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夢見る乙女

婚礼の2週間前、レーシャは家から離れた、森の中にある男爵の館に引っ越すことになった。父親に縁談を断らせることに失敗し、引っ越しの話を聞いたレーシャは、馬車で連れて行かれる時に身投げしてやろうかとすら、うっすら考えていた。

まだ十八のレーシャは、恋や結婚というものに幻想を抱いていて、幾多の未来の可能性…いつか東や西の都に行き、そこで出会う紳士が、彼女を知らぬ世界に連れて行ってくれることを、毎夜夢見ていた。 

それが、現実でレーシャを見初めたのは、人殺しと噂される男だとは!彼女は何日も枕を濡らした。

夜の暗闇に包まれるたび、レーシャの心の中で、未来への恐怖が湧き上がった。


舞踏会で遠目に見た時、男爵は確かに整った顔立ちに見えたが、彼は妻を三人、それに愛人も殺したかもしれない男だ。それに、新しい愛人の少年もいるという。自分は彼の屋敷で、一体何日生きられるのだろうか?

まだ帝国で一番美しいという宮殿も、別世界のようだという東や南の皇帝が治める大国も見ていないのに、恋もしたことがないのに、短い生涯を終えるのだろうか。親しい友人たちとも、幼い頃から飼っている愛犬とも、いつも彼女を揶揄うが、心やさしい幼馴染とも会えなくなるのだ。

趣味として始め、その上達ぶりを姉たちに褒められたレースの刺繍だって、まだまだ作りたい作品があった。いつかは自分で刺繍したレースを売ることも、ほんの少し夢見ていたというのに。


閉ざされた未来と、愛しい人々を想って、レーシャはとても悲しくなった。しかし、何度レーシャが求婚を断るよう懇願しても、父親は結婚はお前のためだと言い、聞き入れることはなかった。再三説得に失敗したレーシャは、父にとっては自分も商品のひとつに過ぎず、その上傷ついてしまってもいい商品なのだと実感し、運命の女神(ドーリャ)に抗うことを諦めた。




男爵が彼女を迎えに来る頃、何日も泣いたレーシャの目はすっかり赤くなってしまっていた。レーシャは母親に言われた通り、家にある一番高価なドレスに身を通し、男爵と対面した。


初めて間近で見た男爵は、存外白馬に乗ったツァーリのように威厳と麗しさを持ち合わせていたので、幾分それで気が晴れた。レーシャは地獄への道案内だと思って男爵の馬車に乗ったが、彼と談笑しているうちに、森の中の館についてしまった。屋敷は生い茂るアカマツの森で外の世界から隔てられていたが、華やかで繊細な装飾が施された屋敷は、まるで小さな宮殿のようだった。男爵の美しい小姓もまた、レーシャの不安を裏切り、彼女を丁重に、男爵の妻として扱った。


予想を裏切るきらきらとした夫とその周囲に、レーシャは思わず、能天気なことを考えてしまった。


(男爵がこんなに素敵な殿方だったなんて。まるで夢見た物語の中のツァーリのよう。エリクもいい子そうだし、愛人と言われているけれど、兄弟のような関係なのかしら。)


(いえ、本当に愛人だとしても、夫が愛人を持つことはよくあるし、知らないところで浮気をされて、泥棒女に偉そうにされるよりマシだわ。)


裕福とはいえ平民のレーシャにとっては、その日までずっと彼女を悩ませていた男爵の真っ黒な噂を忘れてしまうほど、思わず浮き足立ってしまうほど、新しい夫も、新しい家も眩しく見えたのだ。


しかし誰が、男爵に惹かれたレーシャのことを、世間知らずの愚かな小娘だと責められるだろうか?

どれ程疑わしい事実があったとしても、貴族も平民も、誰もが彼の虜なのだ。


「私はもとより男爵と彼が妻として私を尊重してさえくれるなら、美しい小姓と男爵の関係は気にしておりませんでした。その方が、男性に不慣れな私としても気楽だと思ったのです。実際、男爵は愉快な人で、色々な話で私を楽しませてくれました。」

「私は、彼の家で亡くなった人々のことなど忘れ、彼との結婚生活に希望を抱き始めていました。」


滔々と語るレーシャの話を、伯爵は真剣な面持ちで聞き入っていた。ジーナは、全くレーシャの感情の変化のわけが理解できず、すこし眠たくなっていたが、この後の話が肝心だと、ウォッカを飲んで目を覚ました。


「けれど…」


しかし、男爵のもとを逃げ出したわけを話す前に、レーシャは表情を曇らせ、毛布をぎゅっと掴み、口をつぐんでしまった。何かを思い出して、恐ろしさに、声が出せなくなってしまったようだ。

彼女の目じりには、涙の粒が浮かんでいるように見える。


伯爵はレーシャを気遣い、無理に話さなくていいと言いたかった。しかしどうしてもエリクの身の安全が気になってしまい、何も声をかけられないまま、黙り込んでしまう。一方のジーナも無言で、レーシャの次の言葉を待っている。静かな部屋の中で、時計の針がチクタクと時を刻む音だけが響く。


「いえ…伯爵様に、お話しなくては。」


深く息を吸って吐いたあと、レーシャは決心したように顔を上げ、すこし震える声で、事のいきさつをまた話し始めた。


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