パイロットインク
第一章 パイロットインク
事の始まりは机上のインク瓶をこぼされたことだった。そもそも同じ部屋に「あいつ」を置いておいたのが間違いだった。僕は締め切りに追われ、急いで執筆に勤しんでいた。僕は昔かたぎの人間だからワープロは使わない。インクに付けペンを浸して書く昔ながらのスタイルに固執していた。
あいつはヒコーキの玩具を片手で持ってブーンとエンジンの音を口まねながら虚空の空に玩具をヒラヒラとさせてヒコーキの飛ぶ真似を嬌声をあげながら再現して遊んでいた。そんな時だった、あいつがガツーンと僕に当たった。その拍子にインク瓶をペンでひっかけて倒した。インクはドボドボとヘドロのように机上を流れ、みるみるうちに草稿を侵食していった。
僕は即座に振り向き、「コラッ!」と一喝し鋭い眼光であいつを見た。
あいつはポカンとした面で僕を見ていた。僕はそれを何故か馬鹿にされているように感じた。ここから僕の鬼の奇行が始まる。
「なんだその目は!俺のことを馬鹿にしているのか!」
それからあいつの頬をつまんで、「この垂れた頬が気に入らない」とも付け加え、あいつの前に立つと、インクの着いたままの手で右の頬から思い切り平手打ちを加えた。あいつはワッと泣き出した。それにも怯まず今度は左頬を平手打ちした。頬にはインクによって僕の手形がついた。
「いたーい!」
舌っ足らずの口で時折むせながら泣き叫ぶあいつの口を僕はとっさにふさいだ。先の大作の印税と原稿料によって得た中の中ランクの仕事部屋のアパートだ。壁は薄いから隣り近所に虐待と思われては堪らない。児童相談所に通告されたらたちまちあいつを取り上げられる。僕の「趣味」の邪魔をされてたまるか。