姉妹は抗う
左半身を前に出し腰だめに構えた剣を後ろに向け、地面を蹴って身体を捻りながら一気に距離を詰め横薙ぎの一撃を振るう。
全力で力を込めた一撃にプラーナすら上乗せさせた致命の一撃、例え大の大人だろうとまともに受ければ衝撃で怯むほどの一撃。にも関わらず黒騎士はその大剣を振るい、いとも簡単に受け止め鍔ぜりあう。
「軽く受け止められるとか勘弁してよ!」
決まるとは思っていなかったが余りの地力の差に思わず悪態つく、力ではかなわないと冷や汗を流すと黒騎士から黒い瘴気のようなもの噴き出す。瞬間的に感じた嫌な予感に従い全力で後ろに飛び退くと数瞬前に自分のいた足元から瘴気の槍が数本地面から突き出される。
「騎士剣術?にしては気持ち悪いプラーナね」
実際に騎士剣術にあの技が無いわけではない、プラーナの扱いにさえたけていればそれのみで攻撃することだって出来なくはない、出来なくは無いのだ。そんなプラーナ単体で攻撃する様な真似、普通なら練り上げた瞬間に干上がるレベル。にも拘わらず目の前の黒騎士はプラーナらしきものを溢れさせいとも容易く行った。
正直まともに相手して勝てる相手じゃないなって後悔と焦燥が浮かぶ。
それでも再度地面を蹴って肉薄する。正面から接近する私に黒騎士が真っ二つにするかのように剣を振るえば地面を穿ち、避けた筈の私に幾つも破片は刺さる。
「おおおぉ!らあ!!」
それでも痛みに歯を食いしばりながら剣を振るう。幾度切りかかっても、プラーナの斬撃を飛ばしてもそれが黒騎士の鎧に届くことは無い。
黒騎士が剣を振るえば斬撃が飛んできて、突然足元から瘴気の槍が突き出す。
必死に避ける私の身体には避けきれずについた幾つもの傷跡が出来、流れる血の所為で身体がどんどん重く感じてくる。
何とか距離をとって荒くなった息を整え、勝利への突破口を模索する。
「力押しは無理、まともにやりあっても勝てる感じはしない、か」
力量差は明白、勝てるビジョンは浮かばず心が折れそうになる。
「だからって負けるわけにはいかないよね」
折れそうになる心を叱責し無理やり笑みを作って虚勢を張る。胸中にあるのは死にたくないという恐怖と大事な妹の事のみ。
未だ黒騎士は追撃に走ることもなく、構えを解くと一歩一歩踏みしめるようにこちらに向かうその姿がまるでこちらの事なんか眼中に無いとでもいうように思えつつ、少しの怒りが沸く。
頭の中でどう動くが考えると師匠に言われた言葉が反芻する、『お前は素直すぎる』『衝撃を伝導さして臓器を壊す』。
これならと考えを纏まわせ集中するために深く息を吐いて限界の近い身体に鞭を打ってプラーナを練り上げ、大上段に構えた剣を振り下ろし更に横に振るい地面を削りながら十字に斬撃を飛ばす。
それを黒騎士は瘴気を噴き出しながら眼前で切り裂くが私の姿はそこにはない、直後に斬撃を隠れ蓑にして左側面に回り込んだ私は片手で握った剣を少し息を漏らしながら全力で振り下ろす、も黒騎士は振り下ろした手を返し私の剣を受け止める。
瞬間剣に掛かった衝撃をプラーナに乗せ相手に伝導させ、相手の臓器に衝撃をぶつける。
「っつ!ああああああ!!」
全身の体重をかけさらにプラーナの込めた剣を叩きつけ更にダメージを与える。
「どうっ!だあぁ!!」
黒騎士の体勢が少し崩れた隙をついて黒騎士の大剣を弾いて、その空いた胴体に剣を突き立てる。
「おおぉ!らっあぁ!」
「はっはっは...っつふぅ~」
心臓を貫かれて動きを止めた黒騎士を一瞥して、プラーナの使い過ぎでふらつく身体を抑えながら血のついてない剣を乱暴に鞘に納めてこちらを心配そうに眺める三人に向かって笑顔で手を振る。
「なんだ、私強いじゃん」
勝った事への安堵と高揚感で思考が鈍りながら皆の元へ歩こうとすると三人が血相を変えて。
「エスト!!後ろ!!」
「え?」
咄嗟に振り返りながら剣を抜いて盾にしたのは偶然だった。気づいたら全身を吹き飛ばされ、階段に叩きつけられる。
「ぐっ...ごはぁ!」
叩き付けられた衝撃で骨が幾つも折れ、こみあげた衝撃が口から血反吐となって噴き出す。瞬間全身を狂いそうな激痛が襲い一瞬失神しかけた意識が叩き起こされる。
赤く滲む視界の先では、折れた剣と胸を刺された筈の黒騎士が、輪郭がおぼろげな程の濃密な瘴気を纏わせ剣を振り抜いた体勢で立っていた。
激痛と混乱で思考が混乱する中、どこか頭の片隅で冷静に。
(ああ、やっちゃったな。師匠にも気を抜くなって注意されたのに...ごめんね、クロエ。約束守れないや)
胸中にあるのは諦念、後悔、罪悪感。
(いやだ。いやだいやだいやだ、死にたくない!死にたくない!!まだやりたいことだって沢山あるしまだ死にたくない!クロエと約束したじゃないか!絶対に死にたくない!)
次に湧き上がるのは激しい生への渇望。
指先一つ動かない中殺意をむき出しにこちらへ近づく黒騎士を歯を食いしばり睨みつけると。
突然目の前に轟音と衝撃をあげながら何かが落ちてきた。
目を瞬かせ、土埃が晴れるとそこには粉々に砕け散った石棺と中に入ってたのだろう干からびた死体に鎖を巻き付けた漆黒の剣が転がっており、その先では右腕をひしゃげさせながら膝立になる黒騎士の姿が。
「うおおお!!俺が相手だぁ!!」
(息子君?)
「傷つきし彼の者に慈愛の手を。【ファストヒール】」
息子君が雄たけびを上げながら黒騎士の前に立ちふさがる、頭の上から鈴を鳴らしたような声が聞こえると身体が暖かい光に包まれ痛みが少し引いていく。なんとか動くようになった頭をぎこちなく痛みに耐えながら起こすと。
「お姉ちゃん!!生きてる!?お姉ちゃん!」
「エスト!エストぉ!」
クロエと幼馴染ちゃんが大粒の涙を流しながら私を見下ろす。
「なん...とか...」
息も絶え絶えに何とか言葉を紡ぐと二人は目に見えて安堵する、しかし二人の表情は晴れない。
治癒魔術とて万能ではない、魔力の消費は激しいし折れた骨や流れた血なんかは戻らない。それでも折れた肋骨や左腕の痛みに顔を顰めつつ何とか二人に笑いかける。
「うっぐああぁ!」
時間を稼いでくれていた息子君が黒騎士の左手に殴られて派手に吹き飛ぶ、彼はもう限界の様で立ち上がれずにいる。
黒騎士はこちらに向き直るとまたゆっくりと近づいてくる。
「エストぉ、クロエぇ...」
「………」
幼馴染ちゃんが腰を抜かし股を濡らす、クロエは無言で涙を払って立ち上がり私に背を向け歩き出す。
「まっ、ゴフッ...クロエ...」
歩き出すクロエの、初めてみる表情に私は不安がよぎり声を掛けようとするも絡まった血反吐と掠れた声しか出なくて、地面に倒れこみながら右手を伸ばしてその背中が遠ざかるのを視線で追い縋った。
◇◇◇◇
いやに冷めた頭の中で色んな感情が渦巻く。お姉ちゃんを失う事への恐怖に絶望、黒騎士に対する怒りと殺意。そして何もできなかった自分への殺意と後悔。
あの地獄を味わってさんざん後悔した筈だった、二度と大事な存在を理不尽に奪われまいと力を身に付けた筈だった。筈だったんだ!
それなのにあの時必死に恐怖を押し隠しながら笑ったお姉ちゃんの後を追えなかった。自分たちの命まで投げ打って私を逃がしてくれた両親と同じ笑顔を浮かべるお姉ちゃんを、あの時と同じように何もできずに見送った。
お姉ちゃんが階段に叩き付けられた時直ぐに立ち上がれなかった。息子君が石棺を落とそうと言いだすまで立ち上がれなかった。
何も変わらない、臆病で弱虫で最後まで抗えない卑怯者だ、弱い自分に怒りが込もって噛み締めた奥歯が割れる。
結局あの日から何も変わっていない、どれだけ平和な日々の中で怒りを燃やそうと力を蓄えようと肝心な時に立ち上がれないので全く意味がないじゃないか!
大事な人の為に自分の命を捨てて抗う勇気が欲しかった、大事な人を守れる強さが欲しかった。そしてそれは力を手にすればそれは必然と身に付くものだと思っていた。
でも違った。私は弱いままだ、どこまでも弱くて情けなくて、誰かに守られるしか無くて。そんな自分が情けなくて恥ずかしくて、殺したいほど恐ろしくて目を逸らしていた。
でも今は違う。必死に敵に立ち向かって傷ついて、私達を守ろうとして死にかけたお姉ちゃんを目にしたときに頭の中で何かが壊れた。
弱くても良い。情けなくても良い。無様に這いつくばっても良い。死んだって良い。
それでも!何もしないで死なせるよりはマシだ。
抗って抗って、息絶えるその時まで大事な人を守って死ねるならまだマシだ。
覚悟は決まった。もう逃げない。迷わない。大事な人守るため、未来へ生きる為に私は戦う。
深く息を吐いて眼前の怨敵を睨みつける。
右腕はひしゃげ左腕もボロボロで剣をろくに握れてはいない、それに傷だらけの身体を溢れる真っ黒な瘴気で包んで無理やり動かしてるようですらある。もはやあれは人ではないだろう。
私は両手の平を黒騎士に向け全力で魔力を込めながら詠唱を紡ぐ。
「我はあらゆる穢れを払うもの、現世に縛られし魂を正すもの、迷える魂よ正しき輪廻へと帰り給え、神威を呑め!【セイクリッド!】」
手のひらに幾何学模様の魔術方陣が顕現し、そこから目を開けていられない程の光の激流が黒騎士に襲い掛かる。
その場に居るもの全員が強烈すぎる光に耐え切れず目を覆い隠す。
光が止み、黒騎士はどうなったかと目を薄らと開ければ。
「嘘......」
誰がこぼした言葉だろうか、そこには剣を支えにし薄らと瘴気を纏わせながら耐える黒騎士の姿が。
自身の魔力の全てを注いで打ち込んだ【退魔魔術】、魔力が枯渇した所為で襲い掛かる鈍い頭痛と吐き気すら伴う倦怠感で意識を保つのが精一杯の私は一歩も動くことが出来ない。
後ずさることもできず座り込んでしまった私に、黒騎士は近づいてきてその左手の剣を高く掲げる。
後悔が胸中を満たす。力及ばず勝てなかった失意に襲われ、脳裏には愛しい人と自らの命すら投げ打って救ってくれた両親の顔が浮かぶ。
(お父さんお母さん、お姉ちゃんごめんなさい。でも最後の最後に弱い私には勝ったから許してね)
振り下ろされる剣を前に目から涙を流しながら目を閉じその時を待つ。
来る筈の衝撃の代わりに、強烈な金属と金属がぶつかる耳障りな音が伝わり目を開ける。
「なん...で...」
涙が溢れる。どこまで私に惚れさせるんだと声にならない声が漏れる。
いつもその背中を見ていた。誰かの為に必死に努力するその姿がとても好きだった。夢を語るその煌めく瞳が好きだった。一生懸命背伸びをしてるけど、ボロが出た時ににへらと笑うその可愛らしい笑顔が好きだった。存在全てが好きだった。
まるで暖炉に溶岩を注ぎ込むかのように、好きという気持ちでは表せられない程の気持ちが胸中を満たす。
だからだろうか、自然とその口から出る最愛の人の名前
「エストお姉ちゃんっっ!!!」
つい先ほど立つこともできない程の重傷を負っていた筈のその人は私の呼びかけに、振り返りながら笑う。
「ありがとう、クロエ。もうお姉ちゃんに任せて大丈夫だよ」
虚勢でもない、安心させる嘘でもない。おやすみなさいとでも言うように穏やかにそう告げると、お姉ちゃんは漆黒の剣を構えて眼前の黒騎士を睨みつける。
「私は私の大事な人の為に戦う、だから。それを邪魔する貴方は絶対に殺す」
そう言ってお姉ちゃんは弾丸のように飛び出して黒騎士に肉薄する、満身創痍の黒騎士は最後の力を振り絞るかのように剣を振り下ろす。
お姉ちゃんはそれを下からすくい上げ黒騎士の剣を吹き飛ばす、頭上に剣を向けたまま可視化できるほどのプラーナの練り上げ。
「いい加減!!死!!ねええええええええええ!!」
空間が震える程の衝撃と轟音を上げながらプラーナの斬撃を放ち黒騎士を跡形も無く消し飛ばす。
それを見届けたお姉ちゃんはこちらに振り返るとニッっと笑って糸が切れた人形の様に倒れこむ。
「え!?ちょっ!お姉ちゃん!?」
慌ててふらつきながら駆け寄ると穏やかな寝息を立てて寝ているじゃないか。
「っもう。しょうがない人なんだから」
呆れたようなため息が漏れるけど、その余りに穏やかに眠る顔を見てるとどうでもよくなってしまう。
「ありがとうはこっちだよ、お姉ちゃん。...大好き」
決してまだ本人には言えないこの言葉。溢れる愛を噛み締めながらよく眠れるように、と彼女の頭を梳くように撫でる。