側妃と宝石商
とってもお久しぶりです。
かなり想像力を使っていただかないといけないかもしれません……。
加えて短めなのですが、よろしければどうぞ。
彼女が欲しかった。
彼女が愛するごとく、彼女を愛したかった。
だから、分からないなりに、不器用なりに、愛を伝えていた。
穏やかで、暖かな愛を。
……伝わっていた、はずだった。
その部屋は、不自然なほどに簡素だった。
柱や壁、窓枠の装飾は美しいのに、調度品はそろってシンプルな作りで、その数も少ない。
しかし、見る目の確かな人が見れば、話は違う。
簡素すぎる風景の中でも、それらが決して貧相に見えないのは、その品々の質が極めて良いものだからだ。
無駄に派手な装飾を省いた代わりに施された、ささやかながら上品な細工は、部屋の主の気質を真に表している。
中央に置かれた丸テーブルには、美しい宝石がいくつも並んでいた。
その全てがサファイアを多く用いた宝飾品。
それらは窓から差し込む白い光に照らされ、深い色合いを誇り高く主張する。
その様に魅入られる女は気づいていない様子だが、彼女の背後には、サファイアが反射した光が薄青に染められて、淡く壁を彩っていた。
「フィリーネ」
男は言った。
半分だけ開け放たれた扉にもたれ、申し訳程度にノックする。
「まあ、陛下」
女――フィリーネは声だけで驚き、ゆったりと立ち上がった。
手に持っていたひとつを丁寧にテーブルの上に置くと、柔らかく裾を揺らし、頭を垂れる。
と同時に、長く艶やかな黒髪が、髪飾りと共に揺れた。
「お帰りなさいませ。丁度、陛下からの贈り物を見ていたところですの」
「気に入ったか?」
サファイアに目を向け、うっとりと見惚れる彼女に、王――フレデリックはほっとしたようだった。
優しいブラウンの髪がさらりと揺れる。
グリーンの瞳が柔和に輝き、軽やかに一歩踏み出した。
「もちろんですわ。とても綺麗なブルーで、まるで海を閉じ込めたみたい」
「それは良かった。君の瞳の色だ。最も美しいものを、と頼んでおいた」
フィリーネを背後から包み込むように抱き寄せると、指で愛しげに頬を撫でた。
フィリーネはくすぐったそうに肩を竦め、クスクスと笑った。
「ええ、とても嬉しいですわ。ありがとうございます、陛下」
「気に入ったならそれでいい。……サイ、今回も良い品だな。これからもよろしく頼む」
「勿体ないお言葉にございます」
その場に跪き、頭を垂れた男――サイは、プレンダーガスト王家お抱えの宝石商であった。
今は見えないが、今まさに目の前で揺れている髪の色と同じ暗青色の瞳は鋭く、それだけを見ると、まるで狼のようだと、城に勤める侍女たちのもっぱらの噂である。
少々遠巻きにされているようだが、どこか憂いを帯びた背中に、慰めたいと思う女性もいるとか、いないとか。
基本的に無口で無愛想な男だが、反面、案外お人好しで、時折厄介事を持ち込まれては頭を抱えているらしい。
そんな面も、侍女たちの気を惹いているのだ。
最も、彼自身はそんな彼女たちの視線に気づいている様子は全くないのだが。
一方、フレデリック王の容貌は至って平凡なものであった。
おとぎ話のような、清廉な金髪碧眼の美男子ではない。
平凡な茶髪と、明るい緑眼。
しかし、後者だけは、本人にとって、多少の自信になっていた。
敬愛する母と同じ色だからだ。
さらに言うなら、人よりも幾分か白い肌も母譲りであったが、これだけは「なよなよしているように見えて嫌だ」と、度々周囲に漏らしている。
そんなフレデリックであったが、民を思い、善政を敷く穏やかな王は、確かに人々に慕われていた。
「いいえ、その、陛下……」
今までにこやかであったはずのフィリーネが言葉を詰まらせた。
美しい顔が曇り、その視線は一瞬だけ宝石商に向かって、フレデリックへと戻った。
「わたくし、これまでも陛下にたくさんの贈り物をいただいておりますわ。とても嬉しく思います。ですが、わたくしは側妃なのです。こんなに目をかけていただくなんて、恐れ多いことですわ。ですから、陛下。どうか、こんな平民上がりの女などには――」
「フィリーネ」
鋭い声が遮った。
ピクリとフィリーネの肩が震える。
それを宥めるように肩を撫でると、ゆるゆると力が抜ける。
「……すまない、驚かせた」
フィリーネはゆるりと首を振る。
一瞬走った亀裂は、今はもう跡形もない。
フィリーネがそろりとフレデリックを見上げると、彼は、なんとも言えない、悲しそうな顔をしていた。
「ただ、私が送りたかっただけだ。心配しなくとも、宝石のひとつやふたつで私や民が困るようなことは起きない。……君の弟君についても、同じことだ」
はい、と答えた女の声は、細く、かき消えてしまいそうだった。
王は彼女をその腕に抱き、じっとなにかを見つめていた。
宝石商は、ただ、頭を垂れるのみ。
彼女が欲しかった。
どんな手を使ってでも……なんて、卑劣なことは、ひとつも考えていないはずだった。
はず……だったのだ。
だが、私は自分で思う以上に、下等で、下劣な人間だったらしい。
手に入るかもしれないと分かった時の高揚感。
それと同時に湧き上がった絶望感。
どちらもを無視して、ひたすらに、機械のごとく、交渉という名の命令を下し、そして、そのまま、手に入れた。
……本当にそうだったら、どれほど幸せなことか。
男は問うた。
「なぜ逃げない」
彼女は答えない。
「君は今でも自由だ。あの方は、君がなにをしても許すだろう。それとも、家族に迷惑がかかるとでも? 君は彼がそんな人だと思うのか。そもそも、そんな事態には俺がさせない。全て守ってみせる。だから、」
「いいえ」
女は答えた。
「逃げたりなんか、しないわ」
女は微笑んだ。
穏やかな笑みだった。
「殺されるかもしれないとか、弟のためとか、家族のためとか……関係ないのよ」
「……どういう、ことだ?」
女は微笑んだ。
少女のような笑みだった。
そう、まるで、恋する少女のような。
あと三話分ほどのプロットを考えてあります。
もしかしたら続くかもしれません。