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フォルテッシモ

「どうして長官がわたしのようなものに招待を…」


伯爵はここ数日ずっと、望まぬ招待状のせいで、陰鬱な気分を抱えていた。生来、社交が得意ではない伯爵にとって、帝国の貴族たちが大勢集まる舞踏会に行くなど、うじゃうじゃとムカデや蠍が蠢く瓶に入れられるようなことだったが、国家の頭首の誘いともあれば、断るわけにもいかなかった。長官が伯爵を招いている舞踏会は半年も先の話なのだが、悩む時間があればあるほど、伯爵は憂鬱な気持ちになっていった。


「イヴァン様の名声がお頭の耳にまで入ったのですよ。大変光栄ではありませんか。イヴァン様のつつましい努力が報われたようで、私はたいへん感激しております。」


寝台の上で布団にくるまり、ぶつぶつと呟いている主を鼓舞するため、傍で老執事が伯爵を励ます言葉をかけていた。かつては誇り高きコザークの兵士であった老執事にとって、長官は、コザークの自治を奪った女帝が送り込んだ帝国の手先ではあったが、それでも執事は今の主が正当な評価を得たことに感動し、目に薄い膜を張り、感じ入っていた。


一方ジーナは、主従の寸劇をよそに部屋の片づけや掃除をすすめ、温かい果実酒を、とぽとぽとテーブルの上に置いたカップに注いでいた。外では雪がしんしんと降り始めている。


その時、扉を叩く音がした。執事が中に入れと返事をすると、使用人の青年がドアの隙間から顔をのぞかせた。彼は伯爵に問いかけた。


「伯爵様、ハヴルィーロという、聖歌隊の青年が、城門の前に来ています。中に招き入れても問題ございませんか?」


「ハヴルィーロ…。ああ、そうだ、楽譜の解釈について話し合おうと、この間の練習で言っていたんだった。」


伯爵も、布団の中から顔をのぞかせて答えた。伯爵の目の下には、寝不足でくまができている。ここしばらくはすっかり消えていたのにな、と、ジーナは少しばかり主に同情した。


「追い返すのも悪いから……通してくれ、」


伯爵は布団の中からなんとか這い出て、客人に会う身支度を始めた。ジーナは伯爵の上着を衣装箪笥から出し、伯爵の肩に着せる。執事はその光景を見つめて、緩やかな表情を浮かべていた。




「イヴァン様、城にお招きいただきありがとうございます。」


「とんでもない、君の方こそ、わざわざ来てくれてありがとう。」


伯爵に恭しくお辞儀をするハヴルィーロは、薄紅色の薔薇の刺繍がほどこされた、黄緑色の上着を羽織っていた。ふわふわとした金髪は、リボンに結ばれることもなく、短く切られていた。

伯爵は黒い色の上着を羽織っていて、二人が並ぶと天使と死神のようだ、と、無礼な感想がジーナの頭の中に浮かんだ。


伯爵はハヴルィーロを客間に通し、ジーナと執事は二人に果実酒や茶菓子を用意した。執事が手を動かす必要はないとジーナは伝えたが、執事は自分も手伝うと頑なだった。どうやらハヴルィーロを伯爵のあらたな愛人候補として警戒しているようだ。


当のハヴルィーロは、来てからずっと、熱心に伯爵を見つめている。男爵を見るエリクの表情に似ている、とジーナは思った。


伯爵とハヴルィーロは、肘掛け椅子に座って向き合いながら、他愛のない世間話や、音楽、降誕祭の合唱や指揮の方法について話した。そして、時計の針が一周を過ぎた頃、ハヴルィーロはまじめな顔をして、伯爵に頼んだ。


「その…二人でお話ししたいことがありまして」


伯爵はとくに何も疑問に思わず、ハヴルィーロの頼みを了承した。彼は頷くと、ジーナと執事に向かって聞いた。


「すまない、二人も席を外してくれるかな」


「かしこまりました。」


ハヴルィーロも貴族で、ジーナや執事より上の身分だ。そのうえ主の命令もあれば、二人に断ることは出来ない。ジーナと執事は主に頷き、春色に身を包んだ天使と、げっそりとした幽霊伯爵を部屋に残して、扉の外に出た。

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