は、とつぜん背中に重みを感じた。ミハイロがのしかかってきたのだ。伯爵の薄い胸板は少年の体重で圧迫され、熊の鳴き声のようなうめき声が上がる。全く上の身分への態度の取り方の分かっていない、少年の無邪気な振る舞いを、伯爵は注意するわけでも怒るわけでもなく、なんとか笑顔を取り繕って答えた。


「な、…なんだい?」


「眠くなってきたから、また子守唄歌って!」


少年は満面の笑みで伯爵に要求する。兵士たちも執事も、少年の声を聞き、唖然とした。それは少年の身の程知らずぶりに呆れたのではなく、彼らからすれば墓の下で死者が歌っているような不気味な伯爵の子守唄を、少年が気に入っていたことに驚愕していたのだ。

確かに伯爵の子守唄は、歌詞は一部間違っているが、音程はあまり外れていない。下手か上手いかと言われたら、上手いほうだと言えるかもしれない。しかし、低く、囁くような掠れ声が時折震えるのは、なんとも不穏な旋律を生み出していた。


「とってもこわくて、悪霊もいなくなりそうだった!」


兵士たちは納得した。少年はその不気味さに、恐怖ではなく、魑魅魍魎を追い払う頼もしさを感じていたのか、と。他方で、少年の言葉を賞賛と受け取った伯爵は、照れて頭をかき、歌おうか逡巡する。しかし、兵士と執事の耳を気にして、ためらった。


「ここで歌うのは、その、すこし恥ずかしいな……。代わりに…そうだ、君のお姉さんについて、話さないかい?」


「ジーナのこと?それなら俺、聞かなくてもなんでも知ってるよ。生まれてからずっと一緒に居たし」


「そうだろうね。でも、ジーナがわたしの城に居た間、どんな活躍をしたのかは、知らないだろう?」


「えっ!?ジーナは何も言ってなかったよ!」


姉の英雄譚に弟は食いついた。伯爵は微笑んでから、男爵から彼を救ったジーナの話を、分かりやすく、かつ小さい子供に聞かせられるように、中身を多少変えて話した。一連の騒動の詳細を知らなかった兵士たちも、興味深げに聞き耳を立てている。


「…そうして、ジーナのおかげで悪魔の男爵は捕まったんだ。」


今だに、親友だと思っていた人物の所業を知らず裏切られたことや、エリクに捨てられた傷が癒えていない伯爵は、少し胸が痛むのを感じながらも、物語を話し終えた。少年は伯爵が話すあいだ、眠るどころか目を覚まし、大きな青い目を輝かせて、伯爵の話に耳を傾けていた。最後に感嘆の声を上げた後、少年は不思議そうに、伯爵に尋ねた。


「昔話みたいに伯爵様を助けたのに、どうして、ジーナはご褒美をもらえないの?」


身の程知らずな少年の質問に、老執事が笑顔で割って入る。


「伯爵様はジーナに十分、報酬を与えましたよ。」


そもそもジーナが伯爵を助けたというのは伯爵の主観であって、客観的に、というか執事からしてみれば、勝手な行動をして捕まったジーナを伯爵が助けたのだ。故に、執事からすれば伯爵はジーナに十分、相応の対価を払ったと言えた。

ジーナが動かなければ、エリクは男爵にころされて伯爵は引きこもり、男爵は殺人を続けていたということは、執事にも否定し難い可能性であったが。


しかし、少年は納得していない表情をしている。伯爵が語った物語の中では、ジーナが伯爵の助けを借りず、一人で男爵を蹴散らしていたこともあり、彼の中では余計、大貴族を助けた姉に相応しい報酬は、大金持ちになるか、皇妃や皇太子妃になるぐらいのものでなければならないのだった。


「ううん、ミハイロのいう通りさ。あれだけでは、全然、足りないよ…。もっとたくさん、お礼をしたい。」


伯爵は、執事に向かって首を振る。伯爵も、ジーナへの報酬、いや、礼は足りないと考えていた。男爵のことを除いても、彼女は彼の無理な願いを聞いて男装して小姓として仕えてくれたのだ。それに比べ、家臣として働いたジーナに自分がしたことといえば、心の底では帰りたくなかったであろう家に帰したことだと思い当たって、伯爵はまた恥ずかしさと自責の思いに駆られ、顔を両腕に埋める。

そして、伯爵からすれば、微々たる金額である給料しかいつも要求しない、少女の無表情な顔を思い浮かべながら、疑問を口にする。


「ジーナは、何が欲しいのだろうか。」


「さあ、ジーナは変わってるから。宝石とか髪飾りとかドレスとか、興味がないんだ。牛や馬や魚のことは詳しいけど…。あ!そういえば、昔、海が見たいって言ってたな。」


ミハイロも伯爵と一緒に悩むが、昔、釣りの時に姉がふとこぼした言葉を思い出した。


「そうか、ジーナや君は海を見たことがないのか。」


伯爵は領民が自分の土地に縛られていることを、今更あらためて思い出す。そして、ジーナが城壁の外の世界に興味があったことを意外に思ったが、それも当然かと、自分の思い込みを恥じた。


「生まれてからず〜っと、この村にいるから。伯爵様、海って本当に綺麗なの?」


きらきらと煌めく少年の瞳に問われ、伯爵の脳裏には、少年の時に父親が連れて行ってくれた、青く広大な海の景色が広がった。伯爵は、ぎこちなく微笑んで答える。


「私も一、二度しか見たことはないけれど、青空の下の海は本当に美しくて、天国のようだったよ。…ジーナを取り戻したら、彼女に海を見せに行こう。その時は、君や妹さんも一緒に来るかい?」


伯爵のやや無責任な提案に、ミハイロは口を開いて頷き、夢を語った。


「本当?俺、大きくなったら、村のそとに、旅に出たいと思ってたんだ。ジーナには無理だって言われるだろうけど…。」


伯爵は首を少し傾げ、疑問を投げる。


「そうかい?君がちゃんと大人になって、自分で考えて望んだことだったら、ジーナは応援してくれるだろう。」


「そうかなあ…そうだといいなあ…。」


ミハイロは、自分の未来の可能性に想いを馳せ、焚火を見つめて呟く。伯爵は、ジーナと正反対の性格の弟の快活な様子を、微笑ましく眺める。執事と兵士たちは、久々に明るい表情の主人を和やかに見守っていた。

二人は三十路前の青年と子供というより、同年代の友人のようだったが、そのことには誰も触れなかった。伯爵と少年が和気藹々と語り合ううち、夜は更け、いつの間にか執事以外の一行は眠り込んでしまった。

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