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六話

ドアが閉まった途端に事務室には安堵の息が漏れていた。


「神木さん、マジ怖いっす」


見た目も言葉も十代の若者っぽいが、実際は27歳のいい大人な柳瀬やなせを皮切りに、ところどころから声が聞こえてきた。


「日和さん泣いちゃうかと思った・・良かったです・・」


ほっと息をついたうちの一人、神木と同い年の29歳の舞原まいはらもつぶやいていた。


「でもさーここの新人教育って、ほんっと変わってるよ。一見したら新人いじめそのものだもんな」


ニヤニヤしながらパソコンから目線を外さない氷上は、先ほどとは打って変わって饒舌である。


「ルールその1、新人が入った初日はとにかく一人で仕事をさせる。ほんっと鬼畜だよね」


椅子にもたれながら伸びをしているのは新藤しんどうだ。


「みんな・・私ちゃんと厳しく出来てたかな・・」

「出来てた出来てた。ちゃんとフォローも出来てたし、社長も褒めてたじゃん」


先ほどとは一転して、とてもおどおどと話し始めたのは神木である。

社長、という言葉にポッと顔を赤らめると両手で顔を隠してしまった。


「これでこそ神木さんですよね」

「ですねぇ、とってもとっても頑張ってました」

「俺の演技は誰も褒めてくれないわけ?え?」


氷上には誰も突っ込むことなくその場で立ち話が始まった。

この会社に入社してから初めての試練となるのが、この「新人研修」という名の「ふるいかけ」である。

あの程度の仕事で根を上げられては、今後この事務仕事をこなしていくことはできない。なぜならあのような資料作成など、一人でやってしまわないと追いつかないぐらい事務仕事がわんさかあるのだ。

全体の補助を担っているようなものである。


「氷上さんは愛想なさすぎ。あれじゃ日和ちゃん困っちゃうよ、俺が新人教育つきたかったなー」

「柳瀬はナンパ目的だろどうせ・・」

「マジああいうタイプって周りに居ないから、どういう子なのか気になっちゃって」


ニヤニヤしながらペンをくるくると回している。


「でも最初は厳しくしないといけないから・・私じゃなくってよかったです・・」


舞原ほっと胸を撫で下ろしている。新藤は「たしかにー」と言いながら舞原の横に来ると、自身と30cmは離れたところにある頭にポンと手を置く。


「舞原じゃ、手取り足取り教えすぎて厳しさ0だもんな、きっと」

「間違いないな」


うんうん、と周りはうなずいて同意している。舞原は顔を赤くさせると「ひどいです」と言って下を向いた。


「ま、とにかく今日から1週間はこの状態崩せないから・・みんなでボチボチ頑張るかー」


そこかしこで返事が返ってくると、立ち話をしていた面々もその場で解散した。






***






コンコン

「失礼します」


書類を持って移動すると、会議室のドアは開いており一応のノックをしてから中へと入って行った。

しかし誰もおらず、鈴は少しだけほっとしながら書類をテーブルに並べた。そしていくつかの山に分けてから無言で作業を進めていく。

頭の中にたまにポンと出てくる「あの」疑問は、なるべく考えないように仕事に没頭した。

右に左に動きながら作業をしていると、あっという間に書類の束が出来上がった。


「で・・できた!初めて一人で仕事を完遂させた!」


額にわずかににじんだ汗をタオルで押さえながら、ようやく完成した書類の束を眺める。

そして事務所に報告に行こうとドアの方を向く。


「・・?」


とても分厚い眼鏡をかけて、短めのストレートの前髪を横に流しピンで留めた人がいた。

何を言うわけでもなくただそこに立っているだけなので、鈴は不思議な顔をしてその人を見ていたが、会議室を独占していることを思い出した。


「あっ、もしかして会議室使うつもりでしたか!?すみません、今どきますので!」

「いや・・あの、そういうわけじゃ・・」

「すみません、これだけまとめたら行きます」


慌てて書類を一つにまとめると、申し訳なさそうに振り返る。


「あの、書類はここに置いたままで上司を呼んでくるように言われているので、このままでもいいでしょうか?」

「だ、大丈夫・・です。俺も飯食いに来ただけなんで」

「そうでしたか、では失礼します」


一礼をしてから退室すると、足早に事務室へと戻って行った。

ノックをしてからドアを開けると一瞬だけ強烈に視線が集中したものの、すぐにそれもなくなった。


「神木さん、今いいですか?」

「・・日和さん、いいわよ。何?」


そこで鈴が仕上がったことを伝えると、事務室に置いてある完成品も会議室の方へ持って行って、そこで休憩を1時間とるようにとの指示を受けた。もちろん昼食を買いに外に出るのは良いが、研修中は昼食を会議室でとるようにとのことであった。


「分かりました。休憩いってきます」

「わかったわ。戻ったら私に声をかけてから、氷上に指示を仰いで」


わかりました、と言って鞄と資料を持って事務室のドアを閉める。

その後再び事務室の中がざわざわしていたのだが、それはまた別の話である。


再び鈴は会議室の前に戻ってくる。

先ほどの記憶が正しければ、中にいる男性は「昼食をとる」と言っていた。ということは、ここで共に気まずい時間を過ごさなければならないのだろうか、と考えてから首を振る。

まだ働き始めて1日目なのだ。慣れなくて当たり前だ、よそに行けと言われたらまた上司に指示を仰げばいいだけだ。

そう自分に言い聞かせると、会議室の開いてあるドアをノックする。


コンコン

「失礼します」

「えっ、あ、さっきの・・」


案の定そこにはさっき入れ違いになった男性がいた。昼ご飯を食べているところだったようで、テーブルの上にはサンドイッチやおにぎりが散乱している。

鈴はなるべく目に入らないように隅を通りながら先ほど片付いた資料の山のもとへいく。

持っていた資料をそこに重ねると、軽く会釈をしてから再び退室した。


「ふー・・何も言われなくてよかった・・。とりあえずコンビニでご飯買ってこよう・・お腹すいたなぁ」


時計を見ると、すでに13:30を回ったところであった。

久しぶりの外に開放感を覚えながら、コンビニでお握りを2つとお茶を持って会議室へと戻る。


コンコン

「失礼します」

「わっ、あ、どうも」


鈴は自分が入るたびにビクリと肩を震わせて驚く男性のことが、少しだけ気にかかっていた。

そして先ほどは広げていなかった資料を、少しだけ手元にかき集めるしぐさをした。


「お仕事中すみません、上司に会議室で休憩をとるように指示を受けているのですが、別の場所に移動した方がいいですか?」

「い、いえ、大丈夫・・っす」


あたふたとしながらも同席の許可が出たので、鈴は資料が見えないぐらいの離れた位置へと座った。

そして買ってきたお茶を出して一口飲む。


「いただきます」


小声で言うと、そのまま食事をとり始める。

その間もパラパラと資料を触る音が聞こえているので、鈴は極力静かにご飯を済ませる。

お握りも食べ終え、お茶を飲みながらケータイを取り出す。

案の定靖春からメールがきていたので、返事を打ち込む。

しばらくそうしていると、ガポン!という音が聞こえた。

顔を上げると、男性が手元にお茶をこぼしていたようであった。


「わ、ど!あああ、資料!」

「あの、これで拭いてください!」


急いで鞄からティッシュとタオルを取り出すと、男性の方へと渡した。

男性はそれを慌てて受け取ると資料に広がるお茶をどうにかしようと奮闘する。

鈴は下に落ちていたペットボトルを拾うと、資料の散らばっていない場所へ置く。そして男性と同じようにタオルで資料の水分を拭き取った。


「だいぶ派手にやりましたね・・」

「・・書き込んだの全部飛んだ。あーでも破れなかっただけましか・・」

「ぼやけてるけど、まだ読めそうですね。不幸中の幸いでしたね」

「うん、ありがと・・う・・」


ふとお互い顔を上げると、20cmほどしか距離がなかった。

それもそのはずだ、同じ資料を同じ目線で見ていたのだから。


「わっ、あの、すみませ、ありがとうございました」

「こ、こちらこそ、使い捨てティッシュ、あってよかったですっ」


慌てて距離を取ると、ようやくお互いに顔の赤みが引いていった。

男性の方が「あっ」と声を上げる。


「タオル・・すみません、べったべたっすね」

「え?あぁ、ほんとだ。でもこういうときのためにタオルはあるんで大丈夫ですよ」

「こういうときのためって・・」


男性は声を抑えて笑っている。

その姿に一瞬胸が高鳴ったが、慌ててそれを振り払う。


「明日もここに休憩・・くるの?」

「はい、1週間はここで休憩とるみたいです」

「じゃ俺も1週間ここ来るから。たぶん休憩時間はバラバラだろうけど、会えた時に代わりのタオル持ってくるわ」


鈴は「えぇっ!?」と声を上げてから否定する。


「や、大丈夫ですよ!洗濯すれば元通りなんで、使えないの今日だけなんで!」

「ククッ・・そんな否定しないでよ、俺も資料の文字消えなくて助かったし。お礼だよ」

「で、でも・・」


すると男性はニッと笑って鈴の頭をぽんぽんとした。


「どーせ俺いっつも一人で飯食ってたから。一週間ぐらいいいだろ?」

「は、はぁ・・」


押され気味に返事をした鈴に、再び肩を震わせて笑う。

そして思い出したかのように言った。


「俺、道庭みちばっつーんだけど」

「私は日和です」

「日和って苗字なの?」


こくりと鈴がうなずくと「へー」と珍しそうな顔をした。


そして「日和ちゃんねー」と言ってから時計を見る。


「あ、やべ。日和ちゃんそろそろ休憩時間まずくね?」

「え?あああ!すみませんが、今日はこれで失礼します!」


時計の針が14:30を指そうとしていたのに気付くと、鈴は急いで荷物をまとめて会議室を出て行った。


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