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カースカ(旧スーカスカ)  作者: ぷらまいせぶん
働き者のイーゴリ
22/98

ジーナの嘘

中年の農婦が鬼気迫る様子でジーナにまくし立てるので、伯爵は気圧されて止めに入ることも出来ず、唖然としていた。その間に、農婦はジーナの腕を引っ張って何処かへ連れて行こうとする。


伯爵はぎょっとして、農婦の前に立ちふさがり、彼女の道を阻む。しかし、ひょろ長く背の高い男にたじろぎもせず、農婦は伯爵を避けてそのまま進もうとするので、ついに伯爵は、おどけながら、声を上げた。


「お待ち下さい、ご、御婦人!彼…は私の侍従です。その、連れて行かれては困ります……。彼に用があるなら、また改めて、城にお招きしますが…。」


農婦を城に招くと言う伯爵を、周囲の農民は怪訝な目で見ていたが、ジーナの手を離さない農婦は、伯爵を殆ど睨みつけて言った。


「伯爵様、私はこの子の実の母親ですよ。貴方がいくら立派な方でもね、子供は親と住むべきでしょう。」


「えっ!?……い、いや、しかしジーナ、君のご両親は……。」


ジーナは実の両親が亡くなったとは言っていなかったが…、でも…と、記憶をたどりながらぎょろぎょろと眼球を彷徨わせる伯爵にジーナが、農婦に腕を掴まれたまま、答える。


「あれは嘘です。この人は確かに、私の母です。」


彼女にしてはめずらしく、鳶色の目は、伯爵のほうを見ていなかった。


嘘、という単語に農婦はぴくりと眉をあげた。

正確に言えばジーナが嘘をついたのは下の弟妹が親戚の家にいるということで、両親については伯爵が勝手に死んだと思っていただけなのだが。


「ど、どういうことなんだ?」


伯爵は、村人の前で領主として取り繕うことも忘れ、間抜けな顔で困惑した。

伯爵には事態が全く飲み込めなかった。

男爵から伯爵を救ったジーナを、伯爵は友人だと思い、彼女の言うことは信じ切っていた。またもや嘘をつかれていたとは、思いもしていなかったのだ。


「……私は、明日も分からぬ生活を送る農民の娘です。そんな人間が、伯爵様の城に召し抱えられる機会を得たのです。」


珍しく視線を彷徨わせるのはジーナで、彼女を真っ直ぐに見つめるのは伯爵だった。ジーナの声はいつものように通っていて、伯爵の鼓膜をはっきり震わせる。しかしいつものように、すぐに明瞭な答えを返すことはなかった。


「…しかし、何故家族がいないなどと…」


伯爵は、困ったように眉を下げ、ジーナの顔を見つめながら問いかける。


「……いると言えば、家に帰されると考えたからです。…私は、家族を見捨てたのです。」


ジーナは、娘にしては低い少年のような声で、いつものように平坦な調子で答えた。しかし彼女にしてはめずらしく、言葉の合間に少し、沈黙を挟んでいる。


伯爵は、ジーナの無表情の裏を探ろうと、彼女の顔を真っ直ぐ見る。彼女の眉はいつものように平坦な直線で、薄く血色が良い唇も、真っ直ぐな直線を描いていた。さまよっていた鳶色の瞳は、伯爵の薄く蒼い目を、真っ直ぐ見返す。


伯爵には、彼女が豊かな暮らしのために家族を見捨てる人間だとは思えない。しかし、伯爵はジーナの今までの人生など全く知らないし、彼女が語った過去は嘘だというのだ。


(本当のジーナは、私が知るジーナではないのかもしれない。)

(それに、城で暮らし、鍬も振るわぬ私には分からない、家族と離れたくなるほどの苦労が、この子にはあったのかもしれない。)


伯爵は、ジーナの大きな目を見つめながら考えた。

伯爵とジーナは、しばらくそのまま、互いに無言で立っていた。彼らを囲む兵士や村人たちも黙って事の成り行きを見守り、ジーナの母だという農婦は、ジーナの腕を掴んだまま、眉に皺を寄せて、伯爵とジーナを見ている。




「本当に、このご婦人は君のお母様なのだね。」


伯爵の、紅い口紅が塗られた唇が開く。伯爵は、ジーナを責めるためではなく、ただ事実を確認するために、尋ねた。


「…はい。これは、嘘ではありません。」


(無理矢理言わされているわけではなさそうだ)


伯爵は、自分を真正面から見返して答えるジーナを見て思った。そして、隣の農婦に視線を移す。

彼女はジーナと同じ、黄味がかった茶髪と鳶色の目をしていた。頭に巻く布で隠れた顔も、よく見れば均整が取れていて、すっきり通った鼻筋がジーナに似ている。

伯爵を睨むような鋭い目つきで見ながら、農婦はこの地方の訛りが色濃い発音で話し始めた。


「伯爵様、いつ飽きられるか分からないのに貴方のそばで働かせるより、この娘には家でやらせる仕事があるんですよ。下の子らもいるんでね。この娘にはうちで働いてもらわなきゃ困るんです。」


ジーナの母の鋭い眼光に貫かれた伯爵は、おもわず息を呑み、怯む。

農婦の態度は無礼ではあるが、伯爵が先程から動かないように片手を上げて合図をしているため、周りに控える兵士たちは動けない。

それに、農婦の話が真実であれば、伯爵のほうが、人さらいの悪者である。村人の疑念がこもった視線は伯爵に向けられた。


「ジーナ、君は戻りたいのかい?」


伯爵は、ジーナの母の迫力に気圧されながらも、ジーナ本人の意志を聞いた。伯爵は少し膝を折り、ジーナと目線を合わせる。薄い灰色の目は、ジーナをまっすぐ見つめている。伯爵の声はやわらかく、子供に聞くように、優しい声色だった。


「私は…戻らねばなりません。」


ジーナは、俯きながら地面の方を見て、感情が読み取れない平坦な声でそう返した。

彼女が家に戻らないで城に帰りたいと言うことを、僅かに期待していた伯爵は、ジーナの言葉を聞き、よろめきそうになった。それでも伯爵は、両足をしっかりと地につけ、一瞬うつむいた顔を上げる。


「そうか…ジーナ………。わかった。寂しくなるが…君に暇を出そう。たまには、城に遊びにおいで。」


伯爵は名残り惜しげにジーナを見つめながら、優しく微笑んで、そう言った。村人の手前、貴族らしい言葉遣いだったが、伯爵の声はやわらかく、ジーナの嘘を咎めることもなかった。


その時ジーナは、あっさり彼女を手離した伯爵との間に、急に透明な壁が建てられたように感じた。

彼女とさほど中身は変わらないように時に思える伯爵も、十歳以上年上の大人なのだ。

その上、伯爵は領主である。ジーナの目に、今ほどイヴァンが領主という、逆らえない権威として映ったことはない。彼は、ジーナの両親や村人が言っているように、ジーナたち領民を生かしも殺しもできる、領主なのだ。

ジーナと村人にとっては、伯爵の言葉は、覆せない判決文に等しかった。


他方、ジーナの大きな目に静かに見つめられている伯爵は、そんな彼女の心には気づかず、自らの言葉の重さも自覚していない。

伯爵としては、彼はジーナの意志を尊重して、ジーナに城に居てほしいという気持ちを抑え、領主の権限を振りかざさなかったのだ。


そして、伯爵は自分の過去は何れにしろ血のつながりは大切で、家族はみんな、互いに信頼しあい助け合うものだと、未だに信じていた。


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