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シャンパンを飲む者

「動くな!」


突然地下室に響いた声に、ジーナの上に覆いかぶさり、彼女の衣服をはぎ取ろうとしていた男爵は動きを止めた。男爵の身体が邪魔で、ジーナからは声の主が見えなかったが、いつもより大きなその声が、誰のものであるか聞き間違えようがなかった。それでもジーナには、まさか臆病な彼が殺人鬼の屋敷まで乗り込んできたとは信じられなかった。

男爵が振り返ると、仄暗い蝋燭だけで照らされた暗い部屋に、幽鬼の如く儚く不気味で、青白くひょろ長い男の姿が浮かび上がる。その男、伯爵は、かたかたと腕を震わせながら小銃を構え、唇を血が滲むほど噛み締めて、ジーナに跨る男爵を、薄い青灰色の瞳で精一杯睨みつけていた。


「ジーナを放せ!でなければ…撃つ!」


伯爵は再度の警告を叫ぶ。先程発した言葉との矛盾には、気が動転している彼は気づいていなかった。対して、伯爵の目を見つめ、楽しげに微笑む男爵は余裕にあふれている。


「イヴァン…まさか君がここに来るなんてね……君も混ざって、一緒に楽しむかい?」


「馬鹿なことを言うな!」


あまつさえ伯爵を嗜虐趣味に誘う男爵に、伯爵はさらに声を荒げた。ジーナは、いつも弱々しく温厚な伯爵が怒気を孕んだ声を発するのは初めて聞いたな、と男爵の動向を注視しながら思った。


「そうか、そうだろうな、君はエリクにすら触れられないのに、彼女に触れられるわけもない!哀れな男だ。」


男爵は怒る伯爵にますます愉快になり、彼の心の傷を抉ろうと挑発する。


「うるさい、早く、ジーナを、」


伯爵はどもりながら銃を構え続けるが、男爵は気にする様子がなく、無礼な言葉を続ける。


「エリクとジーナだけでなく、君のことも可愛がってあげたかったんだが……君が頼み込むなら、エリクと私の愛の営みを見せてあげても…いや、まずここでジーナと睦み合うのを見たまえ。()()()の君の不能も治るかもしれない。」


「、なぜ、そのことを……。いや、そんなことはどうでもいい……世迷言を言っていないで、彼女から離れろ!本当に、う、撃つぞ!」


帝都の貴族とも繋がりが多い情報通の男爵は、伯爵の事情も知っていた。執事や古い使用人しか周囲には知るものが居らず、領民には勿論明らかにしていない過去を男爵が知っていることに、伯爵は激しく動揺した。友人だと信じていた男爵が殺人鬼であったことに加え、伯爵のことを蔑み、エリクとジーナを利用して彼を侮辱しようとしていることに伯爵の心臓は軋み、悲鳴をあげている。


それでも、ジーナを奪われるわけにはいかないと、伯爵は自分を鼓舞し、男爵への脅しとして銃の引き金に添えた指に力を込めてみせる。しかし、男爵は臆すことなく、伯爵を笑う。


「はははっ!狩りにも行かない君が、愛人を寝取られ決闘もしない君が、私を当てられるのかい!?やめておけ、無駄だ!最悪、暴発して君が死ぬかもしれないぞ?」


実際、男爵が言う通り、伯爵は自分の銃の腕前に全く自信がなかった。子供の時父親に撃つ練習をさせられて以来、銃身を握ったこともなかった。その頃は、大きな銃声を聞くだけで目に涙を浮かべたものだ。


「く、…」


伯爵の頭の中を、様々な最悪の想像が駆け巡る。男爵から外し、返り討ちにあう自分、流れ弾に当たるジーナ、暴発して自爆する自分。

その時、黙って様子を見ていたジーナが、見かねてかすれ声をあげた。


「伯爵様…、私のことは、放っておいて、…逃げてください」


ジーナの声を聞いて、伯爵は思い出す。今まで、ジーナの忠告も聞かず男爵の仮面の下から伯爵が目を背け続けた結果がこの状況だ。伯爵は、今や唯一の友人に等しい彼女の身を、そのために危険に晒してしまった。ジーナを今、男爵から救うためには、彼はもうどこにも退けないのだ。


「ジーナ……。…君のことを信じなくて、すまなかった。エリクのことも、私の落ち度だ。君をこんな、怖い目に合わせてしまった………。私は本当に、最悪の主人で、最低の友人だ。…だから、私はもう、目を背けない!!」



伯爵は引き金を引き、乾いた銃声が地下室に反響した。










そして案の定、伯爵の弾丸は外れた。


しかし、男爵の脚を掠めたそれは、ジーナが反撃をするのに十分な一瞬を与えた。バランスを崩し、自分の上に倒れかかってきた男爵にジーナは頭突きを食らわせ、枷にはめられた手で男爵の手から武器を奪おうとする。

その隙に、ジーナが拘束されている机のそばに、駆け寄った伯爵が至近距離で再び引き金を引いた。今度こそ、男爵の脚を弾丸が貫く。伯爵が持っている小銃が、連射式の高価なものだとは、男爵は予想していなかった。痛みに呻き、崩れ落ちる男爵を床に押しのけ、伯爵はジーナの枷と鎖を外して解放する。


「ジーナ……!良かった!!!怖い思いをさせて、本当に、ごめん……!」


伯爵はジーナを、華奢な彼にしては強い、精一杯の力で抱きしめ、ぼろぼろと安堵の涙を流した。少し息苦しさを感じながら、慣れない温もりの中ジーナは、いえ、おかげで助かりました、と呟く。同時に、机の上にある、男爵がうずくまる際に落とした短剣(キンジャール)を伯爵の背に腕を回しながら拾い、立ち上がりそうな男爵に向けた時、


「イヴァン様!ご無事ですか!?全く、一人で行かれるなど、このような時に限って……!」


と、執事の声が階上から響き、伯爵が雇った兵士たちが階段から降りてきたのを見て、短剣を捨てた。

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