捕食者
※割と直接的な性描写があります
背中にあたる固く冷たい感触に、ジーナは目を覚ました。目に映るのは真っ暗闇で、何も見えない。風の音も人の足音もしない部屋の隅から、ギィギィと、刃物を研ぐ不気味な音だけが響いている。空気がとても冷えていたので、ジーナは、自分がいる場所は暖炉のない地下だと思った。息を吸うと、微かに、血の匂いがした。
ジーナは全身に力を入れてみて、まだ自分の四肢があることを確認する。だが、手足は何か金属で固定されているようで、動かすことが出来ない。
「ん?起きたかい?」
男の声が響く。ジーナを昏倒させ、ここに連れてきたのは、彼女の予想通りの人物のようだ。彼はまるで、眠りこけた少女を起こすような優しい声色で、話しかけてきた。彼の声がすると同時に、刃物を研ぐ音が止まった。
ジーナから少し離れた場所で、男は何かの刃を研いでいたようだ。
コツコツと、その男、男爵が近づいてくる、靴音がする。
(この足音、床は石だな。やっぱり、あの部屋か。)
ジーナは、男爵に気絶させられた後、件の地下の部屋に、自分は拘束されたのだと推察する。
ジーナの傍に来た男爵は手に燭台を持っていたので、暗い空間に彼の顔が浮かび上がった。
男爵は、いつもと同じ、気取った陽気な表情を浮かべている。伽藍堂の瞳は、ジーナを真っすぐ見下ろす。そして、蝋燭の灯りが反射し、男爵が手にもつ、両刃の鋭い短剣の切っ先が鈍く光るのが見えた。
男爵は、無反応のジーナの頬を撫でながら感心して呟く。
「君は強いね。みんな、剣や斧をちらつかせただけで、泣いてしまうのに。ああ、そんな君が、どう泣き喚くか…実に愉しみだ!イヴァンはまったく、目が高いな。エリクを先に…と思っていたけど、彼は従順で、もっと私を信じきってからの方が面白そうだから、君を先にしよう。」
ジーナをこれからいたぶる想像に浸り、短剣を回しながら弁舌を振るう男爵に、ジーナはいつもと変わらぬ冷たい視線を送りながら、抑揚のない声で、疑問を聞く。
「あの頭蓋骨や服は、彼らのものですか?何故、取って置いているのですか。」
「ああ…みんな、大切な思い出だからね。手に取るだけで思い出すよ、彼女や彼との甘い時間を。この部屋で見せた恐怖の表情と鳴き声をね。」
男爵はここで起きた惨劇を思い出しながら、うっとりと、甘い顔で微笑んで答える。機嫌がいいからか、これからもう日の目を見る予定のないジーナには何を話してもいいと思ったか、男爵はいつにも増して饒舌で、鼻歌まで歌っている。
ジーナには理解できない答えだった。
「何故、殺したのですか?」
ジーナは奇妙な男爵の様子を観察しながら、もう一つ分からないことを聞いた。貴族で、生活も不自由なく、友人や愛人に恵まれた男爵が、わざわざ危険を冒して殺人をする訳が、ジーナには全く想像がつかなかった。
一方、質問された男爵も首を傾げ、まるで考えたこともない、といった様子で数秒考え込んでから、口を開いた。
「何故……?なぜ………。そうだねえ……気持ちいいから、…だろうか?段々彼らの身体が冷たくなっていくのを感じるのも、最後の絶叫を聞くのも、友人や恋人を想う涙を見るのも、…最高に興奮するんだ!!やめてと泣いて懇願する子もいれば、最後まで抵抗して生に執着する子もいて……特に、若い子はいいよ、ドラマチックな反応をするからね。」
快楽を思い出して笑う男爵を見つめるジーナの目は、何の情動も映さない。彼女にはさっぱり男爵の気持ちは理解できなかった。ただ、男爵はただの猟奇的な趣味の人間だったのか、とだけ思った。
しかし、猟奇的な殺人鬼に、自分もこれからいたぶられ、殺されるという場面になっても、ジーナの心には不思議と恐怖が湧かなかった。
(男爵が身体を撫でてくるのは不快だが……どこかで予想していたからだろうか?しかし流石に腕を切り落とされたら、叫んでしまうかもしれないな)
貧しい階層の人間が突然不幸に見舞われるのは珍しい話でもない。昔、伯爵の先祖が領主の時、相次いで村の少女が消えた時期があったらしい。しかし、犯人は見つからず、狼の仕業ということにされた。農奴の命などそんなものだと、皆言っていた。それに、殺人鬼に会わなくても、飢え死にや流行り病で、人は簡単に死ぬ。ジーナも、村のはずれや、森の中に無残に転がる死体を見たことがある。いつか、自分もそんな目にあう想像はしていた。
だからこそ、豊かな生活のために、こんな危険の中に、自ら飛び込んだのだ。
(そうだ、こいつに殺されるのも、森で狼に襲われて死ぬのも変わらない。それに、黒死病になったわけじゃないから、まだこの男を殺して、生きて帰ることは出来るかもしれない)
ジーナは、男爵が手に握り、手首を回して振り回している短剣を盗み見ながら思う。伯爵に出会う前の生活も、今の窮地も変わらない。貧しい農民は常に、死と隣り合わせの生活をしているのだ。
「ふふ、怖いかい?……先に君も気持ちよくなりたいかな?」
黙り込むジーナを、男爵は恐れで何も口に出せないのだと思ったようだ。男爵は怪しい目つきでジーナを見つめながら、彼女の髪を梳くように撫で、耳元に囁く。舞踏会の夜、エリクと二人で個室で耽っていた行為を、今、ジーナともしようというわけだ。
ジーナは男爵の意図するところを理解していたが、何も答えず、抵抗もしない。このまま自分が犯されて殺されるのを傍観するつもりはないが、両腕は台の上に枷で固定され、両足には鉄球つきの鎖がつけられていて、身動きが取れない。
男爵に口付けして舌でも噛み切るか悩むジーナを傍目に、男爵は彼女のシャツの胸元をはだけさせ、あらわれた彼女の白い肌の上に軽くキンジャールの切っ先をかすめる。流れ出た赤い血を、男爵は舌で舐めとる。生ぬるい感触に、ジーナが眉をひそめた。男爵は低い声で、ジーナに目を細めて問いかける。
「どうしたい?切ってしまってから楽しむのもいいし…でも、止血がうまくいかないとそのまま死んでしまうからね…。」
どちらも断りたい選択肢を二つだけ提示されたジーナは男爵に、舞踏会の夜に見たエリクの真似をして、少し目を伏せて、すがるように頼んでみた。
「痛みを忘れられるように、先に快楽に溺れさせてください。」
(今この場で致命傷を与えられるよりは、少しでも時間稼ぎをしたい。)
ジーナはそう考えて、不快な行為を選んだ。助けは来るはずもなく、このまま逃げ出せなければ、ただ男爵に犯されるだけということになるが、ジーナはまだあきらめていない。
男爵はジーナの言葉を聞いて、満足げに笑った。
そして、ベルトを外し、ズボンのボタンを外して、ジーナの上に覆いかぶさった。