アマービレ
執事とジーナが廊下で話している頃、伯爵は美しい、天使のような少年と二人きりで、火のついていない暖炉の前で、語り合っていた。
二人でしたい話がある、とハヴルィーロが切り出したので、少し伯爵は身構えていたが、二人はしばらくは好きな作曲家のことなど、他愛のない音楽談義をしていた。美しく才に溢れるハルヴィーロが自分に想いを寄せていると思うほど伯爵は自惚れていなかったので、ハルヴィーロが二人でしたい話とは、家族のことや将来に関する相談事だろうかと予想していた。
「それで、その…お話したいことですが」
もう半刻は過ぎたかという頃、ハヴルィーロはあらためて伯爵の方へと向き直って、ようやく本題に入ろうとする。
「う、うん…」
伯爵は少し緊張した様子で身構えながら、少年の次の言葉を待った。
ハヴルィーロは、時計を見たり、燃えても居ない薪を見たり、伯爵の瞳を見つめたりと忙しなく視線をあちらこちらへ彷徨わせながら、歯切れの悪い様子で、切り出した。
「イヴァン様は…その…今は愛人は居ないと噂でお聞きしたのですが…。」
「ッ、ごほっ、ごほ………。す、すまない…」
思わぬ話題に、伯爵は口に含んでいた果実酒が気道に入り、せき込んでしまった。
(そんな噂の持ち主の指揮の下では、歌いたくないという話だろうか)
伯爵はハヴルィーロを愛人にしたいと思っているわけではないとはいえ、恐らく同性愛者でもなく、伯爵にもそういった意味では興味がないであろうということを考えると、たいそう気色の悪い話だろうと、伯爵は今に至って気が付き、不安に苛まれて頭を抱えた。
そんな伯爵の様子を気にする余裕もないハヴルィーロは、彼が本当に聞きたいことを口にする。
「あの小姓の彼女とは、どのような関係なのでしょうか?」
「え…」
また予想外のことを聞かれた伯爵は、ハヴルィーロの言葉を頭の中で繰り返したあと、
「ああ!」
と一人で合点してから小さく笑って、ハヴルィーロの瞳を見つめて、丁寧に説明した。
「ジーナは私の愛人ではないよ。彼女は城や私の仕事を手伝ってくれていて、優秀な小姓として…そして頼れる友人として、そばに居てもらっているんだ。私の恐怖症のせいで、あんな格好をさせてしまっているが、もうすぐ大人の女性だ。」
ジーナの名誉のために、誤解があってはいけないと、伯爵は言葉を選びながら、真剣な表情でハヴルィーロに語る。
「そうなのですか…」
対するハヴルィーロはそう漏らした後、安堵したような表情をしてから、何かを考えこんでしまった。
(もしかして、この子は…。ジーナのことが気になっているんだろうか?)
ハヴルィーロの心情はつゆ知らず、勘違いをした伯爵は、にこにこと穏やかな笑顔を浮かべながら、まったくお節介な提案をした。
「ジーナは歳の近い友人がほとんどいないから、私も二人が友人になったらどうかと思っていたんだ。今度ジーナに一日休暇をとってもらおうと思ってるんだけれど、君の都合が合えば、ジーナと一緒に出かけてあげてくれないかな。」
「!?」
今度は、ハヴルィーロがおどろく番だった。
「ぼく、私は別にその、ジーナ…様と懇意にしたいわけでは…。」
ハヴルィーロは焦った様子で訂正するが、伯爵から見ると、奥ゆかしい少年が照れているようにしか見えなかった。
「そうなのかい?ジーナは表情は乏しいけど、いつも冷静なだけで、思いやりがあって、たくましくて、いい子だよ。音楽は余り興味がないようだけれど…本は結構読んでいるし、植物や森に詳しくてね。君は都会育ちだろうから、森をジーナから案内してもらってはどうかと思っていたんだ。」
ハヴルィーロの話を聞いているのかいないのか、伯爵は一方的にジーナの魅力をハヴルィーロに語る。
「…。そうですね、今度…。」
伯爵の提案を無碍にもできないハヴルィーロはあいまいな返事をしながら、彼の望みと真逆の方向へ話が向かっていることを感じ取る。
(このままでは、ジーナ様と婚姻させられそうだ)
伯爵の勢いに押し流されないよう、ハヴルィーロは、思い切って自分の願いを口にした。
「でも、僕は…どうせならイヴァン様と森を歩きたい」
(ああ!言ってしまった‥‥)
思いのほか、大きく鼓動を刻む心臓を押さえながら、ハヴルィーロはおそるおそる伯爵の反応を待つ。
「私かい…?そうだな‥‥。そういうことなら‥‥‥‥。そうだ!今度、三人で森に行こうじゃないか!」
伯爵は、まったく裏のない、優しい笑顔を浮かべていた。




