プロローグ
「それじゃあ、母さん。また明日来るから。」
「えぇ、ありがとう。」
微笑んだ母親に笑みを返して、白いカーテンを引く。
部屋の中を見回すとどのカーテンも閉じられていて、その中をなるべく静かに歩いてドアを開けた。
ふう……
無意識にため息が出て体の緊張が解ける。
特に意識していないつもりでも病室というのは緊張するらしく、毎回扉を閉めては肩が重いと感じる日々だった。
僕がここに来るようになってから早一週間。
突然体調を崩して入院した母親の見舞いに病院に足を運ぶ毎日だ。
父は単身赴任で海外だし、僕は一人っ子。
長い間ずっと面倒を見てもらってきた身だ。
これくらいで恩返しができるなんて思わないけれど、やらないよりはずっといい。
そういうわけで、最近の僕は家、学校、病院を行ったり来たりしていた。
始めは右も左も分からなかった家事も、最近では少しずつできるようになってきた……はずだ。
不慣れな家事をする度に、母さんは仕事をしながらこんな大変なこともしていたのかと、尊敬の念ばかりが押し寄せてくる。
退院してからも少しずつ手伝おう。
入院の原因が過労だと聞いていたから、というわけではないが、僕は密かにそう決意していた。
「さて、帰る前に買い物しなくちゃ……。」
小さく独り言を呟きながら、廊下を歩いてエレベーターを目指す。
窓から西日が差し込んできていた。
最近は暗くなるのが早い。
肌寒くなってきているし、秋が近くなってきているようだ。
明日、母さんに暖かそうな服を届けてあげよう。
「早く帰って洗濯物取り入れ……」
忘れないように自分に言い聞かせるつもりで呟いて、言葉が途切れた。
動かしかけた足も同時に止まる。
窓から、別の病室の窓が見えた。
その窓は開け放たれているようで、真っ白のカーテンが外に出て揺れている。
けれど、僕の視線の先に映っているのは、白いカーテンではなく……そのカーテンの隙間から微かに見える影だった。
遠くからだとはっきりとは分からないが、肩にかかるくらいだと予想できる黒髪に、カーテンと同じ真っ白の洋服。
真っ白の中で微笑むその影は、まるで“天使”のようだった。