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カースカ(旧スーカスカ)  作者: ぷらまいせぶん
働き者のイーゴリ
32/96

3人の再会

伯爵一行は、川辺で野営をすることにした。日は沈み、あたりは真っ暗闇につつまれている。雲に覆い隠されてしまい、星の光も見えない。明かりを灯し、暖を取るため、伯爵たちは木の枝を集めて火をつけた。そして少年と伯爵は、焚き火を囲む形で地面に座る。兵士たちは、伯爵の隣に座ったり、見張りとして少し離れた場所に立った。

老いた執事ひとりだけが、ならず者の襲撃に備え、曲刀を縦横無尽に虚空に振るって、老体を動かしている。ろくに戦をしたことがない若い兵士たちは、のんびりとその様子を見ているか、盗賊の奇襲に怯えて震えていた。


(四十年前なら、わたしひとりでなんとかなったが…)


執事は曲刀をふるいながら、たよりない若者たちを盗み見て思う。

城から駆けつけた兵士数人と、わずかな武器はあるものの、荒くれ者に襲われたら伯爵を守れまいと、執事は気が気ではなかった。


貴族が野宿をするなど、ふつうはありえない、危険な行動である。


太陽が西に沈み始める頃、執事は伯爵にいったん城に帰ることを提案したが、少年の話が真実なら時間がない、という主の剣幕に押され、このまま商人とジーナを探すことにしぶしぶ賛同してしまったのだ。


執事の心中はしらず、ジーナの弟、ムハイロは、夢中で執事の剣さばきを見ている。一眠りしてから、彼は本来の明るさを取り戻していた。


伯爵はといえば、夕暮れまでには追いつくと思っていたジーナの姿はさっぱり見当たらず、この広大な土地で彼女を見つけ出す望みを早くも失い、沈痛な面持ちで、焚き火を眺めていた。


(ジーナは今頃どうしているのだろうか。食事は与えられているのか。暴力やひどい目にはあっていないだろうか。もしや南の異教徒に売られ、国境を超えているだろうか。いや、いくら駿馬でも、まだ国境は超えられまい…。)


静まり返った暗闇の中では、伯爵の想像は悪い方向へ進むばかりである。


「私のせいだ……私が、家に帰したから……。」


焚き火に照らされる、項垂れている伯爵の姿を、兵士たちは哀れなものを見るまなざしで見つめている。


(村娘一人のために城を空けるとは、余程伯爵はあの少女にご執心らしい)


彼らは完全に、ジーナと伯爵の関係を誤解していた。

さらに、城の使用人や兵士はジーナの性別を知っているので、兵士たちの間では、伯爵は意中の少女を男装させて側に置くのが趣味の倒錯者として認識されている。




「伯爵様!」


一人、己の罪に苦しんでいた伯爵は、とつぜん背中に重みを感じた。

ムハイロがのしかかってきたのだ。伯爵の薄い胸板は少年の体重で圧迫され、うめき声が上がる。

全く上の身分への態度の取り方の分かっていない、少年の無邪気な振る舞いを、伯爵は注意するわけでも怒るわけでもなく、なんとか笑顔を取り繕って答えた。


「な、…なんだい?」


「眠くなってきたから、また子守唄歌って!」


少年は満面の笑みで伯爵に要求する。


兵士たちも執事も、少年の声を聞き、唖然としていた。それは少年の身の程知らずぶりに呆れたのではなく、彼らからすれば墓の下で死者が歌っているような不気味な伯爵の子守唄を、少年が気に入っていたことに驚愕していたのだ。


確かに伯爵の子守唄は、歌詞は一部間違っているが、音程はあまり外れていない。下手か上手いかと言われたら、上手いほうだと言えるかもしれない。


しかし、低く、囁くような掠れ声が時折震えるのは、なんとも不穏な旋律を生み出していた。


「とってもこわくて、悪霊もいなくなりそうだった!」


兵士たちは納得した。少年はその不気味さに、恐怖ではなく、魑魅魍魎を追い払う頼もしさを感じていたのだ。


少年の言葉を賞賛と受け取った伯爵は、照れて頭をかき、歌おうか逡巡する。しかし、兵士と執事の耳を気にして、ためらった。


「ここで歌うのは、その、すこし恥ずかしいな……。代わりに…そうだ、君のお姉さんについて、話さないかい?」


「ジーナのこと?それなら俺、聞かなくてもなんでも知ってるよ。生まれてからずっと一緒に居たし」


「そうだろうね。でも、ジーナがわたしの城に居た間、どんな活躍をしたのかは、知らないだろう?」


「えっ!?ジーナは何も言ってなかったよ!」


姉の英雄譚に弟は食いついた。伯爵は微笑んでから、男爵から彼を救ったジーナの話を、分かりやすく、かつ小さい子供に聞かせられるように、中身を多少変えて話した。

一連の騒動の詳細を知らなかった兵士たちも、興味深げに聞き耳を立てている。


「…そうして、ジーナのおかげで悪魔の男爵は捕まったんだ。」


今だに、親友だと思っていた人物の所業を知らず裏切られたことや、エリクに捨てられた傷が癒えていない伯爵は、少し胸を痛めながら、物語を話し終えた。

少年は伯爵が話すあいだ、眠るどころか目を覚まし、大きな青い目を輝かせて伯爵の話に耳を傾けていた。

しかし、最後に感嘆の声を上げた後、不思議そうに伯爵に尋ねた。


「昔話みたいに伯爵様を助けたのに、どうしてジーナはご褒美をもらえないの?」


身の程知らずな少年の質問に、老執事が笑顔で割って入る。


「伯爵様はジーナに十分、報酬を与えましたよ。」


そもそもジーナが伯爵を助けたというのは伯爵の主観であって、客観的に、というか執事からしてみれば、勝手な行動をして捕まったジーナを伯爵が助けたのだ。

故に、執事からすれば伯爵はジーナに十分、相応の対価を払ったと言えた。

ジーナが動かなければ、エリクは男爵にころされて伯爵は引きこもり、男爵は殺人を続けていたということは、執事にも否定し難い可能性であったが。


しかし、少年は納得していない表情をしている。伯爵の話の中では、伯爵の助けを借りずにジーナが男爵を蹴散らしていたこともあり、彼の中では、大貴族を助けた姉に相応しい報酬は、皇妃や皇太子妃になるぐらいのものでなければならないのだった。


「あれだけでは、全然、足りないよ…。もっとたくさん、お礼をしたい。」


ムハイロが首を傾げる横で、伯爵は、執事に向かって首を振る。伯爵は、ジーナへの報酬、いや、お礼は足りないと考えていた。

男爵のことを除いても、彼女は彼の無理な願いを聞いて男装して小姓として仕えてくれたのだ。

家臣として働いたジーナに自分がしたことといえば、心の底では帰りたくなかったであろう家に帰したことだと思い当たって、伯爵はまた顔を両腕に埋める。伯爵からすれば微々たる給金しか要求しない少女の無表情な顔を思い浮かべながら、伯爵は疑問を口にする。


「ジーナは、何が欲しいのだろうか。」


「さあ、ジーナは変わってるから。宝石とか髪飾りとかレースとか、興味がないんだ。牛や馬や魚のことは詳しいけど…。あ!そういえば、昔、海が見たいって言ってたな。」


ムハイロも伯爵と一緒に悩むが、昔、釣りの時に姉がふとこぼした言葉を思い出した。


「そうか、ジーナや君は海を見たことがないのか。」


伯爵は領民が自分の土地に縛られていることを今更再認識する。そしてジーナが城壁の外の世界に興味があったことを意外に思ったが、考えてみれば当然かと、自分の思い込みを恥じた。


「生まれてからず〜っと、この村にいるから。ねえ、海って本当に綺麗なの?」


「私も一、二度しか見たことはないけれど、青空の下の海は本当に美しくて、天国のようだったよ。…ジーナを取り戻したら、彼女に海を見せに行こう。その時は、君や妹さんも一緒に来るかい?」


伯爵のやや無責任な提案に、ムハイロは頷き、夢を語る。


「本当?俺、大きくなったら、村のそとに、旅に出たいと思ってたんだ。ジーナには無理だって言われるだろうけど…。」


「そうかい?君がちゃんと大人になって、自分で考えて望んだことだったら、ジーナは応援してくれるだろう。」


「そうかなあ…そうなら、いいなあ…。」


伯爵と少年が和気藹々と語り合ううちに夜は更け、いつの間にか二人は眠り込んでしまった。執事と兵士たちは久々に明るい表情の主人を和やかに見守っていた。二人は三十路前の青年と子供というより、同年代の友人のようだったが、そのことには誰も触れなかった。






朝日が昇ると共に、伯爵たちは再び行動を始める。しかし、一本道は何本にも分かれはじめ、近くには焚き火の煙も登っておらず、人気もない。そもそも、進む方向が合っているのだろうかと地図を見つめながら伯爵と執事が悩みこんでいた頃、夜中馬車を飛ばしてきた城からの使者がやってきた。男爵の一件の際、伯爵が保護した商人の娘から、ジーナを街で見かけたという便りが伝書鳩で届いたそうだ。彼女によれば、ジーナは異国の商人風の男と一緒にいて、男性用の衣装を身につけていたらしい。一瞬見間違いかと思ったが、近寄って見てもそっくりで、声も聞き覚えがあったという。伯爵たちは急いでレーシャの言う街へ馬を飛ばした。


伯爵は人混み、都市の喧騒が苦手である。無数の視線が自分に集まっている気がするからだ。今日に限ってはそれは間違いではなく、綺麗な貴族の身なりをして、帯剣した男性を引き連れた彼は、この田舎街では目立っていた。当の伯爵は野宿によって乱れた格好と体臭を気にしていて、ジーナを必死に探しつつも、香水を首と上着に吹きかけたりと忙しい。町人の中で浮いた一行はジーナを連れていた人物が商人だったという情報を元に、市場や広場でそれらしき人影を探す。ジーナと商人を人の往来の中に探す伯爵たちの視界に、彼らの胸にも届かない身長の少年は入っていない。ムハイロは、初めて見る都市の景色に目を奪われ、やや目的を忘れていた。伯爵に声もかけず、彼は一行の群れを離れて、広場で行われていた珍獣の見世物の方に駆け出した。折り悪く、それは横から馬車が通りかかっていた時だった。


「危ない!」


御者が悲鳴をあげて手綱を引くが、急に馬は止まらない。その声に気づいた伯爵たちが駆け寄ろうとしたが間に合わない。その時、群衆の中から人影が飛び出し、ムハイロを抱えて一緒に石畳の上を転がって、なんとか馬車を避けた。


「周りに気をつけろ、馬車に轢かれたら死ぬか、足や腕がなくなるぞ。」


親切だが子供相手に容赦のない忠告をする命の恩人の顔を見たムハイロは、歓喜してその名前を呼び、相手に抱きついた。


「ジーナ!!!ジーナだ!!!!」


「大丈夫かい、ムハイロ!この子を助けて頂いて、どうもありが…。」


ムハイロの声は周囲の喧騒や急停止して荷物をひっくり返した馬車の御者の怒声に飲まれて伯爵には聞こえておらず、息切れしながら見知らぬ人物に礼を言おうとした伯爵は、その顔を見て叫んだ。


「ジーナ!!!」


伯爵の目の前に佇む少女は、変わらない無愛想な顔で、彼を見つめていた。しかし、その声の僅かな抑揚と、少し見開かれた鳶色の目は、驚きを示していた。


「伯爵様……。」



喜びの踊りを始める少年、黙って互いの顔を見る貴族らしき青年と少女に周囲が好奇の視線を投げかける中、執事と兵士以外の人影が彼らに近づいていた。


「急に走り出すな…おや、貴方がたは…。」


ジーナに注意しようとしたその黒髪の男は、伯爵たちを見ると笑みを浮かべ、恭しくお辞儀をした。彼は伯爵の上着と似た形状の長い上着を羽織っていたが、彼のものはより上質な布に異国の模様が染め付けられていて、その手には高価な宝石の指輪が何個も嵌められている。男の異国趣味で美しい身なりに思わず伯爵が見入っている間に、勘違いした男は売り込みを始めた。


「私、イサークと申しまして、砂漠の国から輸入したものを売っております。お客様もおひとついかがでしょうか?」

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