三十九話
「日和、ちょっといいか」
「ハイなんですか」
土曜日が明日に迫った今日、いつもの通りの業務をこなしていると新藤に呼ばれる。自分の仕事を途中にしてデスクへ寄ると、資料を数冊渡された。
「すまない、手が空いたら社長室へ届けるように言われていたんだが、どうにも区切りがつかないんだ。これを届けてきてくれないか」
「今ですか?」
「ああ、すまないがよろしく頼む」
社長室という言葉で一瞬背後に視線を感じたが「わかりました」と受け取ると事務室を出る。月曜日に会って以降、再び一度も顔を見ることなく週末になってしまった。明後日の日曜日には、どちらかが神木とデートをするのだ。
別にどちらでもいいはずなのに、それが一樹ならいいのにと思ってしまう。神木には一樹さんの傍若無人さが似合うような気がしていた。勿論それが根拠のないものだとは分かっていたが、未だに和也への想いが振りきれていない自分に呆れてしまった。
そうこうしていると社長室の前へ来てしまう。3度ノックをすると中から声が聞こえた。
「どうぞ」
「失礼します」
中へ入ると、最後に入った時となんら変わりない状態を保っている社長室があった。たかだか数週間で何が変わるわけでもないのだが、変わらないのは建物だけだ、と自分に皮肉ってしまう。不思議な顔で鈴を見ている社長に、自分がまだ用件を伝えていなかったことに気付いた。
「あ、あの、これ新藤さんから頼まれました。どちらへ置けばいいですか?」
「新藤から?・・ああ、あの資料か。こちらへ持ってきてもらえるか」
「ハイ」
月曜日に会った時も近くには居たが、こうして二人きりで直接対面するのは本当に久しぶりであった。未だに一樹なのか和也なのか判断がつかないが、鈴にはずっと和也なような気がしていた。自分がそう思いたいだけかもしれないが、一樹にしては毒が足りなさすぎるのだ。
1m程離れて止まると「もっと近くへ」と促される。半分距離を詰めるが、ここへ置いてほしいと指定された場所は社長の手元のすぐそばだった。こんなところへ置かせるぐらいなら、自分で受け取った方が早いのでは?と疑問がよぎった時、どこか期待している自分がいた。
「ここ、ですか」
「ああその辺でいい。ありがとう」
「いえ・・」
ほんのりと期待した胸は、どんどんと膨らんでいってしまう。もしかしたらもうこんなに近くで見る機会は二度とないかもしれない。そう思うと横顔から目を離すことが出来なかった。
ゆっくりと社長の顔がこちらを向いて、鈴と目が合う。その目は和也の目であった。
「和也・・さん」
思わずポツリと呟くと、悲しそうに眉間に皺を寄せて目を逸らす。目を逸らしたということは、気まずいのだろう。鈴は今すぐその顔を自分へ向かせて、本当に終わってしまったのかを問い詰めてしまいたかった。
だが今日までの様子を見るからに、今まで鈴に社長として接してきたのは和也で間違いが無さそうであった。それなのに何を言う訳でもなくただそこに「社長」として立っていたということは、鈴に対して何も思っていないも同然だ。
そこへ自分から更に傷口に塩を塗るなんて、とてもではないが出来そうになかった。好きな人に二度も拒絶されたら、立ち直れる自信は無い。
「・・失礼しました」
頭を下げて退室しようとドアへ向いて歩き出すと、その手を掴まれる。誰の手かなんて、見なくても分かる。ここに居るのは自分と和也しかいないのだから。全身が喜びで包まれるのが分かった。ゆっくり振り返ると和也がしっかりと自分の手を掴んでいた。
「待って・・お願い、だから」
「ハイ」
「小谷君と、付き合いだしたって、本当?」
まさか和也の口からその言葉が出るとは思わなかった。思わず目を逸らすと、手を掴む力が少し緩む。
「・・そっか」
「うん、前も・・前も待ち合わせしてたのは靖春だよ」
「好き?」
和也の言葉に顔を上げるが、誰の事を指しているのかが分からなかった。鈴は分からないのをいいことに、和也の言葉に同意した。
「好き・・だよ、ずっと、ずっと」
靖春が、ではない。和也に向けての言葉だった。あんな終わり方をして、何度も靖春に支えられて今日まで過ごすことが出来た。だけどやはり一番好きなのは、和也だけなのだ。
「今までも、これからも、ずっと好き。一番好き」
「・・わかった」
和也は悲しそうに目を伏せると鈴の手を離す。そしてデスクへ戻ると仕事の続きを始める。鈴は今すぐにでも駆け寄って「貴方の事」と伝えたかったが、それはあまりにも靖春に対して失礼だ。ここまで支えてくれて、都合のいいようにしてしまった自分を改めて悔いた。
「失礼します・・」
今度こそ社長室を後にすると、鈴は靖春に直接話す決意をした。
外はすっかり暗くなり、煌々と電気が灯っている。夜の冷たい空気は星を綺麗に見せていた。アパートの部屋では鈴と靖春が正面を向きあって座っている。髪の毛を切ってさっぱりした靖春は、すっかり男前な顔になっていた。
職場でも、外でもよく声をかけられるようになったらしい。だがこれは女装をしていた時と同じで、男性からモテていたのが女性に変わっただけだった。
「もう一回、考え直してほしい」
「・・何回も考えたよ。本当はもっともっと早くに言わなくちゃいけなかったのに、私が靖春に甘えすぎてた」
「甘えていいよ?だって俺は鈴だけのものだから」
靖春の言葉に首を振ると、焦ったように続ける。
「言ったじゃん、踏み台にしても全然いいって。鈴が他の男の事考えてても、一人で悲しむより二人で悲しんだ方が絶対いいって」
「ダメだよ、そんなことしても・・そんなことしても、誰も幸せになれないよ・・」
「そんなことない!鈴が傍に居てくれるなら、それだけで俺は幸せなんだ」
「靖春」
鈴が声を掛けて止めようとするが、靖春はどんどんヒートアップして止まらない。
「ずっとずっと待ってたんだ。鈴が俺だけを見てくれるのを、10年もだ!やっと彼氏になれたのに、なんですぐに別れないといけないんだ!」
「靖春、落ち着いて」
「嫌だよ、傍に居てくれるって言ってたじゃん?鈴に次の彼氏が出来たら絶対別れるから、それまで俺に彼氏でいさせてよ・・」
両手で顔を覆うが、隙間からポタポタと涙が出てきている。それを見て鈴の気持ちは揺れた。こんなに一途に思ってくれていたのを利用していたのに、また自分だけの都合で振ってしまっていいのだろうか。言ってることは矛盾したことが多いが、それを分かった上で靖春を受け入れたのは、自分じゃないか。
近くへ寄ると、靖春が少し身じろぎをした。そっと顔を覆っていた両手を掴んで離すと、真っ赤になった目が痛々しかった。もしかしたら自分は今の靖春に同情しているのかもしれない。
だけどこんな姿になった親友を見て、その手を取らないというのは今よりももっと辛かった。頬に手を添えると、その手に靖春が手を被せる。
「何で私なんか、好きなの・・」
「鈴じゃないと嫌だから、だよ。お願い、もう少し傍に居させて」
初めて見る駄々っ子のような姿に戸惑い、同情してしまった。鈴が小さく一度頷くと、すぐに身体を抱きしめられる。
「ありがとう、鈴大好き」
「私も・・すきだよ」
深く口づけられると、そのままベッドへ移された。鈴がベッドに腰掛け、その腰回りに靖春が抱き着いている。愛おしそうに見上げられるのは悪い気がしなかった。このまま靖春の元に居れば、そのうち和也の事も忘れられると思っていた。
だけど実際傍に居て気付いてしまったのだ。靖春への愛情と、和也への愛情の違いがこんなに大きなものだったのだと。
「・・嫌?」
徐々に顔を近づけてくると、そう聞いてくる。鈴は小さく首を振った。嬉しそうに全身を愛撫する靖春を見ていると、次第に目の前がぼやけてしまう。一旦手を止めて心配そうに顔を覗き込む靖春に、笑顔を作って見せた。
「靖春、すきだよ。今までも、これからも、私の一番の親友として、すき。大すき」
その言葉に悲しそうに顔を歪ませながら、止めていた手を再び動かしだす。そこからはあまり話すことは無く、だけど大切に扱われているのが分かった。本当はこういう関係になることも、お互いに強く望んでいる訳ではないのは分かっていた。
だが鈴は一番言いたかったことを言えて、ほっとしていた。これでいいのだ、とも思っていた。仮面を被って彼氏彼女と偽った関係を続けるよりも、この方が今よりもずっとずっとお互いにとっていいと思った。
「・・あれ、靖春?」
翌朝起きると、隣で一緒に眠ったはずの靖春は居なくなっていた。部屋の中に鞄や服などは置いたままだったため、もしかしたら近くのコンビニに行っているのかもしれないと思った。玄関を見ると案の定靴が無く、ほっとしてテレビをつけて靖春が帰るのを待った。
「ただいま」
「おかえり」
手に袋を抱えて帰ってくると、おもむろに袋の中の物を全てテーブルに並べた。お酒とおつまみ、デザートにスナック菓子と食べきれない程だ。
「ど、どうしたのこれ?」
「俺の振られた記念日だから、付き合ってくれるでしょ?」
「・・ウン、飲んで忘れよ」
久しぶりに二人で乾杯をする。こうして宅飲みするのも久しぶりなような気がしていた。和也と付き合う前にはそれこそ週に何度もやっていたが、そこからはバタバタとしていてずっと出来ていなかった。二人で同時に一本目を開けると「プハー」といい音を出す。
「振られた記念でも、酒は美味しい!」
「今日も明日も休みだから、浴びるほど飲んじゃおっと」
ニュース番組を見ながら飲む朝のお酒は、昨日の事が嘘のように美味しかった。胸を取ってから初めての宅飲みだったが、そこには取る前となんら変わりのない靖春が居た。もう何度思ったか分からないぐらい、鈴は靖春が傍に居続けてくれたことに感謝した。
「ていうかさ、正直俺の方がかっこいいと思うんだけど」
「えー?いやそんな、私なんかが二人のカッコよさをほら、比較するなんて無理だから」
「鈴の好みは良く分かんねーんだよな。10年一緒に居ても分からねーわ」
そして突然意地悪な顔をする。「どしたの?」と聞くと、何度も「怒らない?」と前置きしてから話し出す。
「・・実はさ、今までの鈴の片思い邪魔してきたの俺なんだよね」
「えーと、ゴメンもう一回言って」
「だーかーら。鈴の片思いの相手を威嚇したり、ちょっといじめたりして鈴から遠ざけてきたんだって」
10秒ほど思考が停止してしまった。そしてはっきりと靖春の言葉を理解した瞬間「エエエエッ!?」と大声を出してしまった。
「ど、え、な、何それ!?」
「鈴シーッ。うるさいよー?まぁまぁ。ゴメンってテヘペロ」
「古いし!メンズがやっても可愛くないって!」
「ゴメーン」
悪びれも無くお酒を煽ると「プハー」と飲み干してしまう。口をパクパクさせたままの鈴に、意地悪な顔のままおつまみを差し出す。鈴がツンとそっぽを向くと、そっと頬に手を添えて自分へ向けると同時に口づける。
「ごめんって・・許して?」
「ご、ごめんの代わりにキスするとか!マジ無いから!」
「おーコワイコワイ」
楽しそうに笑う靖春に、昨日の夜に言ったのは正解だったと改めて思った。もしまだあのまま偽物の彼氏と彼女を続けていたとしても、傷を舐め合うことは出来ても本当の意味で乗り越える事なんか出来なかったのだ。舐め続ければそのうち化膿して、もっと取り返しのつかないことになっていたに違いない。
「あ、言っておくけど鈴のこと諦めてないからね?」
「えっ」
「当たり前だろ?隙あらば狙っていくよ?」
両手をワキワキといやらしく動かすと、襲う真似をする。思わず後ずさると「ニシシ」と笑う。
「狙っていくけど、もう同意なしじゃやんないから。大丈夫、俺の中の大切な思い出にナリマシタ・・」
「ちょ、やめてよ!!」
「大切な・・思い出にナリマシタ・・」
妙に爽やかに言われると鈴の方が恥ずかしくなってしまう。昨日は一晩を共にしたが、鈴もこれ以上共にするつもりはなかった。偽りの彼氏彼女としての最後の夜だったのだ。
「あーあー、やっぱ鈴好きだわ俺。でも鈴はアイツが好きなんだよなー」
「・・ウン。振られんぼ同士、仲良くしようじゃないか」
「振った張本人に仲良くしようって誘われるのも、どうかなって感じだけど」
あーあーと言いながらも、それほど悪い顔はしていないようだ。少なくとも、片思いのままの顔よりもいい顔をしていた。
「ねぇ、靖春はまた・・その、シリコン入れたりしないよね・・?」
「え、また揉みたくなっちゃった?俺のマグナ」
「あーもう聞いて損した、すっごい損した!!」
鈴がプンプンと怒っていると「まぁまぁ」と言いながらも答える。
「もうさすがに入れないよ。シリコン入れたって、女になったって、鈴の傍にずっと居られるわけじゃないって分かってたし」
「・・随分と遠回りしたもんだね」
「まーね。でもこういう生活、悪くなかったよ」
鈴が新しくプルタブを開けると、靖春が横からそれを奪っていく。
「・・でもさ、ちゃんと言いたいこと言えたからこう思えるだけで、昨日鈴に言われなかったら俺、ずっとクソみたいな男のままだったと思うわ。ずっと我慢させててごめんな」
「そんな、私も靖春のこと都合のいいようにしちゃったし、あの時に断ることも出来たんだから」
「まーそうなんだけどね?そんでもカッコ悪いとこ見られたら、あーもういいやって思えた」
鈴が首を傾げていると、少しはにかんだように笑う。
「あんなナリしても一応男だったから。好きな子にかっこいいとこしか見せたくないんだよね」
「そうなの?靖春はずっとかっこよかったけど」
「あーもうそうやってさ、人が気にしてることサックリと解決しちゃうんだからねーこの子は。あーむかつく、和也ムカつく」
突然出てきた名前にビクリと肩を動かすと、再び意地悪な顔をする。
「アイツさえいなきゃ今頃鈴は俺の物だったのに」
「ソ・・ソレハドウカナー?」
「正直な奴」
鈴と靖春は、二人で思う存分語り合いながらお酒を交わすと、夕方には泥に沈むようにしてこたつで眠りについたのだった。




