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九話

無事にミッションを終えて帰社すると、そのまま少し事務処理をしてから帰ることが許された。

帰りがけに神木に渡された小さな紙袋の中身は、今日自分が朝一で買ってきた有名洋菓子店のそれであった。


「これは・・」

「今日一日外回りご苦労様。こうやって外回りの人たちは分刻みで動いて仕事を取ってきてくれるので、私たちはスムーズに動けるように補佐する必要があります。それを研修する目的の業務内容でした」


鈴が目をぱちくりさせている間に、淡々と神木は続ける。


「今日の外回りの研修では、日和さんは大変な思いをしたでしょう。それ以上に外回りは必死に足を動かしてくれています。私たちも頑張って彼らの補佐をしていきましょう」

「・・はい!明日からもよろしくお願いします!」


ぺこりと頭を下げると鈴はタイムカードを押して帰って行った。その後ろ姿を見送った事務所は、ワッと再び盛り上がる。


「すげー、超けなげじゃん」

「神木さん珍しく長文しゃべってたなー、あの顔見ればそうもなるか」

「うん・・日和さん、あともう少しだから頑張ってほしい・・」


そこで神木がパンパンと手を鳴らした。


「さ、配当金の時間ですよー」


美味しい思いをした三人は、上機嫌にその日の業務を仕上げていった。






***







翌日からも鈴は、毎日早めに会社に行くことを続けた。毎朝必ず舞原に会うのが楽しみになっていた。

あまり多くは話してもらえないが、挨拶を交わすだけで会社の人間になれた気がするからだ。それに最近は舞原が窓辺を、鈴がフロアの仕事を無意識に分担してやるようになってきた。どちらともなく始まったその分担は、より鈴が会社の、舞原の役に立てているという自信につながった。

そして運命の金曜日が終わった。


「日和さん、この後時間あるかしら」

「あ、はい。何ですか?」


鈴が帰り支度を始めると、今日は珍しく事務メンバーが全員帰り支度を始めている。わざわざ神木に呼び止められるなんて、洋菓子をもらった時以来2度目である。やや緊張しながら神木の様子を見てみると、頬がほんのり赤い気がした。


「えーと、19時に駅前に来てもらえないかしら」

「えっ?駅前ですか・・それは個人的なことでしょうか、それとも会社のことでしょうか」

「もちろん個人的に、よ」


鈴の背筋に冷たいものが流れた。まさか、いやそんなばかな、この1週間全力で仕事をこなしてきた自信が鈴にはあった。あったにもかかわらず、個人的な上司からの話と言えば・・もうあの話しかないだろう。絶望的な顔をしながら鈴は「分かりました」と一言つぶやいて自宅へ帰って行った。


「・・ちょ、神木さん。あれ日和さん勘違いしてんじゃないっすか?」

「おーい。今廊下で日和とすれ違ったけど、何かあったのか?死にそうな顔してたけど」

「神木さん・・もうちょっと楽しそうに言えばいいのに・・」


事務所内のブーイングに神木は顔色を赤くしたり青くしたり、忙しそうにしていた。それもそのはずだ、打ち上げの話を伝えただけなのに仲間内から大ブーイング。神木が次の言葉を言おうとしたとき、ドアが開いた。


「なになにー、楽しそうなことしようとしてるー?僕も混ぜてよ」

「社長ッ」


フフ、と笑顔で入ってきたのは一樹であった。このタイミングでなぜ、というのはこの際愚問であろう。ニコニコしながら社員一人一人の顔を見て回ると、わざとらしく言うのだった。


「分かったー、今日で一週間終わったからみんなで歓迎会行くつもりだね?」

「そうなんすよ。珍しく研修仕上がったんで19時に駅前で集合するつもりですよ。社長も暇ならどうぞ」


氷上が言うが、皆思うことは同じであった。社長は忙しいから来ないだろう、というそれだけだ。


「じゃ、行こうかな」

「えっ社長!?」

くすのき、この後の予定詰めといて。僕19時から歓迎会行ってくるから」

「かしこまりました」

「そこかしこまっちゃうんだ・・」


皆が呆然としている中、楽しそうに笑顔のまま社長は居た。そして来た時と同じように、颯爽と退室していったのであった。ドアが閉じた途端に皆が顔を合わせるが、だれも社長の真意をつかむことはできずにいた。


「とりあえず・・皆も、また19時に駅前に集合で。遅刻厳禁だからね」


そして珍しく事務は全員定時で退社していったのであった。




同時刻、鈴は死にそうな顔で電車に揺られていた。少しガクンと振動するたびに誰かに寄りかかって、そのまま崩れていきそうになっていた。それを最後の力で踏ん張って、ようやく立っているような状態でよく自宅まで帰れたな、と自虐的に思っていた。


「最後までやりきったのに・・ハハ、人生甘かぁないですよ、っと」


ドアから一直線にベッドへ向かって、スーツのままダイブする。どうせ来週から使う予定も無くなったのだから、とぼんやり時計を眺めるとまだ18時過ぎであった。だが駅前に19時集合となると30分もしないうちに出て行かなければならない。今は何も考えたくはなかったが、ノロノロと着替え始めることにした。

これといった一張羅はスーツしか持っていなかったので、前に和也との食事の時に着て行ったような服装に着替える。会社上がりの人たちの中では浮くかもしれないが、あまりカッチリとした格好の服は持っていなかった。


「まぁ・・もう使うこともないんですけどねぇ・・」


ボソリと再び自虐に走るが、誰も突っ込む人が居ないのでただの独り言になってしまう。着替えるだけ着替えてそのまま再びベッドに沈み込む。ダメだダメだと思っているのに、どんどん意識が沈んでいく。暗く広く深く・・まるで迷子になった深海魚のようだと思ったが、そもそも深海魚は深海で住めるように特化しているはずなので自分と重ねるのは難しかった。もう少しで海底につくかもしれない、というときにケータイの着信音で現実に引き戻される。


「・・あぶな、今完全に寝かけてた。今日の駅前の集合までこなして、仕事は終了なんだから・・・和也さんだ!」


ガバッと体を起こして内容を確認すると、数日前に約束したご飯について書かれていた。早ければ今日、とまで書かれていたが生憎先約が入っている。とりあえずメールを後回しにして、戸締りをすると電車に飛び乗る。この電車で行けば、ぎりぎり10分前には駅前に着くはずであった。

実際に駅前に着いたのは18時47分だったのだが、神木は見当たらなかった。どこにいるのかとケータイを取り出してみるが、会社の誰とも連絡先を交換していなかったことに気付いた。今更になって焦り始めるがもう遅い。もうすぐ約束の時間になりそう、というときに後ろから肩をたたかれた。


「お待たせ、行こうか」

「・・社長?え、社長ですか?」

「あれ、今日は間違えないんだね。そうですよー社長ですよー」


ニッコリと笑顔を向けられるが、鈴の頭の中にはクエスチョンマークが所狭しと並んでいた。神木に呼ばれてきて、なぜ社長が?そこでハッと一つの結論に行きついた。


「・・神木さんも、人が悪いな・・」

「ん?何かされたのかい?」

「いえ、何でもないです。どこへ行くんですか?」

「んーとねーどこだっけ。うそうそ、そんな顔しないで覚えてるから」


こっちこっち、とそのまま手を取られるが鈴の頭はすでに他のことでいっぱいになっている。

先に思いついてしまった結論を頭を振って振り払おうとしたが、それよりも早く結論が頭の中に根を張ってしまって動かなくなってしまった。これは直接のクビ宣告だろうと、しかも上司を仲介して社長の登場。絶望しか感じられなかった。

そう思ったら何でも言ってしまえという気持ちになってきた。もう関係なくなってしまうならば、聞いてしまえばいいじゃないか。


「社長、やっぱりこの間光葉さん・・和也さんと食事する前に、私に会いましたよね?」

「何でそう思うの?」


大人の余裕とでも言うのだろうか、和也と対している時には感じたことのない余裕を感じた。こちらの出方をうかがって、しかもそれを愉しんでいるような風である。


「あまり会ったことは無かったんですけど、なんかいつもと空気が違ったんです。和也さんはこんなにフランクな人じゃないのにどうしてだろう、って。でもその後社長に会って、和也さんにも双子だって説明されました」

「ふうん」


興味があるような、ないような返事をするが、話を聞く気がないわけでは無さそうだ。その証拠に未だに手を引かれたままである。


「最初に社長にお会いしたときは本当に驚きました。そっくりなんてレベルじゃなかったです。でも、やっぱり性格は違うんだなって思いました。だけど不思議だったんです、どうしてわざわざ入れ替わる必要があったんですか?」

「フフ、鈴ちゃんはどうしてだと思う?」

「私・・ですか」


初めて出会って数日後にお礼の食事をとっただけの人が双子でした、片方は社長です、さてどうして食事の時に入れ替わったのでしょうか?そんなこと言われても分かりようがない。それなのに意地悪そうに目を細めて聞いてくる一樹に、鈴は違和感を覚える。もちろん口には出さないが、とてもいやらしい何かを感じた。


「単純に、日和鈴を観察してみたかったのか・・それか、社長が和也さんで遊んでいたかのどちらかですか・・ね」


顔を上げると、満面の笑みの一樹が居た。喉元まできた違和感をかろうじて飲み込んで、鈴は一樹の言葉を待つ。


「鈴ちゃん、僕はね頭の切れる子は社員に必須だと思うよ。だってその方が処理の対応も早いし、いろいろ捗るでしょ?でもねー賢い子は上手に爪を隠さないと、いつ自分がそうなるかは・・誰にもわからないよ」

「それはどういう・・」

「あー社長やっときたー!本当に来るなんて思ってなかったんすけどね!」


20mほど離れたところに一団が見えた。目を凝らしてみると、それは先ほど別れたばかりの事務所の人たちだった。鈴の頭の中に再びクエスチョンマークが並ぶと、いつの間にか離されていた手を神木が取ると頭を下げる。


「ごめんなさい!私、てっきり自分ではうまく言ったつもりで、日和さんほんとごめんね!」

「え?神木さん?口調・・あれ?」

「今日は日和さんの歓迎会なんだよ、僕もお呼ばれしちゃった」

「え!?えええええ?!」


てへっと舌を出しながら一樹が言うと、社員はブフーと噴き出した。その姿を見て鈴の頭の中にクエスチョンマークと共に新たな結論が生み出されようとしていた。


「さ、とりあえず中に入って入ってー」


新藤に促されるようにして店内に入ると、広めの個室に案内される。そこには歓迎会の垂れ幕がしてあった。

ポカンと口を開けてその場に立ち尽くしていると、両肩を押されてどんどん上座に近づいていく。そしてあっという間に座らされたと思ったら片手にコップを持たされ、あれよあれよという間に鈴は乾杯の音頭と共にビールを一気飲みしていた。


「いーね!日和ちゃんすげー飲みっぷり!」

「さすが地獄の研修をやってのけただけあるね!」

「新しい仲間にかんぱーい!」


再びビールを注がれるが鈴は勢いで飲んでいるだけで味も何も感じる暇がなかった。だが代わる代わる自分に声をかけてくれ、そして新しいビールをついでいくのは1週間ほとんど挨拶しかしてこなかった事務所の上司たちだ。

一通り落ち着いたところで舞原が隣にきて、笑顔で話をする。


「日和さん、大丈夫ですか?とても混乱してらっしゃると思うんです、皆さんの変わりよう・・すごいですよね」

「えぇ、ほんとうに・・この一週間で嫌われていると思い込んでいたので・・」

「うふふ。これが本当の皆さんです、そしてこれが本当のあの事務所の空気です。日和さんも研修中に身を以て知っていただいた通り、事務所は常に手が足りずに仕事が山積みの状態なんです」


主役の鈴を半分ぐらい放ってお酒を酌み交わす同僚たちを、愛おしそうに眺める舞原。その横顔に嘘はないように思えた。


「だけど日和さんがすごく頑張っていたの、皆さん知ってたんですよ。知ってたけれど、フォローするわけにはいかなかったんです。これぐらいでへこたれていたら、残業が増えて業務が増えたらすぐに辞めて行ってしまいますもの・・こんな私たちを許してくださいますか?」


悲しそうにそう告げる舞原は、静かに鈴の手を取る。そして大事そうに包み込む。


「すぐに許してもらわなくても、一緒に仕事をしていく間に・・少しずつ私たちを信頼してください。一緒に、仲間として、働いてもらえますか?」

「わ、わだじ・・嫌われてるっでおぼってで・・!!」


ぶわっと涙があふれ出したら止まらなくなってしまった。そして一週間の恨み辛み、悲しみや絶望感をゴチャゴチャに混ぜて吐き出す。それを否定せずに舞原は受け止めてくれた。舞原だけではなく、途中からは集まっている全員が耳を傾けてくれていたことを鈴は知らなかった。


「日和鈴!23歳!今までフリーターしてました!彼氏いません!処女ですが!こんな私をよろしくおねがいじまずううう」

「よっ!鈴ちゃん頑張れー!」

「もう社員なんだから気にすんなー!」

「処女くれー」

「明日から地獄のしごきが待ってるぞー!」


鈴は袖でゴシゴシと涙を拭くと、キリッとした顔を作って立ち上がる。舞原に新しくビールを注いでもらうと、高々と上に掲げた。


「明日から頑張ります!かんぱーい!」


夜中まで乾杯の音は続いた。

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